ベラスケス
  〜ラス・メニーナス<続き>
ところで、絵の右端に注意を向けると、体躯に比べて頭部の異常に大きい女性と、その右で犬を踏んずけている子供のような人物が目に入る。宮廷では、中世からの伝統として、このような多くの矮人や道化師を養っていた。

道化師たちは市井の話題を宮廷に面白可笑しく伝えるという役割を以って陰鬱になりがちな宮廷の雰囲気を和ませ、矮人たちは、貴人たちの退屈しのぎに、生きた玩具代わりとして、ときには王子王女の体罰の身代わりとして扱われ、奇形の度合いが大きければ大きいほど珍重されたという
このような身分の人たちをベラスケスはしばしばモデルとしてとりあげている。 「ドン・セバスティアン・デ・モーラ」は、中でももっとも有名な一枚である。不自然に投げ出された足と短い腕は彼の身体的欠陥を赤裸々に描き出してるが、その一方で、ベラスケスがとらえたモデルの意志的な強い目の光は厳粛ですらある。
こちらは、道化師(吟遊詩人という説もある)として仕えていた「パブロ・デ・バリャドリード」の肖像画だ。床と壁の境界もなく、その代わり陰影に富んだ灰色(時の経過とともに色調は黄土色がかっできているが)でまとめられた背景に浮かぶモデルの生き生きとした表情。後年のマネの「笛を吹く少年」は明らかにこの絵に影響を受けたものだと言われている。


ベラスケスのモデルに対する姿勢は、決して彼らを蔑んだり嘲笑をこめたようなものではなく、かといって偽善的に持ち上げるものでもなかった。対象が王侯貴族であろうが、矮人であろうが、わけへだてなく公平に、透徹した観察力でもって、あるがままの姿をキャンパスに描き出した。

このような弱者へのわけへだてのない姿勢から、ベラスケスを「有徳の人格者」と持ち上げる伝記も多い。しかし、その一方で彼にはかなり俗物的な面もあったようだ。
たとえば、「ラスメニーナス」の中で、画家自身がつけている胸の紋章。 この赤い十字の紋章は、当時の貴族の中でももっとも権威のあった貴族集団「サンチアゴ騎士団」の紋章である。
ベラスケスが宮廷画家の地位についたのは若干24歳のことだ。「余の肖像画を描くのはベラスケスただひとりだ。」と国王フェリペ4世をして言わせせしめたその画才もさることながら、宮廷内における彼は同時に極めて有能な役人でもあったという。

最終的にベラスケスは宮廷内で最高の地位である「王宮配室長」にまで昇進するのであるが、それでも飽き足らずに、求めつづけたもの、それはほかならぬ「貴族の称号」であった。騎士団の一員となって、貴族の称号を得たい。家柄や血筋、宗教など、細部に亘る「サンティアゴ騎士団」の厳しい審査をパスするために、ベラスケスは、実は事前にローマ教皇にまで裏工作をしたという。

当時のスペインでは、画家はまだ技芸とみなされ、社会的身分は低いものだった。(例えば1628年に発布された王の勅令には「宮廷画家に与える一日分の食料の割り当ては、理髪師のそれに等しいものとする」と書かれている。)一絵描きでしかなかったベラスケスが、1659年ついに貴族の仲間入りを果たしたというのは異例の大出世だったのだ。

こうしてみると、「ラス・メニーナス」にはさまざまな意味があることがわかる。 趣向を凝らした国王一家の肖像画という一面。 「宮廷画家ベラスケス」自身の自画像という一面。 そして、彼自身が国王一家とともに絵に収まることによって、宮廷内でベラスケスが到達した高みを誇示する一面。 それはすなわち、当時まだ手職人同様の社会的地位でしかなかった絵画芸術の至高性を高らかに謳うものであるとすら解釈することもできる。

それにしても、ベラスケスとは一体どのような人物だったのだろうか。

「ラスメニーナス」の中の、口ひげをはやした、威厳に富んだ彼の表情からは、偉大な芸術家であるという自負と同時に、有能な官吏にありがちな一種近づきにくい怜悧な雰囲気すら感じる。しかし、私はとえいば、なぜかその顔に親近感すら覚えるのだ。いかめしい表情で、眉一つ動かさずに矮人や道化師の姿をキャンパスにしたためる画家の視線はやっぱり暖かかったのではないかと。