東海道中くきこけた2001年5月          


5月31日(木)
午後から今月分診療報酬請求の事務作業。三分のニほど終えて、あとは土曜日の午後に回す。//今年から、薬を院外の薬局に任せる形に移行、それに伴って院内の仕事の仕方もいろいろ変えた。毎月、乗り越えなければならない問題、調整を要する課題、さまざまあって、ひと月が長く感じられる。思えば開業から丸四年、なんとか軌道に乗せたいと思い、軌道に乗ったと思えばそれまでのやり方を壊して新しい試みに着手し、そんなことを繰り返して、息せき切って走り続けてきたような気がする。//三年も前に数か月だけ通院していた女性から、メール。すっかりよくなって、今は結婚してアメリカで暮らしている、との知らせ。良くなったことの報告をしないままになっていたのが気に懸かっていたから、と。こういうメールはうれしい。//帰宅途中、閉店間際のHMVで久しぶりにCDあさり。クレンペラー指揮RIAS交響楽団の1950年のモーツァルトライブ、4曲入り790円。グリュミオーの弾くバッハの無伴奏全曲にハープシコード伴奏付きソナタ2曲もおまけについて2枚組み2490円。30年前に比べて値段が三分の一というところか。貨幣価値を考えれば実質はもっと安くなっている。これもうれしくはあるけれど、いいのかな、こんなに安く売って・・。

5月30日(水)
アオォ アオアオォ と高らかなおたけびのような声を夢うつつで聞く。午前4時40分。裏山で鳴くアオバトの声だ。緑色の美しい羽、磯で海水を飲む珍しい習性、この地に住むまで日本にこんな鳥が棲むことさえ知らなかった。//なるべく早く寝るようにしているつもりだが、夜明けの早いこの時期は、どうしても寝不足気味。昼休み、帰りの東海道線と爆睡。そういえば来診患者さんにも「眠い」「だるい」の人が多かったなぁ・・。

5月29日(火)
庭のサツキの枝を切って、診療所の洗面所にいける。大きな窓が開いて夏の空気が入り込んだみたいだ。

5月28日(月)
午前、小田原・丹羽病院の漢方外来。今日は珍しくほぼ午前で終わった。//帰宅後、昨日庭で収穫してあく抜きしてあった青梅で、煮梅と梅ジャムを作る。レシピは辰巳浜子さんの本から。辰巳さんのは僕には少し甘いことが多いので砂糖を控えたら、煮梅はちょっと控えすぎたようだ。//日暮れ時、次男と「茶輪コ」連ね、山道を一時間余りサイクリング。帰りに多田さんちに寄って、約束していた紫蘭の株をいただく。「あ、ちょうど良かった、目をつけといたのがあるから・・」と、裏の神社の境内でタケノコを4本も掘りあげていただく。ETを乗せたマウンテンバイクみたいな格好で帰宅。//掘りたてのタケノコはえぐみが少なく、ゆでて薄切りしただけでけっこうなお味。醤油とわさびで食べてみる。//夜、近所でアオバズクが盛んに鳴いていた。

5月27日(日)
朝10時まで寝坊。雨の中、庭遊び。キュウリもトマトも、もう花が咲いている。サヤエンドウはそろそろ終わり、もうすぐインゲンがなり始めるだろう。//庭の枝をはらったり草をむしったりしていると、なぜか歌の一節が浮かんで鳴り続けていることが多い。「あしたがある あしたがある あしいたがああるうさあ」だったり、「ころりころげたきのねっこ」だったり。今日は「おこめはざっくりこでちゅうちゅうねずみはにっこりこ」って一節がなぜか繰り返し鳴っていた。

5月26日(土)
一年先輩の木暮文恵先生が二度目の見学に。今日は来診多く、昼飯が4時になってしまった。帰宅して夕食11時。

5月25日(金)
このごろは朝、ほんの一分間のミニヨガもどきをすることにしている。それだけで、けっこうエネルギーが活性化するのを感じる。

5月24日(木)
今日も雨模様。庭の植物の成長が速い。梅の枝は一日で何十センチも伸びているみたいだ。

5月23日(水)
梅雨の前触れのような雨。

5月22日(火)
先週末にやり残した仕事があるので、朝6時に家を出る。//二か月ほど前から通院している女性Kさんは、基礎体温表にその日の健康メモをつけているという。最近は「絶好調」ばっかりです。たった二か月でこんなに調子がよくなるなんて・・。そんなふうに言ってくれたので、今日は僕もとってもハッピー。たまにはこういう言葉や顔に会いたい、それを糧にしてこの仕事をしているといってもいいくらいだ。//彼女が続けていうことには、最初はまずくて飲みにくかった漢方薬が、最近は甘くてフルーティーに感じるんですよ、と。「ええええっ、あれをフルーティーって形容した人は初めてだなぁ」と僕が驚いて言うと、あら、そうですか、「くきこけた」に書かれちゃいますね、ときた。むむ、そこまで先回りされるとは・・お察しのとおり、このとおり。

5月21日(月)
午前、小田原・丹羽病院の漢方外来は終わると午後2時、駅前でワンタンメン食べて帰宅するともう3時だった。//次男と、キャッチボール、焚火、庭の草むしり。にょきにょき生る小さな竹の子を焚き火に放り込んで、焼けたところを皮をむいて食べると、ちょっとアスパラガスみたいでおいしい。

5月20日(日)
ホテルで朝刊を見たら梅田で「山の郵便配達」を上映していることがわかって、観に行く。中国・湖南省の山地で、三日間かけて山を歩いては郵便を集配する業務に携わってきた男と、その後を継ぐことになった独りっ子、そして「次男坊」という名の愛犬の映画。緑したたる山、豊かな水、鳥や虫の声、どれも異国というよりは、僕らが親しみ育まれた自然だ。その中で、父子の反発や心の通いあいが、わざとらしい誇張やあざとい演出を避けて丁寧に描かれて行く。知らぬ間に、自分と父に置き換えたり、自分と息子たちに置き換えたりして、シミジミ感情移入していた。//新大阪駅構内の「美々卯」で蕎麦を食って帰京。

5月19日(土)
臨時休診をいただき、大阪で開かれる「第3回MLMLの会」へ。医療系メーリングリストの交流会だ。「医療と情報」を切り口に、毎回医療の今後を考える刺激的な議論や新たなネットワークの芽生えがある。講演会、交流会、合わせて六時間。終わるとクタクタでホテル沈没。三次会、四次会、と流れた人も多かった。ここに集まっている医者たちのエネルギッシュさには、ただただあきれるばかり。

5月18日(金)
「ようやく先日破産宣告をしまして・・」と、企業経営者の妻Kさん。「いやもう、不景気も極まってますよ。ストレスで便通がどうも・・」と商店主のLさん。「鬱がひどくなっちゃいました。もうヤケクソです」と苦笑いのMさんは、今年に入って毎日のようにマスコミを賑わしている某特殊法人の職員。こういう人の心身の不調は社会全体の病の部分症状みたいなものだから、その人だけを相手にして、こちらがしてあげられることはごく小さい。「よかったですね」とか「大変ですね」とかいいながら心の中で「生き延びてね」と、そっと祈る。

5月17日(木)
夕方から、楽天堂薬局と合同で生薬勉強会。今回のテーマは「大黄」。毎回ウチダ和漢薬の松村さんが貴重な写真や資料を持ってきてくれるのだが、今回の大黄自生地の写真は強烈なインパクトがあった。中国奥地、人けの全く感じられない三千メートル級の荒涼とした山地に、人の背丈より高い赤い塔のような花を中心に、巨大な掌のような葉を繁らせた大黄がにょきにょきと生えている。異界だ。二千メートル程度の山地で栽培した大黄には、主要薬効成分であるセンノシドもタンニン類も、野生物の十分の一も入っていないという。「将軍」とも称される大黄のパワーはあの異界が生み出す精なのだ、と深くうなずいたのでありました。

5月16日(水)
医学部入学直後の漢方のクラブ活動以来、ってことはもう13年間もずっと一年先輩として私と同じ道を歩いている木暮文恵先生が、診療所の見学にみえる。診療を終えて、一緒に夕食。木暮先生にも私の診療所で漢方診療をしていただく機会が作れないか、という話しになる。うまくいけば、私にも、木暮先生にも、患者さんにも、いい機会になるはずだと思う。

5月15日(火)
診療所の冷房を今年初めて入れた。

5月14日(月)
午前、小田原・丹羽病院の漢方外来。//午後、地元の魚屋で、上がったばかりの小さなイワシを一山三百円で買いこんで、久しぶりにゴマイワシを作る。小さいものは頭と腹を取るだけ。ちょっと大きめのは手開きにして背骨を取り、汚れを洗ったら強めに塩して三十分、塩を酢で洗い、そこに針生姜と黒ゴマをどっさり入れて、米酢とレモン少々。ずっと前に雑誌でみかけて作るようになった、多分九十九里のあたりの料理。今回はちょっとアレンジして、クコの実もいれてみる。イタリア料理でイワシにレーズンを合わせることからの連想。大正解でした。酒によし、御飯によし、いくらでも食べられる。当日も翌日も・・多分数日はいけるはずだけど、いつもそんなに残らない。おためしください。って言ってもこういう小さくて新鮮なイワシって、海辺の町でないとなかなか手に入らないんだよねぇ。今日のは、シコイワシ、マイワシ、ウルメイワシ、それにアジまで混じっていた。

5月13日(日)
先週、お祭りの後に歩いた山道へ、今日は自転車で行ってみることにする。妻、次男と三台、銀輪というより錆びついて茶輪と化したチャリンコ連ね、まずは海岸を走り、標高約百メートルの丘陵へと上がり、稜線を走り、林間のオフロードを走り、約三時間。水蓮やあざみの花が鮮やかだった。クロアゲハが舞っていた。日陰の小道で大きなアオダイショウが鎌首を上げていた。//久しぶりの大汗かいたところで次男と今年初めての磯遊び。さすがに水はまだ冷たくて、泳いでいると筋肉が痛くなってくる。数ミリの稚魚の群やウミウシを見る。//もう日暮れ。「もう一種目残ってるよ」と次男にせがまれ、公園でキャッチボール。以上、オジサントライアスロンの一日でした。//庭のレモンの花が次々に咲き始めた。甘い香り。

5月12日(土)
診療を終えて、朝日新聞の先輩大熊由紀子さんの定年・阪大教授就任記念パーティーに駆けつける。四百人の大盛会。大熊さんは、日本で初めての女性デスク、日本で初めての論説委員、小説のモデルにもなった有名人だが、そんなことはどうでもいい。すごいジャーナリストだ。//今日初めて知ったことだが、乳癌と闘いニューヨークで死んだ故千葉敦子さんと大熊さんは、高校時代からの友人だった。千葉さんが、もう最期という帰国の時に、長く会っていなかった女友達十数人を中華料理店に集めて会を催した。そこでできた人のつながり、ネットワークは今も生きている。大熊さんは、自分は今すぐ死ぬわけではないけれど、朝日新聞という場を失うに当たって、千葉さんがしたように、新たな人のつながりのきっかけを作りたかった。そんな話しをした。本当に、ただのパーティーではなくて、大熊さんとはつながっているけれど、その場では初めて、という多くの人がこれから実りあるネットワークを作るきっかけになるような配慮が本気でいっぱいの会だった。すごいと思う。ジャーナリストにとって、人とのつながりは、最大の財産だ。僕のような卑小な心は、大新聞の看板を失うことになったら、自分の財産である多くの人とのつながりを、自分だけのものとして死守したいと望むに違いないと思う。そうではなくて、自分のモノにしようとするのではなくて、みんなの中に開いてしまおうとする。これは本当にすごいことだ。

5月11日(金)
小さなビルの三階にある診療所は、午後になると蒸し暑い。窓を空けていたら蚊が入ってきた。ああ、夏だ。//東海道線を降りると、夜風に濃厚な樹の花の匂い。

5月10日(木)
午後6時、下り東海道線車内。まだ外がずいぶん明るい。日が長くなったものだ。//帰って庭を見回ると、植えたばかりのキュウリの苗が、モグラにやられて萎れていた。植えなおしだ、クソっ。//夕食に、小さなアジの〜挙げ、じゃなかった唐揚げ。このへんじゃジンダと呼ぶこの時期の御馳走だ。富山でも旨かったがここでも旨い。玉葱の薄切りたっぷりと、ポン酢とレモンで。

5月9日(水)
梅雨を思わせる蒸し暑さ。半袖のシャツでもちょっと暑い。//今診療所で着ているシャツは、明るい緑色のチェックで、ユニクロ。なぜか先日来、当院ではユニクロのチェックのシャツを制服として採用しておるのです。女性職員三人は、ピンクだの黄色だの色とりどり取り揃えてみんなで共用。この私は緑か青。というわけで、制服というにはあまりに不揃いですが、ま、そこが面白くてやってるわけで。

5月8日(火)
四日間の休みで、ずいぶんリフレッシュできた感じ。予定なし、課題なし、が良かった。先月はほんとに疲れてたなぁ、と改めて思う。

5月7日(月)
午前、小田原・丹羽病院の漢方外来。午後、水道の水栓の交換と、夏物野菜苗の植えつけ総仕上げ、イチゴの苗にカラス除けのネット。これで気分は夏準備完了。//夜、次男にヴェルヌの「地底旅行」を一章読んでそのまま沈没。もう三分の一以上過ぎたのに、リデンブロック教授一行、未だ火山を登っているところで地底に降りてない。こんなんだったかなぁ・・。

5月6日(日)
午前、バジリコと青紫蘇とチャイブと隠元豆とアシタバの種まき。午後、近所の多田さんちにお招ばれ。初夏の風と光が入る部屋で、囲炉裏を囲み、炭火で焼いた野菜、魚、肉・・延々日暮れまで、おしゃべり。

5月5日(土)
地元神社のお祭りを見物に行く。新緑の中で象徴劇のような神事があり、神輿を担ぐ若衆は白装束、後に従う長老連は羽織袴に麦わら帽子姿でそのまま映画の画面になりそうな味のある顔をしている。平安時代からの歴史がある祭りだとか。観光化されていない分、地と血に根ざしたエネルギーを感じる。僕のような根無し草には、なんというか、見知らぬ美しい女性が「腹違いの妹です」と言って現れたらこんな感じかしら、と思うような戸惑いも、どこかにある。//斎場から尾根伝いに山を歩いた。稜線の下に水が湧いている場所に出た。睡蓮が生え、カモとサギが遊んでいた。センダイムシクイが囀り、ヒレンジャクの群れが編隊を組んで旋回していた。レンゲが咲き乱れ、蜂が飛び交っていた。祭りに続く夢のようだった。//夏野菜の苗と種を買って夕暮に帰宅、真っ暗になるまで苗の植えつけ。

5月4日(金)
寝坊して、昼から箱根湯元の日帰り温泉に浸かり、小田原へとって返して角偉三郎さんの個展へ。角さんは、輪島塗りの伝統世界に生まれ、そこに新しい生命を吹き込んでいる方。妻が雑誌編集者だったころに彼を取材して以来、僕は妻が一つだけ持ち帰った椀と、妻の記事と、彼を取り上げたテレビ番組と、年賀状だけをよすがに、片思いしていた。想像していた以上に魅力的な人だった。角さんみたいに生きるぞ! などと、酔った頭で思う夜であった。//というのも、角さんの器に有元葉子さんの料理を盛って食べる会@箱根湯元に飛び入り、深夜まで器と料理と酒に浸ってしまったのだ。品川行き東海道線最終列車で帰宅。それにしても、有元さんって、妙に色っぽいヒトだったなぁ・・。

5月3日(木)
冷たい雨の休日。大寝坊し、庭のハーブを入れてオムレツを焼いて食べたり、LPを鳴らしたり、近所の知人を訪ねて話し込んだり、溜まった郵便を整理したりして過ごす。//夕食の片づけをしていたら、聞き覚えのある「ホ ホ」というくぐもった声がすぐ近くから聞こえた。そっと庭に出ると、フクロウが二羽、鳴き交わしていた。

5月2日(水)
朝、玄関脇の木にかけた巣箱を見上げると、ちょうどシジュウカラが餌を運んできて、小さな穴から中に飛び込むところだった。箱の中からは、雛たちの大騒ぎする声もかすかに聞こえる。//事務の栗田クンと、夕食を喰いながらの話し。彼女とは、知り合って今年でちょうど二十年になる。二十年前には、僕は新聞記者で、彼女は広告代理店勤務。二十年後にこうして診療所で一緒に仕事をすることになるなんて、想像もできなかった。これからの二十年は、さてどうだろうか。またもや意外な展開があるのか、もう二十年も経ってしまったなどといいながら同じようなことをしているのか、あるいはどちらかはもうこの世にいないかも、などと・・。医療に携わっていると、命のもろさは、リアルな実感。

5月1日(火)
草むしりをしすぎて首が回らない。妹にそういったら「ヒサエさんみたいなことして!」と冷笑された。ヒサエさんは僕らの母親。僕らが小さいころは、夕方家に帰ると、暗くなった部屋で電気もつけずに裁縫をしていた。やり過ぎて疲れ果てる。肩がこったの、頭が痛いの、目が回るの・・好い加減てことを覚えなさいよ、と周りから言われ続け、「やっとわかった」の「もう懲りた」の言い続けて五十年、人間そう簡単に懲りたり改まったりはしないものだ、ということを未だに教え続けてくれている。で、僕にもこのヒサエさんの血が少〜し流れているんです、確かに少〜し。


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