下に掲載する原稿は、雑誌「医療とコンピュータ」2000年5月号の特集「開業医とコンピュータ」の一部として執筆したものです。この特集記事は、中央医療情報メーリングリスト(CMINC)の安藤潔先生を中心に、同MLのメンバーが分担執筆しました。特集記事全文は、CMINC版「開業医とコンピュータ」原稿集に掲載されています。


ネット上討論
従来のマスコミとインターネット:開業医の立場から

○前書き

与えられたテーマは、たいへん広範で複雑です。この討論が明快な展望を示しえたとも、論点を尽くしたとも、言い難いと思います。しかし論旨や結論の当否はさしおいても、地域や立場が大きく違う発言者たちが、インターネットがなければ出会えなかったような形で出会い、共感や反発を交換しているそのコミュニケーションのあり方に、「従来のマスコミュニケーション」にはなかった可能性を、感じ取っていただけるかもしれません。
原稿は、中央医療情報メーリングリスト(cminc)上で、約3週間にわたり、e-mailを使って公開討論した内容を、九鬼が座談会形式にまとめました。投稿されたメールは約70通、字数では約8万字に達しましたが、字数の制約などから約五分の一にまとめました。司会と編集の責任は九鬼にあります。
発言者は下記のとおりです。(発言順、敬称略。発言者のアルバム

●九鬼 伸夫:銀座内科診療所(東京都中央区)、元朝日新聞記者

●吉岡 春紀:玖珂中央病院(山口県玖珂郡玖珂町)

●高橋  徳:高橋医院(大阪府高槻市)

●神津  仁:神津内科クリニック(東京都世田谷区)

●五十嵐秀之:いがらし内科医院(東京都江戸川区)、実地医療研究ML(medpract)主宰

●牧瀬 洋一:牧瀬内科クリニック(鹿児島県曽於郡大崎町)

●安藤  潔:荒川医院(東京都中央区)、中央医療情報ML(cminc)主宰

●本田  忠:本田整形外科クリニック(青森県八戸市)

●平田 尚弘:日経BP社出版局編集第二部

●中川 和之:時事通信社神戸総局、日本地震学会・なゐふるML(nfml)世話人代表

●越智 元郎:愛媛大学医学部救急医学教室、救急医療ML(eml)主宰

●山野辺裕二:長崎大学医学部付属病院医療情報部



インフルエンザとアマンタジンを巡って
〜医療情報源としての
従来のマスコミとインターネット〜

○インターネットとアマンタジン

九鬼 ここでは「従来のマスコミ」を、医学雑誌、書籍も含めて考えます。開業医に必要な医療情報の特性を考えると、特殊な疾患よりはcommon disease、基礎よりは実際臨床に即した情報、そんな点が特徴であり、同時に従来のマスコミ的情報に不足を感じる点でもあろうかと思います。この点で昨季のインフルエンザ流行の際に、流行情報と、認可されたばかりのアマンタジン(シンメトレル)の使用経験が、インターネットを通じて広がった事実は示唆に富んでいると思います。
吉岡春紀先生は、保険適応以前からアマンタジンの急性期投与を試み、インターネットを通じてその情報を発信されていました。情報の入手、発信について、詳しい経過を御報告いただけますか。

吉岡 私がアマンタジンについて知ったのは、97年1-2月ごろ、パソコン通信ニフティサーブのフォーラムでの発言と当時の雑誌の記事だったと思います。当時ニフティでもいろんなコメントはありましたが、まとまった使用経験の報告はなかったと思います。98年はフルの大流行で、私の病院でも困りはてて、ニフティでの討論を思い出して文献を探し、思い切ってアマンタジンを使用してみたのが発端です。これほど切れ味の良い薬があったのかと言う程良く効きました。そこでニフティでもすぐ報告しましたし、ある先生からペーパーにする事を勧められ、98年5月日本臨床内科医会雑誌に投稿すると共に私のホームページにも内容を掲載していました。その年は地方会等や地元の医師会の講演会でも報告し、アマンタジンの効果と厚生省の認可を訴えていました。掲載は日臨内の編集者との意見の相違で少し手間取りましたが98年10月、アマンタジンが認可される1月前に雑誌に掲載されました。99年1月の流行の時には地元の医師はほとんど全てアマンタジンの認可と効果を理解していましたので、使用し有効な効果を報告してくれました。個人的にはインターネット上で入会しているML(メーリングリスト)にはお知らせしていたと思います。そのころ五十嵐先生からメールをいただきお互いのリンクを行いました。99年2月にはマスコミの取材もあり週刊文春に取り上げられました。その後インフルエンザについての簡単なまとめや情報をホームページで報告し、今年も続けています。インフルエンザ情報(http://www.bekkoame.ne.jp/~haruki3/inful2.html)
 
高橋 補足します。97年の1-2月にニフティのfcaseで質疑応答がありました。私は学生時代に父の診察室で「抗ウイルス薬アマンタジン」という表示のついたビンを見た覚えがあって(1970年頃)コメントしたように思います。インフルエンザについてはたしかにそれまで国内でも予防的投与についての報告はあったようですが、急性期投与については外国の文献が散見されるのみだったようです。某医師会系MLに吉岡先生が治療経験を書かれたのは98年2月17日のことです。私が実際に使用しだしたのもこの吉岡先生の具体的な臨床経験報告の書き込み以後です。

九鬼 神津先生も早くからアマンタジンの急性期投与を試み、保険適応直後にその有効性をMLに投稿され、ネットを通じた普及の口火を切る役割を担われたわけですが・・。

神津 私が開業したのが1993年、神経内科の専門医ですので、専門性と一次医療が可能なクリニックを目指してスタートしました。1995年頃に、京都大学の福井次矢先生に「かぜ症候群についての座談会」に引っ張り出されました。その時かぜ症候群に対する私の勉強が始まったわけです。その結果が、「今月の治療:1996年第4巻1号」に載っております。ここでは他の先生の処方で、すでにシンメトレルの使い方が載っており、機会があったら使いたいと思っていました。神経内科医としてパーキンソン症候群などに適応のあるシンメトレルは使い慣れた薬でしたが、インフルエンザA型に対しては、自費診療ということで患者さんへのインフォームドコンセントをどうしようかとためらっていました。1997年、98年と、少数の患者さんに使っていましたが、今一つ臨床感覚はつかめていませんでした。この頃から、かぜ症候群の患者さんの症状をグループ分けしてウイルスを特定できないか、という臨床研究を自分でやり始めました。この頃、某検査会社が新規に臨床検査の検体を出して欲しい、といってきましたので、「研究をいっしょにやってくれるならやってもよい」と話したところ快諾が得られ、1998年度の春のインフルエンザB型の流行の時に、ウイルス検査部との共同研究が始まりました(この結果は1999年東京臨床内科医学会で「かぜ症候群にウイルス検索を行う意義について」として発表)。こうした事が、ベースとなって、私の中にあったかぜ症候群に対する臨床のカオスが、シンメトレルの保険採用で、大ブレイクしたというか、あの1998-9年の期間に結実したように思います。吉岡先生の論文は、インターネットで知りまして大変勇気づけられた事を覚えています。という訳で、今回の実地医療研究ML(medpract)と中央医療情報ML(cminc)とで大ブレイクしたあの騒動は、何か、不思議な力が、そこには結集した、という驚きがあります。本当に、面白いですね。

五十嵐 98年12月29日に,神津先生からシンメトレルの情報をmedpractに頂きました。この時ははまだインフルエンザは流行しておりませんでした。このことは下記のグラフからも分かります(http://idsc.nih.go.jp/kanja/weeklygraph/Influ.html)。インフルエンザ様症状の患者が急増したと会員から投稿があったのは、年が明けて99年1月7日でした。その後急速に同MLの会員の間でもシンメトレルが投与されるようになり、他の会員からも同薬剤を実際に使用して非常に効果があることが報告されました。先生方の使用経験、使用基準、副作用や注意点などをまとめ、私のホームページに公開(http://www.win.ne.jp/~igarashi/influenz.html)したのが99年2月2日です。このページをご覧になったのがきっかけでmedpractに入会された医師もいらっしゃいました。

九鬼 「従来のマスコミ」の情報は、どうしても遅れます。インフルエンザ流行のような短期決戦では、間に合いません。こうした場面でインターネット情報の同時性が大きな威力を発揮しうる、という好例ですね。ネット上で広がる医療情報の問題点や特性について、五十嵐先生、いかがですか?

○ネットの医療情報の特性と問題点

五十嵐 ネット上に流れた効果判定のほとんどは、会員ご自身の主観的感触によるものです。私自身は、ベテラン医師の経験や主観は非常に大事だと思います。しかし、evidenceとしては最もランクの低いものですので、一般のコンセンサスを得るのは難しいと言う弱点があります。開業医の先生の中には、患者さんを治療群と対照群に分けて効果を検討された方もいらっしゃると思いますが、完全に無作為に症例を割り当てることは非常に困難だと思います。しかし、MLでは同時に、疫学的に評価された文献的情報を流してくださる先生方もいらっしゃるので、会員一人一人が客観的情報と比較して評価することが可能ではないかと思います。また,ある主観的情報に対し、他の会員が疑問を持った場合、投稿者にすぐに質問することが出来ます。複数の会員で質疑応答することが可能です。それにより情報が信頼できるものかどうかをある程度確かめることが出来るのではないかと思います。少なくとも単なる口コミ情報よりは、結果的には遥かに質の良い情報を得ることが出来ると思います。

神津 「ベテラン医師の経験や主観は・・evidenceとしては最もランクの低いもの」という表現ですが、難しいところです。「ベテラン医師の経験や主観」というのは、実はそのベテラン医師が、ものすごくたくさんの論文を読み、ものすごくたくさんの患者さんを治療してその結果を客観的に評価して、またそれを積み重ねていく、というEBMの手法を実践して得られたものなのです。言い換えると、「臨床医として優れたベテラン医師の経験や主観は、evidenceとしては最もランクの高いものです。」となります。ここらへんの理解と誤解については、中山書店の「EBMジャーナルVol.1,No.1」に詳しく説明してありますのでお読みください。前回のインフルエンザ騒動の時も、そうしたベテランの臨床医が、次々と客観的な事実をインターネット上に積み上げていったわけです。今までは、そうした事実が集計され、考察してrecommendationが出されるまで長い時間がかかり、論文として出る頃はあまり実際には役に立たなくなってしまうのですね。私は、あんなに早くインターネット上で自分たちの臨床経験が検証され、修正されて、確信へと変わっていく経験をして、感動していました。MLによるEBMを時間差なく利用できたという事は、日本の医学史上で初めての快挙だったと思うのです。

五十嵐 言葉が足りなくて申し訳ございませんでした。私が言うランクとは,『米国健康政策・研究局 AHCPR』が定めた「Evidenceの水準」を意識したものです。次のサイトに表があります(http://cortex.med.nihon-u.ac.jp/department/public_health/ebm/app.html)。

牧瀬 Cochrane Review (http://hiru.mcmaster.ca/cochrane/cochrane/revabstr/ab001169.htm)では、アマンタジンは予防的に臨床診断ケース23%(CI11-34%)で、血清学的に63%に軽減。治療としては、1(CI:0.7-1.3)日の熱発減少が認められ、消化器系の副作用が認められ、本来健常成人のインフルエンザAの予防・治療に効果があったという結論です。米国では高齢者などの例で、CDC(http://www.cdc.gov/epo/mmwr/preview/mmwrhtml/00057028.htm)にても合併症予防効果のEvidenceがないと記載されています。特に高齢者などでは充分な検討材料が無く、例えばnumber needed to treat(NNT)やnumber needed to harm(NNH)が十分検討されて無い以上、慎重であるべきだと当時考えていました。今でもそうです。インフルエンザワクチンを高齢者や心肺疾患などでは予防的に使用するのが本来の考え方ですが、ワクチン接種を出来なかった症例に対し予防的にアマンタジンを使用すべきかどうか、またインフルエンザを発症してしまった患者にアマンタジンを治療的に使用すべきかどうか、未だ私自身納得のいく材料の見つからない状態です。ここで、目の前にいる熱発、全身症状のある患者をそのままにすべきかどうか、臨床家としてとても迷う事は確かです。インフルエンザは、もともとSelf-limitingな疾患です。健常成人に対しても1日の熱発のために、アマンタジンを使用すべきかどうか非常に悩ましい問題です。Informed Consentを言われる昨今ですが、臨床家として正確にアマンタジン使用という臨床的な干渉がもたらす利益と不利益を正確に患者に伝え、了解を皆さん得ているでしょうか?あるいは、そのEvidenceを正確に得られているのでしょうか?

安藤 患者さんに臨床的な干渉がもたらす利益と不利益を正確に伝え、了解を得ているか、と聞かれれば、NO、と答えざるを得ません。インフルエンザだろうと思いますので薬を処方しますね、で大方終わってしまい、患者さんからそれ以上の説明を求められることはまず無いからです。しかし、どういう薬ですか、副作用はありませんか、と聞いてくる患者さんも居られます。そういう場合に備えて、事前に情報を仕入れておく訳です。この点、インターネットを始める前だと、医学書や薬学書、わずかな情報提供文書などの、いわば形式的な情報しか入手出来なかったように思います。インターネットを始めてみて、自分でも検索してみたり、各医療系MLでのやり取りから情報を得たり、その方面の専門家と思われる方々に意見を伺ったり、自分で検索しかねる部分について牧瀬先生に助けを求めたりして、活きた情報、実際の臨床に役立つと思える情報を集め、自分の経験に照らし合わせて有用性を判断することが可能となりました。このようなことは、"井の中の蛙"になりがちな開業医にとって、相当に画期的である、と感じております。

牧瀬 アマンタジン使用は医師個人の裁量にまかされ、"こうるさい"患者のみが介入による利益と不利益(副作用)を主治医にただす程度なのが日本の実情ではないでしょうか? 医師の患者への情報は、正確なのかどうか? きわめて怪しいと思われます。O 157やアマンタジンなど医療系MLの果たした役割は、否定すべくもありませんが、情報の正確性という面で、根拠ある情報源を提示しながら情報の交換を行うというのが、医療系の情報を取り扱う場合、参加者皆が念頭におくべきことと存じます。もちろん、個人の経験でも質の高い根拠となることも多いわけだし、重要な情報源である事は当然であると思います。逆にバイアスの無視できないSystemic Reviewの方が質の低い場合すらある訳です(http://www.bmj.com/cgi/content/full/310/6982/752?ijkey=/lyVoKIH7M7pA)。ただ、根拠を明示して議論を行うべきだ、ということです。出典を明らかにしない発言は危険と思います。「私見」であることを明示したり、「私はそう感じてます」と加えることで個人の感想などと判断できるのです。1対1のメールと違って、MLやWebの情報はものを言わぬ多数のBy-Standerがいるわけですから、風説が流れれば危険な状況も起こりうるわけです。これは、医学・医療に限らず、インターネットの原理・原則だと私は思うのです.

安藤 情報が一人歩きする怖さについては、既存の手段を含め、御意!ですね。先の100年間、人間は愚かな戦争をイヤという程繰り返して来ましたけれど、あれって"風説"を止められる叡智が人間に備わっていれば・・・という気がするんです。逆にいうと既存の手段では戦争を止められなかった。さて今度はどうだろう、という興味があります。

高橋 EBMは私たち開業医にもたいへん重要な概念だと思っています。いままで漫然とすすめていた部分の診療について考え直すいい機会を与えてくれるものと信じています。しかしながら、あまりにもこれを突き詰めていくと、斬新なこと、ユニークなことができなくなる可能性が出てきます。外来診療では即答を求められる機会も多く、きっちりと文献検索をしていられない場合もあります。

牧瀬 それはそうですね。ただ開業医はCommon diseaseがSpecialityですし、Common diseaseはレアな疾患より外的根拠の蓄積があるような気がします。最初から完璧は不可能でも、自分の外的証拠の個々への適応というスキルアップが大事では、と思っています。1年前と比べても日本語サイトも随分充実してきたし、表計算ソフトで雛型を作っておけば2×2表、Mantel-Henzel法、分散に基づく方法もさほどの時間は要らなくなってきています。(EBMについては別項参照)

九鬼 簡単にまとめます。MLでの双方向的公開的で地域や学閥を超えたやりとりも考え併せますと、インターネットでは、「従来のマスコミ」的医療情報に比べ、より多様で開かれた情報、双方向的でダイナミックな情報を流通させる可能性がある、といえるでしょう。孤立的、閉鎖的な情報環境に置かれやすいのが開業医の宿命ですので、インターネット情報の価値は開業医にとってそれだけ高い、とも言えると思います。ただし、これはあくまでインターネットの器(media)としての「可能性」であって、実際にどのように活用するか、という点では、たとえばMLのメンバー構成や個々の参加者のリテラシーに依存するところが大きいという点が、牧瀬先生が指摘された問題であろうかと存じます。

本田 MLの情報の特質は、日常診療のきめ細かいニュアンスが拾えるということですね。こういうメディアはなかった。ネットでは情報の蓄積性、加工再利用性、同報性、双方向性がメリットだと思います。


医療報道とインターネット

○問題報道はなぜ生まれるか?


九鬼 これからの討論では、「従来のマスコミ」を新聞、テレビなど一般向けのマスメディアに限定して話を進めます。医療をめぐるマスメディアの報道には、医療側から見て問題のあるものが多い。MLでは医師からの報道批判がしばしば掲載されるし、医療側の主張を掲載したウェブサイトも少なからずありますが、なかなか一般向けマスメディアの大きな影響力に太刀打ちできません。

本田 今回の診療報酬改定の過程では、開業医の収入が高いということでマスコミのバッシングを受けた。ところが,ほとんどすべての記事が故意か知識不足かわからないが、個人事業主の事業所得とサラリーマンの給与所得が同じであるという誤解に基づいて書かれていた。開業医は金持ちか? (http://www.hmf.gr.jp/kaiaku/db/messages/181.html)。

九鬼 記者としての体験から振り返ると、こうした報道の原因は「故意」ではなく、いわば「構造的無知」によるものと考えます。「構造的」という意味は、記事を書いた記者個人の資質や努力不足だけに帰することができないからで、具体的には、下記のような問題があります。☆個々の記者は1,2年ごとに持ち場が変わるので専門性をもてない。☆個々の記者だけでなく、デスク、部長も含めて、いわば世間の「常識」以上の専門的知識は持ち合わせないことが多い。☆医療に関しては、先端的医学を科学部が、制度を政治部が、事件や事故を社会部が、という具合に分担しており、それぞれが役所以上に「縦割り的」「縄張り主義」で相互の協力もチェックも働きにくい。・・・・などなど。

高橋 もし構造的無知ということが主たる要因ならば、誤った報道というものは平均的に出てくるはずだと思います。しかし、日本医師会から誤報訂正の要求をもらうマスコミには偏りがあります。また不正請求に関する誤報を国会で否定されても訂正しないという傲岸さは、CMの体質にも出ています。「これを読んでいれば、大丈夫」でしたっけ?

九鬼 「構造的無知」という言葉が不十分だったかもしれません。わかった上での「故意」ではない、ということです。故意の要素は、場合によってあると思います。たとえば、不正請求のキャンペーン。ああいうキャンペーン記事は、ある程度チームを組んで、全体の方向性を決めて取材や執筆をしますから、その意味で「故意」です。しかし、本人たちは故意に誤ったことを書こうと思ってはいないし、方向が誤っているとも思っていない。無知に基づく確信犯なんですね。どうしてこういう無知が、或る社では続いてしまうのか、というところが「構造的」です。「文化的」といってもいいかもしれない。某A紙には、医師免許を持った女性記者がいます。しかし彼女が書いた記事は、「医者の肩を持ちすぎだ」と言って、なかなかデスクを通過しないと聞いたことがあります。こういう中で、職業的に新人として教育されると、その社で通りやすい記事を量産するようになる。こういうことは、どこの社にも、どこの社会にもあると思います。そういうレベルの問題のように私は思っている、ということです。

平田 私の意見は若干違います。無知を看過しやすい構造にあることは間違いないと思いますが、本質的には記者やデスクの資質が大きいと思います。一年生記者が発表数字を鵜呑みにした記事を書いても、チェックできないデスクは失格だと思います。少しでも良い記事を書こうという意識が希薄なのでしょう。

九鬼 ああした記事を書いているのは、記者一年生ではなく、数年間のトレーニングを終えて「一人前」として本社にあがった記者のはずです。デスクも部長もチェックできていないし、掲載されたことに対して社内的に問題とされず、デスクも部長も責任を問われたという話は聞きません。であれば今後も同様のことが繰り返されるだろうと予想され、それが「構造的」と考える所以です。

本田 結局、万年新人とデスクだけのチェック機能しかない。ブレーンストーミングというかそういうシステムはないのですね。新聞社は専門家集団なのですからある意味で、専門家同士の複数のチェックが入ってよい。そういう意味では縦割り組織の悪弊がある。確かにきわめて日本的な組織ですか。人のことは言えない?

平田 開業医の収入に関する記事には、もう一つの欠陥が見られます。数字にこだわりながら、数字の持つ意味を考えようとしない。平均値だけで鬼の首をとったように強引な論旨の展開をすることです。平均値は必ずしも母集団の特性を反映しないこともあるくらい分かりそうなものです。10人中9人の年収が1000万円だとしても、1億円かせいている人が1人いれば、平均値は1900万になり、他の人の2倍近い数字になります。一方、総理府が発表する消費と貯蓄に関する世論調査の記事などを見ると、平均値だけでなく中央値も紹介されている。少しは数字の意味を考え、常識を働かせた報道もされているわけです。構造的な欠陥があるにせよ、まともな記事もあるわけで、私が個人の資質の方を重く見た理由はそこにあります。もっとも、この点については医学論文でも母集団を無視した平均値の検定なんかが見られるので、無知なのは記者だけではないようですが。
 
九鬼 これも個人の資質の問題と考えてはまずいと思うのです。数字の意味を理解して書かなければいけない、という教育がなされていない。むしろ鬼の首をとったような「正義感」に訴える書き方が記事として通りやすい風土がある。

平田 ご指摘のような風土があるのは確かだと思います。ただしこの例で言えば、まともなデスクや部長が一人いれば事態は改善できます。人事異動があってもまともなデスクが3人続けば、部全体もまともな感覚にできると期待しているのですが。「構造的欠陥」というと個人の努力では解決不可能な問題というイメージが強い。確率分布やカイ二乗検定のような話なら、大学で統計学を選択しなかった記者のための研修システムを組織として考えるのがベターでしょう。ですが、平均値、中央値、最頻値は中学校の数学で習う話です。記者の資質を問う前に、社会人として常識だろうという感覚がありました。ただ振り返って考えると、私自身知り合いの先生から、「学会発表や医学論文って間違いだらけだから、注意して読まないと間違った記事になるよ」と忠告してもらうまで、あまり意識していなかったことでした。

本田 医療と同じく紙面の質の向上を、どうやって図るか? クオリテイペーパーをどうやって作るのか? 各個人の質の向上と社の文化をあげること。各個人の資質を上げるというだけでは変わり得ない。ちょうど、医師会の理事をやる気のある方で固めようというのと同じ。もともと医師会で理事になるような方はやる気のある方に限られる。構造論で迫らないと無理か。まさしくEBMの手法を学ぶ。組織を変えるにはどうするのか。
1)社でネットワーク組織を作る。医療界と同じですね(http://www.orth.or.jp/Isikai/content/21seiki.html)。
2)ニュースソースを各分野にもつ。ネットワークの参加者を多種多様にする。同時に、災害にも使えるゆるいメーリングリスト。要するに各地域コミュニテイをしっかり作ること。(http://www.orth.or.jp/Isikai/content/tiikicom.html)。

○ジャーナリズムとの接し方


九鬼 記者に問題があることは確か。ではそうした記者と、医療者としてどうつきあうか。これに関しては神津先生がかねてから、ジャーナリストを育てよう、という御趣旨の発言をネット上でされていると思いますが、いかがですか?

神津 某A新聞の記者も、某国営放送のN局の記者も、全てデスク、という関門を通らなければなりません。記者は、我々の意見を本当に真剣に聞いてくれます。また、共感してくれてもいます。しかし、いったんデスクを通すと、「悪いな、社会部の原稿が増えちゃって・・・、枠がなくなっちゃった。」「こんなもんじゃ、読者は読まんよ。」「もう筋書きは出来てるんだ!その線で書けなけりゃボツだ!」みたいに言われるのです。特に医療関係のものはいつも字数の埋め合わせみたいに扱われる悲哀を感じているのです。また、「芸能○○」とか、「週刊○○ボーイ」とかいうところからの取材も、殆どがフリーの記者や零細の独立プロのような事務所に所属していて、出版社に委託されて記事を納めているのです。ところが、医者の方はそんなこととは露知らず、「出たって一行、出たって15秒じゃないか・・・」「そんな下品な新聞や雑誌なんかに載せられるのはイヤだ」「どうせ医者叩きの記事にするんだろう」などなどの先入観から、若い記者の取材を断ったり、怒鳴りつけたりする人がいるのです。また、教授、と名前が付くと、新米教授にはご祝儀に小さな学会の会長や研究班の委員長などが回ってくるのですが、それについての取材が入ると、えらぶって「フン」という態度で記者に接したりする人がいるのです。こうしたことを、若い記者のときに経験すると、最初は驚き、次に怒りとなり、最後には「医者嫌い」「医者叩き派」に傾いていくのは当然だと思います。つまり、今のマスコミの医者叩きは、こうした積み重ねによって起きてきた、当然の帰結で、今までのパターナリズムで押し切ってきた先輩医師達の、言わば「自業自得」なのです。こうしたことを、我々の世代はしてはいけません。どんなつまらないことでも、相手は素人ですから、きちんと医学、医療のことを教えてあげなければなりません。若い記者は、まだ、どんな色にも染まっていません。我々と同じ気持ちになれるのです。実は、我々もそうですが、いつまでも若手ではいません。そのうち、自分がデスクになる時が来るでしょう。その時には、本当に国民や地域社会に必要な、感情的でも煽情的でもない、ニュートラルなインフォメーションを我々と一緒に発信するようになるだろうと思っています。そうした、正しい姿勢のマスメディアを、正しい姿勢で医療を行っている我々が、大いに協力して育てていかなくてはならないと考えています。

九鬼 基本的なスタンスとして、良質のジャーナリズムを育てようという視点、共感を生み育てるような姿勢が大切、というご指摘と受け取りました。神津先生のメールには署名欄に「いつも心に太陽を!」という言葉があるのですが、金大中の南北政策にも通じる「太陽政策」ですね。これには賛成です。基本が「指弾」、あるいは我々の主張のために「利用」しよう、ということでは、決してよい関係は生まれないと思っております。

中川 批判のための批判は、建設的ではないですよね。ただ、残念なのは新聞協会のかたくなな姿勢です。かつて新聞労連の執行部の末端にいて聞いた話ですが、業界団体で苦情窓口を作った放送メディアと異なり、 新聞協会はそのような考えがないようです。戦前の苦い記憶から、何ものにもしばられないことの意義は分かりますが…。でも、自浄作用を働かせる努力はしてもいいと思うのです。「犯罪被害者保護」とよいしょしていますが、被害者保護をないがしろにしてきたのはメディアではないですか。

九鬼 私は朝日新聞のコラムで、「ネット記者クラブを」と呼びかけたことがあります。医療の当事者と、医療を担当するジャーナリストが参加するMLを想定していました。ML上で、医療者側は、こんなことを取材してほしいとか、この記事(番組)はおかしい、と直接に医療担当記者に呼びかける。ジャーナリスト側は、こんな取材をしたいのだがどうか、あるいは、この問題をどう考えるか、と医療関係者に投げかける。あるいは、あるべき報道について議論する。こうした場をつくっていく必要があると考えたのです。一般の臨床医とマスコミとの間には「回路」が存在しません。記者としての経験からすれば、開業医は「見えない」のです。見ようとすれば、とりあえずの窓口は学会か医師会くらいしかない。

中川 開業医とのチャンネルは「医師会」しかなく、医師会は、やむを得ないところはありますが、常に圧力団体として登場することが多く、個々の会員である開業医の姿が見えてきません。九鬼さんの、ネット記者クラブの記事を見て、ふむふむと思ったものの、まず自分からMLにメールを書くということに慣れないと、難しいだろうなと思いました。救急医療ML(eml)でも、日本地震学会・なゐふるML(nfml)でも、マスコミの人は何人も加わっていますが、自分をさらして議論にはいることに躊躇する人が大半です。そういうことにマスコミ人は慣れていない。いつも名刺の向こうに自らを隠しているから。

九鬼 越智先生が管理され、中川さんや神津先生、安藤先生も参加されているemlでは、マスコミ人と医療人の間で、かなりの議論が交換されていると聞きますが?

越智 eml での論議の一部は以下のペ−ジで公開されています。「救急医療メモ(救急医療メーリングリストの話題) 」(http://ghd.uic.net/jp/ems/memo.html)。マスコミ関係の論議としては以下のものがあります。「NHK脳死報道に関する疑問」(http://ghd.uic.net/99/j6hodo.htm)。

九鬼 NHKの脳死報道を巡るやりとりを拝見すると、まことに丁々発止、医療に直接携わる人間と、それを報道する人間の対話が確かに実現しているわけですが、それは報道の質の向上、あるいは問題のある報道の抑制に向けて、どの程度力を発揮していると思われますか?あるいは、発揮しうると思われますか?

越智 eml での論議が報道の質の向上に役立っているかどうかはわかりません。ただ、"公共放送" NHKが率先して脳死移植報道の過熱をあおり、ドナーや家族が特定されることになる報道を行ったことに対して救急医、(海外での)移植経験者、移植コーディネーターなどがノーという場があったことだけは、わずかに慰められることであったと思います。このような報道姿勢が(メシの種としてではなく)社会正義の実現のため、あるいは市民がその報道を望むからという理由付けをメディアの人がしても、私共にはとても納得がゆきませんでした。ML内での論議は結局のところ、どちらも納得はしなかったと思います。メディアの心の中に多少なりとも「良心のうずき」のような感情が湧いたとすれば、それが精一杯の収穫でしょう。特ダネを書くことが記者の存在意義だとしても、その活動が度をはずれたものであれば、患者さんやその家族を守るべき立場の私共にとって、許すことはできないと思います。

九鬼 記者教育の中で、公的、私的に、常にプレッシャーとして強調されるのは、「特ダネを書け」「特オチは許されない」です。一般市民の感覚と遊離したところがあるのは記者も痛感しているのですが、なんと言っても特ダネを書かない記者はネズミを取らないネコ。特オチにいたっては、ネズミに食われるネコ扱いです。 

中川 しょうもないネタで抜きあいをするんですよね。いずれ確実に発表される話を、ちょっとでも早く書く。通信社なんか、分単位での勝負がある。延々と続く大事件なんて、書いている記者同士しか、それが特ダネだって分からない。もう完全に内輪受けに近い話で、読者を意識するより、デスク・社内を意識しての仕事になっちゃう。

○インターネットとマスメディアの将来


九鬼 記者がどれだけ社内ではなくて、もっと広い大きなものを意識して仕事できるか。これも個人の努力資質と、システムと、両方から見る必要があるでしょうね。今はマスコミも基本的には終身雇用だから、社内向けを強く意識して生きざるを得ないようなバイアスが強いと思うんです。ただ、中川さんのMLなどでの活動ぶりをみると、新しいジャーナリスト像につながるものを感じますね。

安藤 インターネットの普及によって、従来のマスコミの方々も、今まで受け手であった方々も、現場の生の情報に、空間的にも時間的にも、より幅広く接する機会が増すのかな、という気がします。そういう意味でインターネット、MLという手段を、従来のマスコミの方々が、"取材"という面でこれからどのように活用して行くんだろう、というところも私にとっては興味あるところです。

平田 インターネットは極めて便利なツールで、今更これがない時代に戻りたくはありません。ただし、記者としての仕事の本質は、インターネット以前と何ら変わっていないと思います。読者に変わって取材をし情報を集め、問題点を整理して分析結果を付け加えて情報を還元する。この情報を集める段階が飛躍的に便利になっただけ、というのが私の感想です。話が戻るようで恐縮ですが、インフルエンザを例に取りましょう。高齢者施設でインフルエンザによる死亡者が集中した例がありました。誰でもすぐに思いつくのは、予防接種法の改正で学校での集団接種義務がなくなったからではないか? という仮説です。ところがインターネットで国立感染症研究所のデータを調べてみると、流行定点観測の数字は例年と大きく変わっていない。すると他の可能性も考えておかなければならない。ウイルス株に変異はないか? A香港とBなどの重複感染が多かったのか? たまたま感染対策を怠っていた施設で発症したのか? 診療報酬のしわ寄せで入院期間が6カ月を過ぎたお年寄りがその施設に集中していたのではないか? などいろいろな条件仮説が考えられます。さらに対策面でもインターネットを通じて得たデータに目を通しておいてから専門家への取材にとりかかれるわけです。

山野辺 インターネットのホームページはよく言われるように、誰もが情報発信できる点が利点でもあり、欠点でもあります。情報の重要性、正確性が読者からは判断できない。その点は今後マスコミが再評価されるものと思います。情報をふるい分けするという役割が増していくのかもしれません。医療関係の報道と言う点では従来あまり評判の良くなかったマスコミですが、情報の氾濫するインターネット時代には、フィルタリングの機関として、その役割と重要性がクローズアップされてくるものと考えます。これからのマスコミは、従来の権威依存型の取材でなく、インターネットをうまく利用して多様なソースから情報を入手し、それを消化する能力が問われるのではないでしょうか。

中川 取材のオリジナルソースがネット上にあるケースが増えています。署名記事化とともに、オリジナルソースや関連ソースのアドレスを記事に付ける時代がまもなく来るだろうと思います。その時に、マスコミも真価が問われると思いますし、オリジナルソースの公表の仕方も真価が問われます。

九鬼 マスコミとインターネットが相互に影響しあって互いの姿を変えていく、ということですね。

中川 情報の受け手の目が肥えてくるんですよね。かつてはオリジナルソースは、特権階級であったマスコミのモノだったわけですが。それを一定の専門知識を持った人も含め、一般の人も知ることができ、その目によってマスコミも、インターネットでの情報発信者もしごかれることになると思います。


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