超不定期更新コラム

ヤフオク放出事情1

「ひとりごと」に何度か書いたように、今年の春先に、不要になったワインを約1ケースほどヤフオクで売りさばいた。寺田倉庫の預け入れ本数が増えつづけているので、そろそろ歯止めをかけたい、というのが最大の理由だったのだが、加えて下の子供の生まれ年である03ボルドー・プリムールの購入資金の足しにしたい、という目的もあった。

もっとも、今回自分の手もちのワインを「売った」ことについては、単に現金化した、できた、とわりきれないものがあって、ワイン会の場などでも、「ワインは飲んでなんぼのものだよね〜」などと、暗に批判的なコメントをいただいたりもしているし、実際、売らずに自分で飲みたかった銘柄も多々ある。だったら、何で売ったのか、ということになるのだが、それは実利というよりも、多分に自分自身の気持ちの整理的な側面が大きかったのだ。

というのも、このサイトを始めたころとは違って、今や二人の子持ちとなり、本業の稼ぎも今後右肩上がりにあがってゆく見込みはないという厳しい現実の中、自分の生活を振り返ってみると、私のワインライフを、もっとコンパクトなものにしないと、この先続けてゆけないなあ、と今更ながら実感するようになったのだ。

日ごろ私が高価なワインを飲んでいるように思う人もいるかもしれないが、実際私が家で飲んでいるワインたちはせいぜい3000〜6000円ぐらいのレンジのものが中心である。6000円だって、今の我が家の家計を思うとキツイのだが、過去に購入したストックを消費しているのと、飲む本数を、以前のほぼ毎日から週1〜2本に減らしているので、その分1本あたりの価格が上がることには目をつむっている。しかし、それでも万単位のワインを飲むのは、基本的には記念日か、もしくは猛烈に興味のある銘柄(最近ではミアーニなどがこれにあたる)に限られる。まして、2万円を超えるような銘柄を、家で飲むことはまずないと言ってよい。

では、こうした時価2万円を超えるようなワインたち(大抵の場合買値はもっと安いのだが)がなぜストックされているのかといえば、記念日用のものもあるが、主な用途としては、持ち寄りワイン会や来客用を想定していた。
ところが、子供二人抱えるようになって、昔のように月に何度も持ち寄りワイン会に参加することはなくなってしまったし、家の中もとても客を呼んで酒を振舞えるような状況でもなくなった。
そうなると、これらのボトルたちは、消費される機会がないまま、寺田倉庫に鎮座しつづけることになる。2000年のボルドーとか、02のブルゴーニュのように、これから先十年単位で熟成させられる、というものであれば、何の問題もないし、は90ボルドーなどのように、まだまだ余力があるものも、まだいい。
しかし、なかには、そろそろ飲んでやったほうが、ワインにとっても、自分にとっても幸せだろうというボトルたちも結構ある。80年代以前のものはもちろんだが、90年代でも、94、97のブル赤とか、97、98のブル白とか…。こうした飲みごろを迎えつつある高額ワインたちの処遇について、どうしようかと考えたとき、自宅で消費してもいいのだけど、今の私にしてみれば、それがもったいなくて仕方ないのである。
なにせ、最近の夕食といったら、子供たちに晩ごはんを食べさせる隙を見計らって、私とカミサンと交代でそそくさと食べているようなありさまで、ブルゴーニュグラスでワインを飲むときなどは、子供に割られるのが怖くて、流し台のところで立って飲んでいるぐらいである。そんな環境でウン万円のワインを開けるのはどうにも抵抗があるというのは、ワイン好きの方ならわかってもらえるだろう。それでも、過去に一度も飲んだことのないような銘柄なら、清水の舞台から飛び降りるつもりで開けてしまおうか、ということになるが、どこかでグラスで飲んだり、ワイン会で飲ませてもらった銘柄については、まあいいか、という結論になる。かくして、80年代のギガルやボーカステル、グランジ、94のDRC、デュジャックなどが今回の放出の目玉になったわけである。

実はこのようなかわいそうなボトルたちが、まだ1〜2ケースぐらいある。自分でワイン会を開催するという手もあるのだが、幼児二人を抱えた身では、主催者自らドタキャンなんてことにもなりかねないので、あまり気が進まない。秋になったら、またヤフオクでの放出を再開するつもりでいるが、売上げで何かを買う、という明確な目的がないと、せっかくなけなしのストックを手放して作った金が、生活費となって消えていってしまうのが我が家の現状の悲しさだったりする。

(2005.5.17)