マネ II
  〜フォリー・ベルジェールの酒場
ベラスケスの「ラス・メニーナス」のことを書いた流れで、どうしてももう一枚とりあげたいと思った絵がある。

マネの「フォリー・ベルジェールの酒場」だ。

私はこの絵が好きだ。たぶん近現代のものの中では、モディリアーニの「ジャンヌ・エビュテルヌの肖像」と並んでもっとも感銘を受けた絵のひとつかもしれない。

「フォリー・ベルジェールの酒場」は、ロンドンの「コートールド・インスティチュート・ギャラリー」に展示されている。
私はここを訪れたことはないが、幸いにも、1997年に日本で「コートールド・コレクション展」が開催された折に、実物を見ることができた。いつもは図録を買わない私が、このときばかりは分厚い図録を購入して帰ったものだ。
この絵が描かれたのは、1882年から83年ごろ。マネの死の1年前のことである。

この時期のパリでは、、バーとレストランシアターとミュージックホールを足して割ったような、大規模な「カフェ・コンセール」が活況を呈していた。中には収容人数が3000人なんていう店もあり、店内では、(この絵の中にも見られるように)、サーカスや、オペレッタや奇術やレスリングなど、あらゆる類のエンターテイメントが開催されていた。いわば現代のショービジネスのルーツだったわけだ。

この絵の舞台となった、「フォリー・ベルジェール」もそうした酒場のひとつだ。     記録によれば、1879年のベルジェールの入場者数は50万人を数えたというから、いかにこの店が当時のパリジャンたちの支持を得ていたかがわかる。ちなみに、「フォリー・ベルジェール」は現在もモンマルトル大通りのそば、リシェル街32番地にあって脈々と営業を続けているそうだ。
モデルとなったのは、実際にこのフォリー・ベルジェールの従業員だったシュゾンという女性。マネは彼女をモデルに他にも作品を残しているが、彼女に関する詳しい記録は残っていない。

この絵のシュゾンの表情は実に印象的だ。
口元にはかすかな笑みをたたえているが、ムリに作り笑いしているようにも見える。やや虚ろな視線は、どこを見ているというでもなく、心ここにあらず、という風でもあるし、憂いを帯びているようでもある。なにか内に秘めた思いを押し隠しているようにも見える。しかし、少なくとも彼女は、眼前の喧騒や客たちに関心を示しているようには見えない。

腰の部分がキュッとくびれた、胸元の大きく開いたファッションは大胆だけれども、不思議とモデルには「夜の女」的な淫靡な印象はなく、屹然とした雰囲気すらある。ひとつには、マネ特有の黒の色調の上着が画面を引き締めているからかもしれない。 

しかし、この時代、夜の酒場で給仕としてカウンターに立っていた女性は、同時に客をとるような商売も兼ねることが多かったらしい。
とすると、モデルのシュゾンもやはりそのような女性だったのだろうか。
カウンター上の、つやつやしたオレンジや、シャンパーニュのボトルなどの「商品」は、それらと並んで立つ彼女が同様の「商品」であることを暗示しているようでもあるし、一方で清楚さすら感じさせる彼女の表情を見ると、いやそんなことはない、と代弁したくもなる。
実際のところはわからない。
しかし、このようにして、我々鑑賞者はマネの描く世界に引き込まれてゆくのだ。

もうひとつ、この絵には鑑賞者をマネの世界に引き込む巧妙な仕掛けがある。

それは画面の後ろ、壁面に張られた鏡である。
鏡に映ったモデルの位置は明らかに不自然だ。我々の視点から見た場合、鏡面に映るシュゾンの像は、ほぼ真後ろにあるべきであろう。
この絵のように映るためには、鏡は湾曲するなりカウンターに対して斜めにおかれてなければならないはずだ。しかし、それもまた現実的ではない。さらに細かく見ていくと、カウンターに置かれたビン類の位置も、鏡に映る像とはズレている。
また、シュゾンと向き合ってなにやら話し掛けている男性の姿は、実像の世界にはおらず、鏡の中だけでその存在を認めることが出来る。とすると、このシルクハットの男性は、ベラスケスの「ラス・メニーナス」に出てくる国王夫妻のように、画面を見ている私たちの位置にいることになるのだろうか。いや、鏡の中のシュゾンと男性の位置関係からすると、それにもひどく違和感を感じてしまう。さすれば、彼は、「鏡の中のイリュージョンの世界にのみ存在する」人物なのだろうか?

マネほどの技巧を持った画家が、この大作の構図を決めるにあたって、単純なミスを犯すはずはない。事実、X線撮影を用いた研究によれば、画家は製作過程で、より自然な位置に書かれていた鏡像をわざわざ画面右側に修正しているそうだ。
そう、マネは何らかの意図をもって、「わざと」このような不自然な鏡の世界を作り上げたのである。
ちなみに鏡に映るシルクハットの男性は、マネ自身の姿を描きこんだものだと言われている。
「ラス・メニーナス」が計算しつくされた構図によって絵画の世界と現実世界、実像と鏡像との境界を見事に超越したのに対して、「ペリー・フォージェール」の鏡の仕掛けは、逆にその矛盾をはらんだ内容によって、現実世界と鏡像、すなわちイリュージョンの世界との対比を浮き立たせているようにも思える。

マネはこの時期、「壊疽」のため、歩行すら困難な状態になっていた。
したがって、この絵も実際に酒場で描くことは出来ず、アトリエで描かれることになった。筆を持つことすらおぼつかなくなった病身の画家が描いた、きらびやかな歓楽街の夜の光と静かな官能。 そしてその鏡の中にだけ登場する画家自身の姿。

宮廷生活に一生を捧げたベラスケスが、その集大成として、「ラス・メニーナス」を完成させたように、パリの人々を好んで描き、パリの街でその一生を終えたマネは、自分の集大成ともいえる作品の題材を、歓楽街の夜の光に求めたのだろう。しかも、ベラスケスにならって、「鏡」を重要なモチーフとして。そして、「ラスメニーナス」同様に画面に登場する自画像は、鏡の中の幻想世界の住人として。

そう、この絵は、マネが「画家の中の画家」と賞賛したベラスケスへのオマージュであるとともに、画家自身の「白鳥の歌」でもあるのだ。
翌年、画家の病状は悪化し、左足を切断。しかしその甲斐もなく、2ヶ月後にマネはこの世を去った。まだ51歳の若さだった。画家の死に顔は、義妹の女流画家ベルト・モリゾが、「なんてすさまじい形相!」と悲嘆の声をあげたほど壮絶なものだったという。