ベラスケス
  〜ラス・メニーナス
傑作中の傑作、名画の中の名画である。
「ラス・メニーナス」。
日本語に訳すと「宮廷の侍女(女官)たち」というそうだ。

絵画好きなら知らぬい人はいないだろうが、興味のない人にとっては、この絵の名前は、思いのほかなじみが薄いかもしれない。「モナ・リザ」とか「ヴィーナスの誕生」などに比べると、タイトルが日本人にはちょっと発音しにくい分、損をしているような気もする。
しかし、「ラス・メニーナス」への、そして作者であるベラスケスへの賞賛の声たるや、枚挙にいとまがない。同じスペイン出身のゴヤはベラスケスを生涯の目標としていたし、近代絵画の革命児マネはベラスケスのことを「画家の中の画家」と言ってはばからなかった。モネやダリ、ジョーダンをはじめ、多くの画家たちが「ラス・メニーナス」からインスピレーションを受け、ピカソなどは、この絵をモチーフに40枚以上の連作を残しているほどだ。

スペインにおいて門外不出、国宝扱いとなっているこの名画を鑑賞する方法は、美術書を紐解くかプラド美術館を訪問する以外にない。不粋を承知で言うなら、この絵に関しては、機会さえあれば、ぜひ実物を見て欲しいと思う。日中訪れると、世界中から訪れる団体観光客に鑑賞の機会を阻まれがちなので、じっくり鑑賞するのなら、午前中などを狙ったほうがいいだろう。

黄金分割による安定したキャンパス、大胆な明暗を駆使した画面。鑑賞者の視線はまず、画面中央のマルガリータ王女に惹きつけられる。幼いながらも、ちょっとおませで、聡明そうな顔立ち。政略結婚の道具として、13歳でウイーンのハプスブルグ家に嫁いだのち、若干22歳で夭折した幸薄き王女だ。ベラスケスはマルガリータ王女の肖像画を何枚も描いているが、これらは、当時王室同士の見合い写真の代わりにも用いられていたそうだ。
(右図は、娘婿マーソによる「喪服をきたマルガリータ王女」 )
彼女をとりまくように、華やかな衣装を着た侍女たちや、女官と召使い、犬を連れた矮人たちがいて、左側には、大きなキャンパスに向かう画家の姿が見える。王女たち一行は、画家のアトリエに、作成中の絵を見にきたのか、それとも、退屈をもてあましたモデルの話し相手としてやってきたのだろう。では、画家が描いているのは一体誰か?その答えは、画面中央の後部にある。暗がりにかけられた歴史画の下にある黒縁の鏡。一見すると、肖像画のようにも見えるこの鏡に写りこんでいるのが、国王夫妻なのである。そう、国王夫妻は、ちょうど鑑賞者の私たちがいるまさにその場所にモデルとして立っているのだ。それゆえ、絵の前に立つと、その中の登場人物の多くが、まるでこちらを見つめるかのように視線を投げかけてくるのである。
小さな美術本からはなかなか本来の迫力が伝わらないが、実物は3m四方の大きさである。プラド美術館の「ベラスケスの間」で、実際にこの絵と対峙すると、空気遠近法を見事に駆使した画面の効果とあいまって、現実世界と絵画との境界を越えて、私たち鑑賞者もがこの絵が作り出す小宇宙の一部になっているかのような錯覚を起こさせる。
「絵はどこから始まるのだ」(テオフィル・ゴーティエ)という溜息を実感するためには、ぜひ実物をご覧いただきたいと書いた所以である。
(この項続く)