不定期更新コラム

63ラトゥール。

生まれ年のワイン。
なんて甘美な響きでしょう。
私もワイン愛好家のはしくれとして、自分の生まれ年のワインに対する思い入れにはひとかたならぬものがあります。しかしながら私の誕生年は、1963年というボルドーでいうところの「戦後最悪のビンテージのひとつ」です。(蛇足ながらカミサンもまた1965年という戦後最悪級の年の生まれです)
ちなみにパーカーさんの1963ビンテージに対する評価は、以下の通りです。


規模:収穫量は少なめからほどほどだった。
重要な情報:恐ろしく貧弱な年で、ワインの貧相なことでは1965年と張り合える。
飲み頃:今ではひどいものになっているに違いない。
価格:価値がない。

ボルドーの人々は、1960年代で最悪だったヴィンテージは1963年なのか1965年なのか決めかねてきた。1965年と同じように、雨と灰色カビ病がこのヴィンテージの破滅の原因だった。私は20年以上も1963年の瓶を見ていない。
講談社 『BORDEAUX ボルドー 第3版』

どうです?ここまで酷評されると、逆に怖いものみたさもあって飲んでみたくなりませんか?
これが戦後最高といわれる61年あたりですと、まだまだ元気なワインはいくらでもありそうですが、逆にお値段の方も途方もないものになってしまいますので、これはこれで悩ましいところです。その意味で、62年とか64年、66年などの生まれの方が羨ましいですね。 だったら、かわりに64年や62年のワインを飲めばいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、これが「違う」んですよね〜。やはり生まれ年は生まれ年。1年であっても外してしまうと、独特の感慨には浸りにくいのです、少なくとも私の場合。
 私が過去に飲んだ63ビンテージのワインはというと、作柄良好だったポートを別にすれば、以前rougemayさんにご馳走になった「マラルティックラグラヴィエール」ぐらいしか思い浮かびません。このときのボトルは、紹興酒のようなフレーバーに支配されて、ほとんどご臨終寸前という儚さではありましたが、味わいがどうこうというより、自分と同じ年を生きてきたワインを飲んだというのはやはり格別なものでした。
今回開ける63ラトゥールは、2000年の1月に、土浦某店から購入したものです。お値段は32400円也。今でもこの位の値段でたまに市場に出ることがありますが、大抵の場合、すぐに売り切れてしまい、入手は困難を極めます。これはおそらく63年生まれの人たちの間での奪い合いになるからだと思います。(それ以外の需要はちょっと考えずらいですから。)
在庫が残っているところを探せば7万円ぐらいで見つけられますが、さすがに戦後最悪のビンテージの、生きているかどうかすら怪しいボトルに7万出す気にはなりません。よって、おそらく今回あけるボトルが、私にとって最初で最後の生まれ年のラトゥールとなりそうです。
ところでこのラトゥール、2000年の初めに買って、なんで6年近くも抱えていたかといいますと、もともとこのワインは40歳の誕生日の記念に開けることを想定して購入したものなのです。
ところがいざ40歳のバースデーを迎えてみると、カミサンはまさに臨月で、陣痛がいつ来てもおかしくない状態(実際、下の子が生まれたのはその9日後でした)。そんなところにまだ2歳にならない上の子のお守りもせねばならず、とてものんびりワインを開けるようなシチュエーションではなかったのです。よって、この年はパス。それではということで、翌41歳の誕生日に開けようと思ったら、今度は私自身がこの時期重症の気管支炎にかかっていて、咳がひどく、まともにしゃべることも出来ない有様でしたので、またしてもパス。いっそのこと大晦日か正月にでもあけようかと思ったのですが、開けてみて新年早々「逝ってました」というのも気分が悪いのでパス。そんなこんなで、ズルズルと開けるタイミングを逸してしまいました。45歳なり50歳の区切りの年まで寝かせておく、というプランも頭をよぎりましたが、このボトル、もともとプライベートストックからのものということで、入手先も含めてイマイチ状態に自信をもてなかったこともあり、どう頑張ってもそこまでは持たないだろうと翻意しました。(これが例えばマーラベッセのものであれば、話は全然違うと思います。)
そういうわけで今年の誕生日こそはと心に決めていたのですが、今年もまた、前の週から下の子供がインフルエンザをこじらせて大騒ぎ。またダメかなと諦めかけていたところ、どうにか誕生日前日には下の子の熱も下がって元気になったので、息子の快気祝いも兼ねて開けることにした次第です。

‥とまあ、前置きが長くなってしまいましたが、そういう紆余曲折を経たボトルですので、開けるとなると感慨もまたひとしおです。一方で、前述のとおり、ビンテージ的にキビシイ上に、コンディション面でも不安を抱えたボトルということで、愉しめるかどうかは五分五分かな、と覚悟して開けました。
ちなみにこのボトル、我が家のセラーの中でも別格扱いにしている段に入れてあって、かれこれ数年動かした記憶がありません。当日もセラーの前にパニエを持って行き、静かにのせて、そのままテーブルに直行。オールドビンテージ特有の短いキャップシールをはがすと、コルクはすでに上まで染みて上部はカビで覆われています。おそらくノンリコルク。ソムリエナイフで上手く抜栓できる自信がなかったので(実はパニエ抜栓苦手な私です。(^^;)、2アクション式のオープナーをゆっくりと差し込んでいくと、コルクはごく柔らかくなっていて、ほとんど力をかける必要もなく、スルスルとスクリューがコルクに埋まっていきます。う〜む、これは抜くのが大変だなあ、と思いましたが、案の定、相当慎重にレバーを起こしたのに、下のほう1センチぐらいがちぎれて、ボトルに残ってしまいました。ソムリエナイフを使ってなんとかそれを取り除き、改めてコルクを確認すると、どっしりと湿った長いコルクには1963年の刻印が残っていました。

グラスはリーデルのボルドーグラスを用意。前日に開けたベルナール・ドゥラグランジュの93オークセイデュレスが、ほとんど枯れかけたような情けない色調だったので、そんな色をイメージしていたのですが、実際グラスに注いでみると、中心部はしっかりと黒みがかっていて、エッジにかけてのレンガ色がかったグラデーションからその年輪が見て取れます。香りは乾いており、非常に繊細。黒系のドライフルーツ、コーヒー、麦わら、クルミ、朽ちた木。グラスを回そうものなら、とたんに干からびてしまいそうな、そんなスーパーデリケートな状態です。口に含むと、アタックに一瞬、いかにも古酒らしい、甘く濃縮された果実のエッセンスが広がりますが、すぐにその後に押し寄せてくる酸とタンニンとに打ち消されてしまいます。余韻は乾いたタンニンと酸とで、心地よいものではありません。ドライでナッティな、シェリーのようなフレーバーがそこまで迫ってきているような、そんなアフターです。やはり愉しめるギリギリの線だな、と思う一方で、ボトルの一番上の部分がこのレベルなら、二杯目以降はもっと愉しめるのでは、という期待も同時に頭をよぎりました。
そして、この私の期待は的中しました。
三杯目、時間にして1時間経過したぐらいでしょうか。グラスに注がれた液体の表情が明らかに変わってきました。香りには伸びやかなカフェやキャラメルのようなフレーバーが感じられるようになり、味わいは中間部の厚みを増し、しっとりとして、層をなすようになってきました。全般に潤いが感じられるようになって、表情もずいぶん和らいできた感じです。
さらに、ボトルの下部にまで飲み進むと、澱がまざりはじめて、色調も濁ってきます。しかし、酒質は十分に強くなって粘性が感じられるようになり、果実の甘みのエッセンスが下の中央に集まるような、印象的なアタックを感じることができます。香りにも香水のような華やかな要素が垣間見られます。
結局最後の1杯分ぐらいは、澱が舞ってしまって飲めませんでしたが、飲み始めてから約3時間、ヘタることなく、次第に向上して、私を愉しませてくれましたのは嬉しい驚きでした。

それにしても、こういうワインを飲むと、ワインに点数をつけることの悩ましさを感じます。点数をつけるとすれば、いいところ87〜88点、とかその程度でしょうけど、これはやはりそうした尺度で語られるべきワインではありません。このボトルと出会ってから、ようやく抜栓する機会を得て、3時間かけて飲み終えるまでの間、さまざまなドラマがありました。酷い環境の中で育て上げられ、大きな期待もかけられず、それでも40年以上、、まさに私の年齢と同じだけの期間、脈々と命を保ち、後半にかけてグイグイと力を増したこのラトゥールは、単にワインを愉しむという次元を超えた、さまざまな感慨を呼び起こさせてくれました。そういう意味で、この日開けたボトルは私にとってこの先長く記憶に残る1本となることでしょう。

(H17,11.28)