ガリテア
〜ラファエロ II

ローマの下町、トラステヴェレ地区の語源は、「テヴェレ川の向こう」という意味で、地元ローマっ子が食べに行くというピッツェリアの名所でもあり、毎日曜の朝に開催される蚤の市でも有名だ。

くすんだオレンジや明るい黄土色の建物が並ぶ、ちょっとひなびた街角は、庶民の町らしく、上を見上げると洗濯物が干されたりしている。観光都市ローマにあって、珍しく日常的な生活感を感じる場所である。

街中にある「サンタマリア・イン・トラステヴェレ教会」は、紀元3世紀に法王カリストゥス1世によって創設された由緒ある教会だが、お高くとまったようなところはなくて、庶民の信仰に根ざしたような素朴な雰囲気が感じられるのがいい。私がここを訪れたときには、ちょうどミサが始まる時間だったようで、どこからともなくグレゴリオ聖歌が聞こえてきて、なんとも敬虔な気分に満たされたものだ。
ここまで足を伸ばしたら、ついでに「フォルネジーナ荘」を訪れてみたい。
シエナ出身の銀行家、アゴスティーノ・キージが1508年に同郷の建築家バルダッサーレ・ペルッツィに依頼して建てたこの別荘は、ラファエロやその弟子たちが内部の装飾に関わったことでも知られている。中でも、壁面に描かれた「ガリテア」は、ラファエロが創り出したもっとも美しい女性像のひとつ、とさえ言われているものだ。
ところがこのフォルネジーナ荘、いざ訪れようとすると、建物の形状が地味なせいか、あるいは色調が近隣の風景に溶け込んでいるせいか、思いのほか見つけにくいのである。私は現地までタクシーで行ったのに、役所の建物かなにかと間違えて通り過ぎてしまい、探し当てるまで界隈を一周した挙句、芝生の庭の中に入り込んで警備員に怒られるという体たらくだった。
目当ての「ガリテア」は、1階の居室の壁に、他の壁画たちとともにさりげなく鎮座している。ものものしい展示を想像していた私は、「え、こんな場所に?」と、ちょっと拍子抜けしたのを覚えている。
ガリテアとはローマ神話に登場するニンフ(妖精)のことだ。一つ目の巨人ポリュフェモスがガリテアに恋をしたが、彼女にはすでにアキスという美しい恋人がいた。幸せそうに寄り添う恋人たちに嫉妬した巨人は、大岩を投げつけてアキスを殺してしまう。すると岩の割れ目からは水が溢れ、アキスは川となったという。
世紀末の画家ルドンの絵にも同じ題材のものがあるが、おどろおどろしい一つ目の怪物が登場する幻想的なルドンの作品に比べると、ラファエロのこの壁画は祝祭的な気分に満ちている。陽気な海のケンタウロスやキューピッドたちの祝福を受けて、貝の凱旋車をあやつるガリテアは表情豊かで、たしかに美しい。しかし「画家が作り出したもっとも美しい女性像」というのは正直、ちょっと誉めすぎの気もする。
というのも、ここに描かれたガラティアは、肉付きがよいが、ふくよかというよりは、筋肉質に描かれており、どこかミケランジェロの影がつきまとうのだ。
画家の描くこうした躍動的な人物像は、他にもヴァティカンの「ボルゴの火災」とか、最晩年の「キリストの変容」などにも見られるが、私はどうも好きにはなれない。その動きや場面がダイナミックであればあるほど、隆々とした筋肉をまとった肢体と画家独特の優美な表情との間に、アンマッチな印象を受けてしまうのだ。
ラファエロらしさ、という意味では、やはり私は一連の聖母像や、一糸乱れぬ遠近法による幾何学的な調和が画面に落ち着きをもたらす「アテネの学堂」などに軍配を上げたいところである。
さて、このフォルネジーナ荘の仕事に取りかかっていたころ、ラファエロは近所に住むひとりの女性と恋に落ちた。
その娘の名はマルゲリータ・ルーティ。近所の平凡なパン屋の娘であったことから通称「フォルナリーナ」(パン屋の娘の意)と呼ばれている。(ちなみにパン屋があった場所は、今は「ダ・ロモロ」というレストランになり、店先には記念のプレートが飾られているそうだ。)
フォルナリーナをモデルにしたいわれる2枚の肖像画がある。
一枚は、当時の貴族の結婚衣裳をまとった「ラ・ヴェラータ」(左写真)。もう一枚は裸体の彼女を描いた「ラ・フォルナリーナ」(右下)。
「ラ・ヴェラータ」を鑑賞するには、フィレンツェのピッティ宮殿収蔵まで行かなければならないが、「ラ・フォルナリーナ」は、ローマの国立絵画館(バルベリーニ宮殿)に飾られているので、トラステヴェレからも容易に足をのばすことができる。珠玉のようなローマの文化遺産の中にあって、国立絵画館はそれほど旅行者に人気がないようだが、なかなかどうして、すばらしい絵が多くあるし、この「ラ・フォルナリーナ」に出会うだけでも、行ってみる価値があるというものだ。
聖母像すら連想させる、「ラ・ヴェラータ」のやわらかくも優雅な筆致に対して、「ラ・フォルナリーナ」の筆致はどちらかというと硬質、ややぎごちないポーズもあいまって、画面にはりつめたような雰囲気が漂っている。

画家が「ラ・ヴェラータ」を描くのに、この庶民の娘になぜわざわざ貴族の婚礼衣装をまとわせたのか。あるいは「ラ・フォルナリーナ」の、裸体の左腕に刻まれた「この女性は、ウルビーノのラファエロの妻」という署名のリングが何を意味しているのか。そういった謎については、後世の憶測や三面記事的興味をもっていろいろと語られているようだけれども、ここでは取り上げるのはやめておく。
ただ、おそらくは、身分の違いや諸般の事情等で、結局添い遂げることのなかった二人が、その実、疑うことなき深い愛情によって結ばれていたのだということを、ラファエロは自身の筆を以って証明したかったのではなかろうか。そんな思いが伝わってくるような二枚の絵である。

もう一作、フォルナリーナが登場する作品があるらしい。
それは、ほかでもない、「アテネの学堂」である。
この壮大な絵の右隅に、画家自身の自画像が描かれているのは有名な話だが、画面左端から四分の三ぐらいの位置に、そのラファエロと対になるかのようにこちらを向いて立っている女性こそがフォルナリーナであるといわれている。
真偽のほどは定かでないが、なるほど、見比べてみると、たしかに「ラ・ヴェラータ」に通じる面影がある。

ラファエロが37歳の若さで世を去ったとき、フォルナリーナは葬列に参加することすら許されなかった。そして翌日彼女は修道院の門を叩いたという。しかしこの幸薄き女性は、一方ではラファエロによって、キャンパスの中に永遠の生を得ることになり、はかないロマンスの主人公として、後世まで語り継がれることになった。これもまた、「ガリテア」の導きだろうか。