ルクレチア
  〜ルーカス・クラナッハ(父)

「ルクレチア」という名の小さな裸婦像がウイーン美術アカデミー附属絵画館に飾られている。
ルクレチアは紀元前6世紀、タルクィニウス王がローマを支配していた時代の女性である。コラティヌスという貴族の妻であった彼女は、夫の留守中に、彼女に横恋慕した王の息子セクトゥスに陵辱を受け、夫に復讐をたくす手紙を残して短剣で自らを突いて果てた。そしてそのことが、後に暴君の一族をローマから追放し共和制ローマが誕生するきっかけとなった。それ故、彼女は「貞淑な夫人の象徴」として絵画の主題によく登場する。

よく見ると、この絵の中の女性も右手に短剣を携えている。しかし、それ以前に私たちの目は、黒い背景に浮き立つ、少女か大人かもわからないような独特な肢体にくぎ付けにされてしまう。裸婦の視線は鑑賞者に挑発的に向けられ、口元には笑みすらうかべている。そして、そのポーズは今にも踊りだしそうなくらい軽やかだ。

同じ作者による「ルクレチア」の絵がある。右の比較的早い時期の作品には、これから死に臨もうとする悲壮な決意のようなものが感じられる。下の作品はもっと直接的に絶望と悲嘆をあらわにしている。本来の主題からすれば、これらの絵の表情の方がふさわしいのだろうけれども、絵の完成度も含めて、この3作の中では、不思議なぐらい最初の一枚に惹きつけられる。
ルーカス・クラナッハ。1472年ドイツ生まれ。宗教改革で有名なマルティン・ルターと同郷、同時代の人である。実際、ルターとは親交もあって、肖像画も何枚か描いている。絵画に興味のある人以外で、彼の名を知っている人は多くはないかもしれないが、その裸婦像と、彼の手になるルターの肖像画はおそらくどこかで目にしたことがあるのではないだろうか。
闇の中にたたずむ裸婦は、題材によって、ルクレチアだったり、美の女神ヴィーナスだったりするが、共通するのは、痩身で胸が小さく、腹部がポッコリと出て長めの胴を微妙にくねらせた肢体と、はにかんだたような、それでいて蠱惑するかのような口元の笑みだ。裸婦の肌のきめは硬質でほの白く、暗闇との対比がひときわ際立つ。
細身で胸の小さなプロポーションはデューラーなど同時代の北方の画家にも見られるが、クラナッハのものはそれが徹底していて、独特だ。
時代は異なるが、豊満で、絹のような肌のキメを持つルノワールの裸婦像とは、まさに対照的な姿。そして、陽光の中であっけらかんと自らの体を誇示するルノワールの裸婦に比べて、クラナッハの裸婦像は圧倒的にエロチックだ。
フランクフルトのシュテーデル美術館にある「ヴィーナス」像はおよそ37cm×25cmの小品ながら名作の誉れたかい。
飛躍するようだけど、この絵を見ると私は興福寺にある「阿修羅像」を連想する。
暗い静謐な空間に浮き立つ、年齢不詳の細身のプロポーション、虚空に伸びた腕、思いつめたような眉間と口元に浮かぶ微妙な笑み、大人に脱皮するまさにその瞬間を封じ込めたような刹那的な美しさ、それでいて我々を惑わす一種背徳的な妖しさ。
さすがに阿修羅像の持つ神秘的な、抑制の効いた美しさに比べると、クラナッハの描く美の女神はもっと世俗的で表層的であからさまに蠱惑的だけれども。
クラナッハは非常に速筆、多作な画家であった。1502年にウイーンに赴き、この地で修行を重ねるうち、1505年にザクセン選定候フリードリッヒIII世の宮廷画家に任命され、その都ヴィッテンベルクに赴任。以降、そこに工房を構えて、息子のハンスやルーカス(同じ名前だ)をはじめ、多くの弟子や作業者を使って、注文主の要望に応じて多くの絵画を生み出すようになる。
彼に限ったことではないが、当時は、このように工房を構えて「生産」することが普通だった。
そのせいか、彼の描く肖像画は、服装や装飾具には凝っている反面、人物の表情が思いのほか単調だと感じるのは私だけだろうか。たとえば、傑作といわれる「ザクセンの3王女」や「ユディト」などを見ても、女性の表情はワンパターンとさえいいたくなる。きっと彼自身の理想の女性像なのかもしれない。
むしろ、ヴィッテンベルクに工房を構える前、ウイーンで活動していた頃のクラナッハの絵には当時の「ドナウ派」の流れを受け継ぐ個性と豊かなインスピレーションがあって、美術史的にはこちらの方が高く評価されているらしい。聖書や神話的な主題が美しく微細な自然描写の中に描かれていて、人物の表情もこちらの方が生き生きとしている。ちなみに右の絵はヘロデ王の迫害を逃れてエジプトへ向かう聖家族を描いたものだ。(1504年)
彼の十八番である裸婦像にも、シンプルに暗闇の中に裸婦が立っているもの以外に、キューピッドが寄り添っていたり、帽子をかぶっていたり、訓話のようなものが書かれていたりとバリエーション違いのものが数多く残されている。これらの作品が工房の中で、注文主に対して、「一丁上がり」的に「生産」されていたのかもしれないと思うと、ちょっと拍子抜けの部分もある。
オランダでクレーラー・ミューラー美術館を訪れたときに、多くの印象派の傑作に混じって、クラナッハの作品が展示されていた。蜜をとろうとして、ハチにさされてべそをかくキューピッドを諭しているヴィーナスの画は、当時流行っていた梅毒に対する訓話的な主題であったとも言われている。この絵に出てくるヴィーナスの体型は、相変わらず、小さな胸と微妙にくねらせた肢体をしているが、やや密度感にかけるような、いまひとつ間延びした印象があった。サイズの大きさが逆に災いしてしまっているのかもしれない。そう、クラナッハの裸婦像はやはり30〜40センチ四方程度の小品の方が輝いていると私は思う。
小品といえば、ルーブル美術館には、有名な「風景の中のヴィーナス」がある。作品がただでさえ小さい上に、奥まった場所に展示されているので、ぼんやりしていると見逃してしまいそうだ。この作品の背景はよく描きこまれていて、このテーマに対してはややゴテゴテしすぎている気がするけれども、一方ではウイーン時代のクラナッハの美点を引き継いでいるとも言える。ルーヴルを訪れると必ず、この絵の前で記念撮影してしまう私であるが、写真を見ればその小ささがわかるだろう。

ところで、この「風景の中のヴィーナス」が描かれたのは、1529年、前述の「ヴィーナス」が1532年、そして、冒頭の「ルクレチア」は1533年と、いずれも画家が60歳前後になってから描いた作品であることに注目したい。この頃になると、彼の二人の息子も一人前に工房を運営できるようになっていたであろう。そして、クラナッハ本人は、工房の仕事に手がかからなくなる一方で、自分の興味にまかせて小品を自ら仕上げる時間も手に入れたのではあるまいか。小品であれば、わざわざ工房で製作しなくても、画家自らが筆をふるえる。クラナッハの晩年の小品に傑作が多いのには実はそんな理由もあるようだ。
不敵に笑うルクレチアが描かれたのは、画家が61歳のときだ。実は最初、私は、3枚の絵を並べて、画家が年をとるに従って、この題材に対する思いに変化がみられたのではないかと疑ってみた。自らも(当時としては)老年に達し、クラナッハは、自らの貞操を昇華すべく短剣を胸につきたてた女性に究極の官能の姿を見出したのだろうか、と。
しかし、おそらく実情はそれほど深いものではないだろう。
案外、注文主より、「貞節の象徴ルクレチアを描いてほしい、しかし、表情はあまり暗くしないでほしい」というような要望があったというようなところかもしれない。

そう、重要なのは、題材よりも、クラナッハの確立した官能的な裸婦像の様式なのだ。そして、彼の描く装飾的で蠱惑的なエロスの世界は、400年の歳月を生き長らえて、19世紀末のクリムトへと受け継がれることになる。