意気消沈とはこのことだ。GW直前のこの日、高輪プリンスホテルからの帰路、品川駅のホームにたたずむ私は、他人が見たらいまにも電車に飛び込みそうなぐらい落ち込んでいたことと思う。この日、「ワインエキスパート」の上位資格である「シニアワインエキスパート」の試験を受験した私だったが、会場の雰囲気と慣れないマークシート方式の回答方法に戸惑い、ブラインドテイスティングの試験で4問中3問不正解という痛恨の大失敗。テイスティングの試験では品種を当てることが必ずしも決定的な要素でないとはいえ、受験後の印象としては、合格は厳しいかなあ、という感触だった。
筆記試験の分野については、4ヶ月間かなり根を詰めて勉強したこともあり、9割以上正解出来たはずだが、試験の方式に即したテイスティングの準備を怠ったのはまったくもって油断以外の何モノでもなかった。
というわけで、いきなり冒頭から重苦しい雰囲気になってしまったが、「シニアワインエキスパート」受験の話を続けるまえに、前段として、まず私がもともと保持していた「ワインエキスパート」という資格について整理してみたい。
■ワインエキスパートとは、どういう資格なのか?
現在(社)日本ソムリエ協会が実施している試験には、ソムリエ、ワインアドバイザー、ワインエキスパートの呼称資格試験がある。
資格名 職業 職歴
一般 ソムリエ協会会員
ソムリエ ワイン及びアルコール飲料を提供する飲食サービス業 通算5年以上 通算3年以上
ワインアドバイザー 酒類製造及び販売(コンサルタントなどの)流通業 、アルコール飲料を含む飲食に関する専門学校や料理教室などの教育機関における講師
通算3年以上あり、現在も従事し、( 通算2年以上
ワインエキスパート ワインの品質判定に的確なる見識を持った20歳以上の人
この3つの資格の違いは、ひとことでいえば、受験者の職業による違いということである。
ワインエキスパートの資格が出来たのは96年のこと。それ以前には、職歴を偽ってソムリエを受験する愛好家もいたようだが、エキスパート資格が出来てからは、職歴の審査がより厳格になり、「ソムリエ資格をもった医者」などというのは、聞かなくなった。
試験は1次試験が筆記、二次試験が口頭試問とテイスティング。(ソムリエのみこれに加えて抜栓とデキャンタージュの実技)
1次試験は3資格ともほぼ共通。 2次の口頭試問とテイスティングについては、資格ごとに異なる問題や銘柄が出題されるが、形式や難易度にさしたる違いはない。
ここで留意すべきことは、この3資格は、職業による違いであって、資格間の優劣は本来ないということだ。しかし、現実には、ソムリエという名前の響きやブランド力もあってか、実情を知らない多くの人は、ソムリエが上位の資格だと思っている。(これについては後述する)
合格率は各資格や年によってそれぞれ差異はあるものの、30〜50%の間、概ね40%程度というところだろう。私99年にワインエキスパートに合格したのは今から8年前の99年のことだ。
さらに、これらの上位の資格として、シニアの資格がある。
資格名 条件
シニアソムリエ (1)日本ソムリエ協会認定のソムリエ
(2)ソムリエ資格認定後3年以上経過
(3)ワイン及びアルコール飲料を提供する飲食サービス業を通算10年以上経験し、現在も従事
シニアワインアドバイザー (1) 日本ソムリエ協会認定のワインアドバイザー
(2)ワインアドバイザー資格認定後3年以上経過
(3)ワインアドバイザー受験資格対象職務を通算10年以上経験し、現在も従事
シニアワインエキスパート (1)日本ソムリエ協会認定のワインエキスパート
(2) ワインエキスパート資格認定後5年以上経過
(3) 年齢30歳以上
私が今回受験したシニアワインエキスパートは、07年に新設されたばかり。05年時点で、ソムリエ、ワインアドバイザー、ワインエキスパートの資格保有者は併せて約2万5千人に上るが、シニアの資格保有者は2000人足らずだ。それほどの難関なのかというと、というわけでもなく、実際、受験者の合格率は70〜80%に達している。改めて筆記の勉強をしなおさねばならない負担とか、世間的にはソムリエ/アドバイザーの資格を持っていればそれで充分という認識が受験のモチベーション向上につながらないのかな、と思う。
■ なぜ私はワインエキスパートを受験したのか?
さて、ここでひとつ素朴な疑問が湧いて来る。ソムリエであれば、あの燦然と輝く金バッジを胸につけていることによって客の見る目も違ってくるし、ワインアドバイザーにしても、ショップでブドウのバッジをしている店員を見かければ、安心してワインのことを聞くことができる。おそらく所属している会社や店によっては、これらの資格をとると、一定の手当てがついたり、基本給がアップするというようなところもあるだろう。そういう意味で、ソムリエとワインアドバイザーはまさに実利に即した資格であるし、受験に励む気持ちもよくわかる。では一方で、飲食業でも酒販業界でもない、私のような一般人が、ワインエキスパートの資格をとることにどのようなメリットがあるのだろうか?
ということで、まずは資格を取得した経緯から振り返ってみたい。
実のところ、ワインエキスパート資格をとろうと思い立ったきっかけは、かなりなりゆきに近いものがある。年来のワイン好きが興じて、一度系統的にワインを
「勉強」したいと思い立ったのが98年のこと。家から比較的近い「自由が丘ワインスクール」に電話したら、基礎講座が空いているとのことなので、さっそくその翌週
から通うことにした。この時点では資格云々という気持ちは全くなかった。
ところが、(当時は知らなかったのだが)自由が丘ワインスクールといえば、いわずと知れた認定試験受験対策で有名なワインスクールだ。いざ通い始めていると、講座は確かに基礎講座だけれども、周囲には翌年の受験を目指しているらしき方々が少なからずいて、いつのまにか私もそうした友人たちや雰囲気に感化(洗脳?)されてしまっていたのだ。
もっとも、いざ勉強を始めていると、覚えなければならない項目のあまりの多さに目が回りそうになったし、受かってもどうせ「ソムリエ」の呼称を名乗れないのに、なんでこんな大変な勉強をしなければならないんだと、半ば自虐的な気持ちで勉強を続けた時期もあった。まあ、今回のシニアの受験と同じく、周囲に吹聴した手前、最後は半ば意地になって勉強を続けたようなものだった。
こうした「成り行き」以外に、資格を目指した理由を挙げるとすれば、それは、稽古事の「お免状」ではないけれども、散々金と時間をつぎこんだワインについて、将来振り返ったときに、自分がこれだけ打ち込んだという形に残るものがほしかった、ということもある。
私は学生時代から20代の間ずっとスキーに熱中していて、ほとんど毎週のようにスキーに出かけていた。一緒に滑っていた仲間のなかには、SAJのバッジテスト受験に熱を上げて、1級を取得する者もいたが、私は「週末の楽しいレジャーの時間に、なぜテストだのプレッシャーだのを持ち込まねばならないんだ?」と、そういう友人たちのことを鼻で笑っていた。しかし、スキーの板を履かなくなって早10年、今になって振り返ると、当時のことを語るとき「自称1級」としか語れないことに、いくばくかの無念さと後ろめたさを感じてしまう。あの頃の私は、もっともなことを主張しているようでいて、その実、受験のプレッシャーや落ちたときのストレス怖かっただけなのかもしれない。そういう忸怩たる思いがあるので、ワインについては「資格」というベクトルに気持ちが向かったのだと思う。それにしても、スキーでは、「レジャーにプレッシャーを持ちこみたくない」と偉そうなことを言っていた私が、オンオフでいえばオフの主役である「アルコール」について、勉強したり試験を受けるというのも、これまた大いに皮肉な話であった。
■ 資格取得による損得は?
では、実際にワインエキスパートの資格を取得したことよる損得は如何なものだろうか?
まあ、間接的な効果まで含めれば、「取得してよかった」といえると思う。というのも、そもそも私のHP「S's Wine」をオープンしたのも、エキスパート受験の体験談を公開することが主目的だったし、そこから生じたワインを通じた人的ネットワークの拡大は、極めて大きな財産になっているからだ。そうした活動全般のきっかけとなったという意味では取得した意味はある。
あとは、コメントを書いたりするときに、「何エラソーに書いているの?」(と、実際に言われたことはないが、今のようにブログが普及していない2000年当時、ネット上でコメントを公開するというのはそれなりに勇気のいる行為だった)という声なき声に対して、「一応、エキスパート受験時にテイスティングを勉強したので‥」という言い訳にはなる。もっとも資格なんてもっていなくても、すばらしいコメントを書く人たちは数多くいるし、今の私のHPの内容は、すでにコメントの体裁を大きく逸脱した、単なる感想文に過ぎないのであるが‥。
さらに直接的なメリットとなると、8年経過した今振り返ってみても、なかなか見当たらない。履歴書の特技欄に書くことはできるだろうが、そもそも履歴書を提出するような機会がない(笑)。せっかくいただいたブドウのバッジも、取得以来8年、一度も胸につけたことはない。職場の同僚など、愛好家まで至らない一般の方からは、「安くて美味しいワインを教えてくれ。」とか「今度ワインを飲みに連れて行ってくれ。」といったオファーを受ける機会は確かに増えたし、酒の席での話題づくりにはなる。もっともこれは、私が資格を持っているからというよりは、単にワインオタクとして通っているからだという気もするが。
■エキスパートという資格が割に合わない点
一方で、この資格について、不満な点はといえば、大いにある。はっきり言ってしまえば、割に合わない資格だと思う。
まず、人と会話をするとき、とにかく疲れてしまうのが、「ワインエキスパートって、ソムリエの下の資格でしょ?」という、耳にタコが出来るほど聞かされた質問である。
「いえいえ、ソムリエ、アドバイザー、エキスパートの違いは職業によるものでして‥」とか「試験の問題はほとんど同じなんですよ。」とか、最初のうちこそ一生懸命説明していたが、こうした説明自体、なにかと言い訳がましく響くので、最近は「う〜ん、まあ‥。」などと、適当にお茶を濁してしまう。
我々はあくまでアマチュアなので、ワインのプロとして日々汗を流しているソムリエやワインアドバイザーよりある程度軽んじられるのは、まあある意味仕方ないかな、というところはある。しかし、同じ難易度の試験に合格しているのにも関わらず、資格そのものが、ソムリエやアドバイザーの下位ランクの資格に過ぎず、その分、特にソムリエという資格こそが、ものすごく取得するのが難しい資格だと誤解している人があまりに多いのには閉口する。
また、最近になって改正された ようだが、以前は資格保有者が別の呼称資格を受験するときに、1次試験が免除される特例があった。これは、たとえば私が酒販店に転職して規定の年数を勤めれば、ワインアドバイザー受験時に2次試験だけを受ければよいという、ある意味ありがたい制度なのだが、その一方で、「ソムリエやワインアドバイザー資格の対象者で、勤務年数が規定に満たない受験者」が、まずワインエキスパートの資格を取得して、勤続年数が要件を満たすようになったら、ソムリエやアドバイザーを受けなおすというパターンを定着させてしまったように思う。そうなると建前上3つの呼称資格は同格だと言いつづけても、現実にはワインエキスパートは、ソムリエ/ワインアドバイザーの受験資格を満たさない人たちが取得する格下の資格という見え方にならざるをえない。こういうこともワインエキスパートという資格が過小評価される理由のひとつだと思う。
では、マニアや愛好家の間ではどうかというと、(少なくとも私の周囲の)愛好家の間では、ワインエキスパートの資格を持っていても、まったくといってよいほど尊敬の対象にはならない。というのも、ワインエキスパートの学習で得られる知識が、大学でいえば、「広く浅く」的ないわば「教養課程」のものであるのに対して、愛好家の世界というのは、ブルゴーニュやイタリアの愛好家に多く見られるように、興味の対象を限定して、その部分とことん掘り下げる「専門課程」のようなものだからだ。スイスやギリシアの産地名がブルゴーニュ愛好家の間で話題になることはないが、彼らにとって重要事項であるブルゴーニュのドメーヌ名やヴィンテージの評価は認定試験で出題されることはほとんどない。そうしたこともワインエキスパート資格の影の薄さを助長しているように思う。
■ そしてシニア。
というわけで、取得して8年、あまりこれといったメリットを感じられないでいた「ワインエキスパート」の資格だったが、それなら今回なぜ、上位の「シニアワインエキスパート」を受験しようという気になったのか。
これはもはや、理由などない。「乗りかかった船」であるし、「そこに山があるから」である。まあ、あえて挙げれば、初年度ということで、今年もし合格すれば、登録ナンバーがひと桁、もしくは二桁のごく浅い数字ということも大いにあるのでは、というミーハーな理由だったりする(ちなみに私のエキスパートの登録ナンバーは401番)。たまたま友人のブログで、この呼称資格の情報を目にしたのが昨年の12月だったので、試験までは約4ヶ月。8年前に覚えた受験用の知識はほとんど忘却の彼方だったが、人間の脳とは面白いもので、一度覚えた経験のある事柄は意外にあっさりと覚えられる。そんなこんなで、約4ヶ月間、結構充実した日々をすごすことができたし、結果として、今回の受験勉強自体は大いに得るものがあった。それは具体的には以下のようなことだ。
1.知識のアップデート
たとえば、私が受験した当時は17銘柄にすぎなかったイタリアのDOCGも今は35に増えている。フランスのAOCの規定なども細かい部分がこの8年間でかなり変わったという印象を受ける。スペインではVPだのVCIGだのという新たな階級が導入された。
その他もろもろ、エキスパート取得時の知識がかなり古新聞になってきていることが改めて確認できたし、それらを最新にアップデートすることができた。研修会を受講することでも同様の効果は得られるとは思うが、受かる受からないの試験勉強ではやはり真剣さが違ってくる。
2.産地の視野を広げる効果
私のワインライフはこのところすっかり沈滞状況だった。幼児二人を抱えて、金銭的、時間的余裕が極めて乏しくなったのに加えて、私の主な興味の対象であったブルゴーニュ、ボルドーが最近の高騰により、すっかり買いずらくなってしまったからだ。しかし、はからずも今回の試験勉強で、いろいろな地域の名称などを暗記したこともあり、南仏や新世界、その他欧州など、最近興味の対象から外れていた分野にも自然に目が行くようになった。値段は安くとも、さまざまな産地や品種のものに触れることで、それらの香味の違いを楽しむ、というワインのベーシックな楽しみ方を、私自身いつしか忘れていたし、そういえばワインの飲み始めのころはこうだったようなあと、改めて思い出させてくれた。
3.その他
まあ、これらは副次的な効果ではあるが、たとえば、わざわざ任天堂DSの「脳を鍛える〜」シリーズをやるまでもなく、衰えの見え始めた脳ミソを少しは鍛えることができたと思う。ゲームといえば、年がら年中、テレビゲームばかりやっている我が家の子供たちに、飲んだくれている姿ばかりでなく、たまには父親が勉強している姿を見せたい、そうすることによって、少しは彼ら手本になりたいと目論んだのだが、まあこれはあまり効果がなかったようだ。
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そういうわけで、久々に試験勉強に明け暮れた4ヶ月間は充実していたし、得ることも大きかった。ところが、冒頭にも書いたように、筆記試験の勉強は熱心にやったものの、テイスティングについては、日ごろ飲んでいるからいいだろうと、ナメてかかっていた。これが冒頭の痛恨の失敗につながったわけだ。
これであとは合格さえしてくれていれば、ということだが、GW休みが明けて、取引先との飲み会で日本酒をしこたま飲んで帰宅すると、玄関先に見慣れたソムリエ協会からの「配達記録」の封書が。
まずは、封書の厚みを確認。これって、エキスパートの受験のときもそうだったが、合格していると申し込み書類が入っているので厚くて、不合格書類のときはペラペラなんだそうだ。でもって、私の通知の厚みは、、、微妙。
ここで、冒頭にも書いた、痛恨のテイスティングの思い出が脳裏をよぎる。4問中3問不正解。やっぱり、ダメか。来年はテイスティングの練習に、再びワインスクールにでも通わにゃならないか。とりあえず開けるのは、ひと風呂浴びてからにしようか、などと逡巡している間に、カミサンが封書を電灯に向けて透かしてニヤニヤし
ながら、
「あ、見える、見える。」
「○○○○って書いてあるよ」
なんて始めたものだから、ええい、と一気にその場で開封。
結果は、、、合格。
5分5分以上の確率でダメだろうと思っていたが、筆記がそこそこ出来た分でカバーできたのか。いやいや、バッカスの思し召しかもしれない。それにしても、ホッとした。
正直に書くと、実は今回シニアの資格を取得したら、それをひと区切りに、ワインとの向き合い方を一服させるつもりだった。しかし、純粋な思いとして、ワイン会とは別に、もう少し日常的、恒常的にテイステイング力を磨く機会がほしいという、今までとは違ったモチベーションが頭をもたげてきた。まだまだ私のワイン三昧はこれからだ。
<後日談>
合格した翌日、職場のワイン好きの後輩(女性)にこの話をしたところ、
「おめでとうございます。よかったですね。」
「その、シニア‥、という資格が私たちがとれる一番上の資格なんですか?それで、その上にあたるのがソムリエなんですよね?」
おあとがよろしいようで‥。
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