ジオット
 〜 小鳥に説教をする聖フランチェスコ
  
 イタリアを訪れるとき、ローマに行く人は多いが、アッシジまで足を伸ばす人となると、それほど多くはないだろう。クルマだと3時間ほどの距離で、よく舗装された田舎の一本道を走ると、そのうち小高い山の斜面上にあるアッシジの街が見えてくる。パッケージツアーであれば、ローマからのオプショナルツアーなども用意されている。
中世の景観をそのまま残したような美しい街並みは安らかなたたずまいをみせ、この街に何日か留まりたいという衝動すら起こさせる。
街はこじんまりしているけれども、見どころにはことかかない。中でもここ抜きに語れないというのが、聖フランチェスコ大聖堂だ。
聖フランチェスコ の生涯については何度か映画化されているそうなので、知っている人もいることだろう。
地元アッシジの商家に生まれ、若い頃は放蕩三昧の生活を送ったフランチェスコが、その財産をすべて貧者に分け与えて信仰の世界に入ったのは、ある夜キリストが夢に現れたことがきっかけだったという。
清貧、純潔、服従の三つを説いたフランチェスコの教えは人々の心を捕らえ、フランチェスコ会は、のちにキリスト教の一大勢力へと発展する。
時のローマ教皇は、面会したフランチェスコに対して、「お前たちの尊い精神はよく分かるが、いっさいの所有を認めないといのは厳しすぎはしないか?」と問うたが、フランチェスコは、「何かを所有すれば、それを守る力が必要となりましょう。」と答えたと言われる。含蓄のある言葉だ。
晩年、フランチェスコの前には、翼を持った人の幻が現れ、それをみつめるうち、聖人の体にはキリストと同じ聖痕が印されたと伝えられる。
さて、聖堂は下部教会と上部教会とから成っていて、内部は数々の絵画、壁画やステンドグラスなどで埋め尽くされている。中でも上部教会の壁面に描かれている、ジオットによる聖フランチェスコの一生を伝える28枚の連作壁画が有名だ。
その中の一枚であるこの絵は、聖人の説教に小鳥たちが聞き入る場面を描いたもの。生きとし生けるものすべてに平等に神の恵みが与えられることを祈るフランチェスコの姿を描いた名作だ。この絵ばかりが美術書の類によく登場するが、他の絵(下の一枚を参照)も同じように、清らかで心休まる佳作ぞろいだ。ただし、当時の時間的制約から、いくつかの壁画はかなり弟子や協力者の筆が入っているともいわれている。たしかに一枚一枚見ていくと絵の完成度にバラツキがあるし、やや派手な色調を用いている他の絵に比べると、滋みのある色彩により落ち着いてまとまれたこの絵のトーンが作者の厳かな作風にマッチしていることもわかる。なお、フランチェスコの後ろで驚く弟子の姿は後世に書き加えられたらしいとのことだ。
これらの作品が書かれたのは、1296〜99年頃。作者であるジオットの空間表現と人間の感情表現の新しさはのちにマサッチオを通じてルネサンスの開幕に大きな影響を及ぼしているとか。つまり美術史的に大変重要な画家なのだそうだ。しかし、そのようなこと抜きに素人の私たちが見ても、そしてキリスト教徒ならずとも、ジオットの清廉な作風を目の当たりにすると、敬虔な感動に打たれることだろう。
下部教会には、もうひとりの重要な聖人の像が飾られている。聖キアラ、英語読みでは聖クララ。地元アッシジの貴族の子として生まれるが、1212年、両親の反対をおしきって、聖フランチェスコの最初の女性の弟子となった。フランチェスコの清貧の理想を守り、ここアッシジにクラリッセ女子修道院を開設。東方のサラセン軍が彼女の修道院を襲った際、キアラの祈りが異教徒を退散させたとか、臨終の床には聖母の幻があらわれ、彼女の魂を迎えに来たとか、という言い伝えがある。キアラが1253年に他界すると、彼女を祀る聖堂が建て始められ、65年には聖キアラ教会が完成した。キアラの遺体は今もこの「聖キアラ教会」に安置されており、死後700年以上経った今も、ミイラ化して、腐敗していないそうだ。これもまた聖人ゆえの奇跡だろうか。
後年彼女とフランチェスコの関係を邪推する本が出版されたりもしたそうだが、深い精神性をたたえたこのキララの肖像画の前では、下衆の勘ぐりといわれて仕方がないかもしれない。ただ、信仰をよりどころとした、深い精神的な絆で結ばれていたであろうこの師弟が、生前どのような日常の生活をし、どのような会話を交わしていたのかについては、凡人である私としては、なんとなく覗き見たい気もする。

ちなみに、ジオットがなぜ聖フランチェスコ聖堂の壁画を描くに至った経緯は不明だが、彼がフランチェスコに深く傾倒していたことは、娘に「キアラ」、二人の息子にも「フランチェスコ」と名づけていることからも明らかだ。
私がこの信仰の街アッシジ訪れたのは95年のことだ。写真でもわかるとおり、抜けるような青空が印象的だった。
その後、 97年9月に二回にわたる大地震がこの街を襲った。大自然の容赦ない試練によって、聖フランシスコ教会も丸天井や壁などが崩れれ落ち、修道士4人が下敷きになって死んだ。教会の修復作業は順調に進んでいるようだが、30万個以上もの砕けた破片を張り合わさなければならず、まだ多くの時間が必要と言われている。