ゴヤ
  〜ボルドーのミルク売り娘(続き)
(前項より続き)

解説書の類を読むと、「聾者になったことが、ゴヤをペシミズムに向かわせ、このような絵を描かせた」とするものがある。しかし、これはちょっと飛躍しすぎていると私は思う。大病によって聴覚を喪失したのはゴヤ46歳のとき。このことがそれ以降のゴヤの作風を変えたことは否定できないが、しかし、美術アカデミーの絵画部長になったのも、主席宮廷画家になったのもそれ以降のことである。実際、彼の上昇志向は衰えることはなかったし、アルバ公爵夫人と1年の間、サンルーカル・パラメータで一緒に過ごしたのも、聾者となって後のこと(50歳)だ。聴覚を失ったことによって、決して隠者のような生活に様変わりしたわけではなかったのである。

では、なにがきっかけだったのか。いくつかの節目となった事件を挙げてみよう。

1802年 アルバ公爵夫人わずか40歳で没。
1807年 フランス軍、スペインに侵攻。
1812年 妻ホセファ没。
1819年 「聾者の家」購入。しかし、この年の末、重病に陥る。

1807年のフランス軍侵攻は、時期は早いが、ゴヤの心に大きな影響を与えた事件であろう。ゴヤはもともと啓蒙思想に心酔していて、その版画集などで当時のスペイン社会への鋭い風刺を見せていた。しかし1807年ナポレオン軍のスペイン侵攻に際しては、自由主義者としての一面よりもスペイン人ゴヤとしての誇りが上回ったようである。その結果、ゴヤは告発者として、「マドリード1808年5月3日」のような傑作が生みだすことになっのだが、この事件はまた、それまでの平穏な宮廷生活の崩壊を意味するものでもあり、ゴヤ自身の価値観の瓦解でもあったはずだ。
アルバ公爵夫人(右図)との関係は、そのモラルはどうあれ、聾者となった後のゴヤの後半生にとっては、華々しく咲いた一輪のあだ花のようなものだったのだろう。しかし、その夫人はわずか40歳で死去。さらに、ゴヤに影のように連れ添った妻ホセファも1812年に死去。そうなると「諸行無常」を悟ってもおかしくないところだが、ゴヤという人のわからないところは、ホセファが死んだ後、若い家政婦レオカディアと同棲を始め、子供まで設けたということだ。このとき実にゴヤ69歳。自由主義者であったレオカディアは、ゴヤとの関係をあっけらかんと隠しもしなかったが、当時主席宮廷画家であったゴヤにとっては、あまり世間体のよいものではなかったようだ。実は、聾者の家を購入したことは、このことも影響しているらしい。
そういえば、「黒い絵」の中に一枚不思議な絵がある。
この絵の中の女性は、件のレオカーディアである。
「黒い絵」の中で、実在の、しかも身近な人物が登場するのはこの絵だけだ。それほどレオカーディアが当時ゴヤにとって大切な存在だったのだろうか。いや、単純にそれだけではないようだ。というのも、レオカーディアがよりかかっている岩は、「墓碑」だからだ。青い空のもと、血色のよい女性が墓碑によりかかる図。これはいったい何を意味しているのだろうか。
ゴヤは何も解説を残してはいないが、いずれにせよ、ゴヤの人生の黄昏時において、この女性が果たした役割は小さくないと感じさせる一枚である。
「聾者の家」は購入後かなりの増改築を施さねばならかった。それが負担となったのか、はたまた寒気にあてられかで、ゴヤは病に臥すことになったのだろうといわれている。当時73歳のゴヤを治療した医者アリエータを書いた絵が残されている。迫真のリアリズムで描かれた画面の病人はゴヤ自身であり、この重病のために、聾者の家での生活はもっぱらそのリハビリにあてられることになった。おそらく、このことが「黒い絵」の直接のきっかけのひとつだったことは間違いないだろう。
散漫になってしまったが、結局、ゴヤにあのような厭世観に満ちた絵を描かせることになったのは、上に挙げたような要因がいくつか重なってのことなのだろうと思われる。しかし、ここまで書いてきた私にも、実際のところはよくはわからないのだ。素人の推量がつけいる隙もないほど、ゴヤの心の闇は深かったということなのかもしれない。

その後、ゴヤはフェルナンド7世の自由主義者弾圧を避けて、ボルドーに亡命することとなった。時に78歳。80に手が届こうかという老人が住み慣れない国に移住しなければならない辛さは想像を越えるものだっただろう。

しかし、そのボルドーの家に、ロバの背に乗って毎朝ミルクを届けに来た乙女を描いたこの絵には、もはや絶望的なペシミズムは見られない。女性のショールに見られるようにその筆致は相変わらず自由で卓越した技巧を見せるが、画面は明るく、詩的で叙情的な雰囲気とどこか吹っ切れたような透明感に満ちている。

ロココ風の宮廷画からはじまって、透徹したリアリズム、告発者としてのドラマ、幻想的厭世的な世界、と遍歴を続けた画家の魂が、やっとたどりついた、透明感のある叙情的な世界。が、このとき、画家の生命の炎は、もはやあといくばくも残されてはいなかった。数ヵ月後、ゴヤ死去。享年82才。

しかしながら、晩年「黒い絵」を描きつづけたゴヤが、その地を追われ、終の棲家となったボルドーで、このような優しさと美しさに満ちた絵をもってその画業を終えたことに、私はすこしばかり心やすらぐ思いになるのだ。この絵もまた、プラド美術館に展示されている。プラドを訪れる機会があれば、ぜひそんなゴヤの生涯に思いを馳せながら、鑑賞してみてほしい。