タイトル

壱、織田信忠様之事

この人の評価は不当に低い。1582年の武田攻めでの武功は、家臣あってのものとされるのである。ちとかわいそうだ。無能であれば優秀な家臣あっても功はあげられない。長久手の戦いにおける豊臣秀次がそうだ。彼も、当時は、大大名・・・天下人になる人間の・・・世継ぎだ。有能な木下利直・利匡兄弟を戦死させといてか割に池田監物をくださいと秀吉に言う始末だ。それに比べて信忠は、家臣のおかげでも武功をあげている。佐久間信盛は、有能な家臣を召し抱えないため追放された。家臣は信長がつけたものではあるが、家臣のゆうことをきかずとも、何事も出来る信長と比べられては可哀想である。
徳川秀忠は、2代目としてそれなりの評価を得ている。しかし、2代目の多くはいい評価を得ていない。毛利隆元(早逝)、武田勝頼(武田家滅亡)、豊臣秀頼(豊臣家滅亡)・・・・ 中には本当に愚鈍な奴もいるが、初代の威光をそのまま受け継げるくらいであれば、それで合格ではないか。

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