九鬼院長、受験雑誌『Azest』のインタビューに応える!!


☆下記の原稿は、増進会出版社の雑誌「Azest」2000年12月号に「特集 就職ってなんだ!? 〜働いている人の声〜」の一部として掲載された記事を、同社の了解を得て転載したものです。質問者・執筆者は、九鬼院長の大学の後輩に当たる女性記者さんです☆

−最初に入られたのはICUですよね.
 「18才当時の受験ではね.高校の頃,先々職業として何をするかについてはっきりした見通しがなかったんです.まあ,医者も考えないではなかったんですが,今一つ確信がもてなかったんで,あんまり決めなくてもいい形の大学に行きたかった」
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18才の頃のこと
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 「普通の大学にいくと将来が非常に絞られちゃいますよね.とくに理科系では,将来何をするかはやっている研究によってだんだん絞られていくようにできている.でも,僕には研究に興味はあったけどそれで食べていくんだっていう確信もなかったし,いろんなことに興味があったから,いろんな可能性について余地を残しておきたかった.ここなら,一応生物学専攻でしたが,いろんなことに首を突っ込んでいられるし,いろんな先々の可能性について残しておけるだろうっていう感じがあったので,ICUへ行きました」

−卒業後は朝日新聞社へ入社された.
 「ICUで5年間いろんなことに首をつっこみましたけど,それじゃこれだっていう確信がもてるものは見つからなかった.その当時就職以外の可能性として,生物学関係の勉強をもう少し続けようかと思って,実は農工大の自然保護学科の大学院にも合格してたんですけど,大学院に行って教育者か研究者かになることにはもう一つ自信がもてなかった.だからといって,どういう業種がいいっていうものがなかったんですよ」
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新聞社にて
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 「その中でマスコミはいろんなものが見ていられて,いろんな人に会えて,いろんなことが考えていられるんじゃないかという,一種の学校の続きみたいなイメージが僕の中にあってね.実際そうでしたが,それならやってみてもいいんじゃないかと思いました.
 ICUは教養学部,アメリカ流でいうリベラルアーツカレッジで,これは本来専攻を決めて専門的な研究を深める前段階として人間的な教養をつくるところなんですね.変な言い方だけど,僕にとってジャーナリズムはリベラルアーツの大学院みたいな感じだったかもしれない.僕の場合は,大学だけではリベラルアーツカレッジが終わらなかったっていうことになる」

−新聞社に入られて,最初はどのようなことをなさっていたんですか.
 「新聞社では,最初は必ず地方へ行って全部のことをやります.地方の支局は10人ほどの人数でその県のすべてをカバーしますから,新聞社の中でいう政治部・社会部・経済部・学芸部・運動部,それが全部ミニチュアであるようなものです.だから社会部的な仕事も政治部的な仕事も全部いろんなことを小さな規模でやる.その中で本人はそれがどんな仕事なのかを体験するし,上司もその人間がどんなことに向いているかを見るんです.それを朝日新聞では2ヶ所で,だいたい4年から6年やります.僕は盛岡と横浜で4年間過ごして,その後学芸部へ移って家庭面のページを担当しました」

−医学部を受ける際に富山医科薬科大を選んだのは,記者時代に知り合った教授のお誘いがあったからとか.
 「僕はもともと東洋医学に興味があって漢方がやりたかったから,日本の国立大学の医学部で唯一漢方医学を扱った講座のある富山医薬大が第一志望だった.もう一つには,僕は数学や物理が苦手でね.初夏の頃に再受験を決心して,2月の受験までに僕のできる勉強の範囲の中で受験できそうな学校の中では,富山医薬大は何とか手の届くところにあったこと」
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医学部を選ぶ
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−他の大学にしようかな,と思った時期はありましたか.
 「それはね,あの頃も学士入学を取っている医学部がいくつかあって,国立では阪大がやってたけど大学院レベルの入試だったから,もう頭っから考えられなかった.だけど,私立で東海大学がやっていて,受験したら合格したんです.何年次に編入されるかは人によって違うんだけど,僕の場合は確か2年次でした.これは1年スキップできる代わりに,学費がものすごくかかる.迷いましたよ.悔しいことにあれは国立大学の入試の結果が出る前に入学金を払い込まなくちゃいけないんだよね.迷いに迷って,泣く泣く入学金を払いましたよ.これは今でも口惜しいですね.うん百万円,かき集めて納めました.国立大学は受かるかどうか,ぎりぎりの線だと思ってたんです.国立に入れなかったら行くかなと思って納めたんだけど.
 今から振り返れば,行かなくてよかったと思う.お金がある人はいいけど,そうじゃないと借金地獄だよ.医者になってからそんなにお金が入るわけじゃないから,僕の場合は行かないでよかった.後は国立は学費の面からいえばどこでも一緒で,富山医薬大はすごく特徴があったから行きたかったけど,他は入れてくれれば何大でもいいと思いました.偏差値の問題と,どこで暮らすかっていう問題から琉球大学を受けましたが落ちたんで,まあめでたく富山医薬大に行きました」
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医師というお仕事
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−最近は研究医を目指す方が多いのですが…
 「僕は医学部にいくときに研究者っていう選択肢は念頭になかったけど,そういう道もあるのは確かですね.あるけれど,臨床医の道よりもっと厳しいと思うよ.すごく乱暴なことをいえば,臨床医は競争じゃないから一定のことができればいい.失敗は許されないけれど,「普通」ができればそれに意味がある.だけど研究だと普通では意味がない.他の人のやらない,新しいことをしないといけないじゃない.しかもそれがうまくいくかどうかはやってみないとわからないし,それも競争の中でするわけだから,要求される水準が無限大になる.これは大変じゃないかな.だけど,そういう野心のある人が必要だよね.それぐらいの人がいなきゃ困るだろうな」

−実際医師の仕事をはじめてみて,医学部に入る前に想像していたことと違う点があれば挙げていただけないでしょうか.
 「それは,「医者は儲からないよ」とは聞いていたけれど,開業医はもう聞いてた以上にお金は入らないこと.大変だっていう話は聞いてたけど,聞いてた以上に大変.いくらいっても外部の人には本当に伝わらないみたいだね.医師って憧れの職業みたいなところがあるのかな.「そんなに貧乏なわけないだろう」と言われるけど,普通に,まともにやっていると本当に収入は入らないよ.経済的なことをいうと新聞記者をそのまま続けてた方が全然楽で収入がいい.「医師になったらある程度お金に困ることはないだろう」と思っている人が多いみたいだけど,結構困ると思うよ,本当の話.研究中心だともっと大変.なかなか信じてもらえないけど」

−収入が減る分は仕事のやりがいで補えるでしょうか.
 「そうね.そう思わなきゃやれないでしょ.研修医の頃から死にそうにやってる間も,気持ちのうえではとっても幸せでした.自分で選んで苦労して,学部の6年かけてやっとそれが実現して,自分がやろうと思っていたことだけやって24時間過ごしている,何て幸せなんだろうって思っていたね.体的には苦しかったけど」
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自営業として
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 「開業医はまた違うところがあってね.医者の仕事だけ考えているわけにはいかない.勤務医の間は,患者さんを相手にして患者さんに何がしてあげられるかっていうことだけを考えていられるんだよ.開業医は医院の経営者としての側面をもたなくてはいけないからね.自分だけ食えればいいわけじゃなくて,ここで働いている人達に対する責任もあって,経営を成り立たせていかなければならない.その方が苦しいっちゃ苦しいけど,楽しいっちゃ楽しいね.別の面白さがある.
 会社員・勤務医は組織の中で,そこの経営がどうかに無関心でいられるし,関心をもっても本当のところを知ることはできません.自分が置かれている環境について知らなくていいっていう楽さと,逆にいいかげんさがある.一方,開業医は自分がやっていることの経済的な側面まで全部考えなきゃいけないから,大変.大変だけど,自分のやっていることについての見通しとかを自分の責任で判断できる,そういう面白さがある.医者の話というよりは自営業の話になるけどね」
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研修医の時代
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−医師免許をとった後の研修はきつい・苦しいと聞きますが,実際に研修医の時代はどういう感じでしょうか.例えば時間的にどれくらい拘束されるのでしょう.
 「24時間365日.ずっとですね.毎日体力の限界まで,過労死するかもしれないと思いながらやってました.人によってどこまでやれるか違いがあるけど,皆が自分自身のぎりぎりまでやっているんでしょうね.若かったら楽にできたかっていうと,若かったら若いなりに限界までやるから同じだと思う.研修医のときは忙しい中で,忙しくしているだけじゃなくて,いろんなことを身につけたり勉強したりしなきゃいけないわけでしょう.もうぎちぎちで,死にそうになってやっているだけだよね」

−「若いうちの方がいい」と思ったことはありましたか.
 「そういう死にそうなほど大変な中でやっていって,伸びて行く余力があるのは若いうちでしょうね.研修は別に試練のためにあるのではなくて,研修を通していろんな技術や知識や経験を身につけていくためにあるのだけど,年取ってると同じことをやってもやっぱり若い連中のようには伸びていかないですよ」

−若い方より伸びが遅いのは勉強するなどしてカバーするのですか?
 「カバーなんてできないですよ.医学的な知識や技術について,若い人に太刀打ちなんかできないです.同じようにやれるって思ったら幻想だと思う.そこはもう,別のことを生かすよりしょうがないと思いますよ」
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再受験生なりのやり方
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−別のことというのは今まで身につけてきたことだと思いますが,たとえば先生ではどういうことでしたか.
 「一つにはね,医者の仕事も人間に会って人間から話を聞き出す仕事なんですよ.僕の場合はそういう場面で記者のときに身につけたものが完全にそのまま役に立ってる.若い人たちは卒業するまで,大人とか年寄りに一対一で話を聞くことがないじゃない.研修の間には,医者としての判断とか技術とかを身につけるのと平行して,人と会ったり人と話をしたり,そういうコミュニケーションの技術も身につけなきゃいけないけど,そこの部分はまったく誰も教えてくれないんだよね.記者だって教えてくれないけれど,10年以上仕事すれば身につくこともありますから.
 後は,若い人の場合,医者になってどんな分野を専攻してどんな仕事をするかについて,具体的なイメージをもっていない人がほとんどですよね.僕は一般的な内科医としての研修で若い人に太刀打ちできたとは思わない,同じことをやったらこちらの息が上がるに決まってるんだからね.だけど先々いって何をやるかっていうことは医学部入って一年生のときから決めていて,先回りしていたわけです.
 僕は東洋医学に興味があって,医学部の一年生で若い子が遊んでいるときにはもう漢方の勉強を始めてた.そういう自分のためのカリキュラムをつくらないと太刀打ちできないと思う.今の医学部の教育なり実習は若い人を何でもできる医者に育てるためのカリキュラムだから,それに乗っているだけでは僕らは間に合わないと思うんです.自分で何歳になったらどういうことをやろうか,あるいは卒業して研修した結果どんなことをやろうかについて,相当はっきりした考えやイメージをもって準備していかないと,ただ落ちこぼれるだけかもしれない.
 今,医学部の学士入学って増えたでしょう.僕らのときも富山医科薬科大は一度社会に出て再入学した人が割といたけど,やっぱり途中で落ちちゃう人はいるんだよ.留年して来なくなっちゃうとかね.あと卒業はしたけれど国家試験に受からないから国試浪人を延々と重ねてしまうとか.国試を受けるまでに6年以上かかっているからもうやり直せないと思って5回目6回目と延々受けるんだけど,最初の1,2回で受からない人ってずーっと受からないことが多くて,これはかなり厳しい」

−一度社会に出た経験を生かして,先々を見据えて手を打つ必要があると.
 「一つはそういうこと.若い人は余力があるから,医学部に入ってもあまり勉強せずに劣等生を自任して,クラブ活動に精を出している人が多いんだよね.それは,卒業してからでも追いつくからなんだよ.若い分,時間の余裕もあるし,体力・知力の余裕もあるからね.でも僕らはそうじゃない.だから僕は医学部在学中,もう勉強ばっかり一生懸命やってましたよ.若い同級生とは違う時間の使い方なり違うコースを考えないとね」
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再受験生へ
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−学士入学を目指す人へのメッセージをお願いします.
 「僕は,とくに何年か長い時間仕事した人は,今の仕事がうまくいかないから医者にっていうなら止めた方がいいと思うんだ.これをどう受け取るかは人それぞれだと思うけど.
 今の仕事でうまくいかないにはいろんな理由があると思う.たとえば組織の中での人間関係がうまくいかないっていうなら,それは医者になろうとしても難しいですよ.まず医者になるまでがしんどい.医学部は6年間100人くらいの小さな閉鎖的な集団の中でずーっと勉強していきます.自分より年下の連中の仲間に入って6年間うまくつきあっていかないと,結局落ちていっちゃうんだよ.また医者になると,相手にする患者さんはものすごくいろいろな人達だし,丸々24時間を普通の会社よりずっと狭い中で仕事するんだよね.そこでは,上からも周りからも看護婦さんからもがんがんいわれて,逃げ場所がないんです.だから相当人間関係がうまくやれる,柔軟な人でないとやり通せないと思います.
 反対にいうと,前の仕事で成功体験をもっていると必ず支えになる.僕だって記者の世界から見れば落ちこぼれかもしれないけれど,でも自分はこれだけのことやったんだっていう一種の満足感は持っている.たとえば営業の仕事でも,どうやったらうまく交渉できるのかをつかめば,絶対医者の仕事に結びつく.だって医者の仕事で,人を説得すること,相手をその気にさせることっていうのはものすごく大事だもの.
 成功体験をもっていた方が絶対にいいし,成功体験で総括できないのならその仕事を辞めない方がいいと僕は思う.仕事で成功して,その成功を生かしてやるんだっていうつもりで医療の世界に入って行ってほしい」
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医学部を目指す人へ
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−まだ受験生で医師を目指している人に,アドバイスをお願いします.
「理科系の点数がいいから,親とか先生から入れるんなら医学部に入りなさいっていわれて,なんとなく入ってきちゃう人,いるんですよ.止めた方がいい.本人も患者さんも一緒に働いている人も辛いから」

−本人も辛いんですか.
 「だって医学部の勉強も医師の仕事も,すごくしんどいからさ.しんどいから,どうしてこんな向かない仕事をっていいながらやることになってしまう.成績がいい人だから,いろんな意味で能力も柔軟性もあるから,それなりに実習や仕事をこなせるんだけど.人間何が辛いって,24時間拘束されているからとか,24時間働いているからとか,体力の限界までやらなきゃいけないからとかじゃないんだよ.「何で自分が本当にやりたいことじゃないことをやっているんだ」って思う,それが辛いわけだよ.
 それでも楽な暮らしだったらそんな悩みに直面しないで済むけど,医学部に向けてあるいは医学部に入って勉強している間も,勉強して医師になった結果も楽じゃないんだから.医師の仕事に本当に確信を持てないんだったら止めた方がいいっていうことさ.
 他のことをやってからでも医者になれる道が今は開けてきているんだから,本当に確信がないんだったら医師になるのは他のことをやってからでも大丈夫.でも,医者の道を目指してから他の道へ行くのは難しい.医学部に入って,どうも違うからやっぱり会社員になろうっていう方がずっと難しいと思うんだよ.医学部にいたら,就職の案内なんて一通もこない.だいたい医学部に就職部はないから,就職の斡旋も誰もしてくれない.
 僕の知っている人で医学部にいったけど医者はやっぱり嫌だって新聞記者してる女の子がいるけどね,医学部に入ったことを他のことに生かしてやろうっていうのは面白い発想だけど,そういう発想ができる人って,そうそういないでしょう.
 医師っていう職業は,失敗すればもう,消えたくなるくらい本人も落ち込むし,周りからも非難されるし,裁判になるかもしれないし,確信なしでやるには辛すぎる仕事だよ」

−「何でこんなことをしているんだろう」という人は,雰囲気でわかってしまうものですか.
 「そう.医者はしんどい中でも元気そうにしてなきゃいけない仕事なんだよ.相手は病人ですごく元気がなくてこちらからどんどんエネルギーを奪っていくから,自分の中である種のエネルギーが沸いてこないといけない.「しんどいけどやっててよかった」って思いがなきゃ,そのエネルギーって絶対湧いてこないんですよ.看護婦さんを見てても,大変な中でも楽しそう,つまり自分がやっていることに誇りとか自信とか喜びとか,本質的な動力を感じながらやっている人は,見てるとわかるんですよ.
 そうじゃない人は周りのエネルギーを吸い取っていく.患者さんが吸い取っていくのはしょうがないんだけど,医療を担当する人がそういう存在であってはいけないんだよ.
 だから,自分が「お金もなくてすんごい体もきついけど,やっててよかったな」って本当に思えるかどうか自問して,自信がなかったら自信がついてからにしてください」
−ありがとうございました.