超不定期更新コラム

マーラベッセ・古酒テイスティング

古酒というものには、格別の魅力がある。幾星霜をへて、脆くはかなげになった色調、アンズや干しイチジク、それに深い森の中を彷徨っているような土や木や枯れ葉が渾然一体となった香り。アルコールはすでに穏やかになって、獰猛なタンニンや鋭い酸のエッジを脱ぎ捨て、リキュール、もしくはドライフルーツのように甘く昇華した枯淡の味わい。
ただし、このような格別な古酒に出会える機会というのはそう多くはない。高温や温度変化、光などの環境に対してただでさえセンシティブなワインたちが、30年、40年と良好なコンディションを維持するのは、相当保管に気を配っていない限り難しいからだ。
高価な古酒を買って、自宅のセラーで大事に寝かせ、満を持してなにかの記念日に開けてみると、キャップシールの裏は液漏れの後にカビがグッショリ、グラスに注ぐとほとんど醤油のような代物だった、なんていう経験はある程度古酒を飲まれた方ならみなお持ちのはずだ。
いいや、古酒というものは、開封されずに今まで生き長らえてきた、という事実こそが需要なのであって、美味しい不味いは重要ではない。あたればラッキー、たとえ外れても、その古酒が過ごしてきた年月に思いを馳せながら、しみじみと敬意を払って味わうべきものだ。このようなもっともらしいご高説を垂れる御仁もおいでになる。まあ、その手のご意見にも拝聴すべきものはあるが、それは心と財布に余裕がある場合の話。
私のようなしがないサラリーマンにしてみれば、そもそもウン万円も払って50年代60年代の古酒を購入しようなんていう動機は、生まれ年とか何らかの記念の年以外には考えられないし、清水の舞台から飛び降りるつもりでそのような高価な買い物をするのであれば、飲んだという事実だけが記念として残るボトルよりも、至福の瞬間を味わえるような美しく枯れた古酒を飲みたい、せめてハズレる可能性を少しでも低く抑えたいと思うもの。

そんなニーズに対するひとつの回答はおそらく、 「マーラ・ベッセの古酒を選ぶこと」 だろう。

マーラ・ベッセ社は、ボルドーを扱う老舗ネゴシアン。Ch.パルメの共同オーナーであることでも知られているが、この会社の名前を伝説的にしているのは、その古酒のストックと、いったん自社セラーに仕入れたら、出庫するまで1センチたりとも動かさないという徹底した管理方針であろう。実際、過去に味わったマーラ・ベッセの古酒は、どれも完璧なコンディションで、年代のわりに驚くほど若々しく、古酒の醍醐味を存分に味わせてくれたものだ。

そのマーラ・ベッセの古酒をまとめてテイスティングできるというまたとないテイスティング会がエノテカの主催で行われた。当日の試飲アイテムは以下のとおり。(ちなみにカッコ内は同日販売されたボトルの価格)このリストを見れば、私が数年ぶりに貧乏ヒマなしの間隙をぬってでも行こうと思い立ったのも、さもあらんとご理解いただけよう。

Ch.パルメ75(22800円)
Ch.レオヴィルラスカズ70(24800円)
Ch.ララギューヌ70(16800円)
Ch.ベイシュビル66(27800円)
Ch.オーブリオン64(49800円)
Ch.コスデストゥルネル61(69800円)
Ch.マルゴー60(49800円)
Ch.ブスコー59(9800円)
Ch.ラトゥール58(58000円)

行ったのはいつもの広尾店。ただしテイスティング会場は、昔よく行われていた2階のレストランでなく、地下の店内。(←いつから変わってしまったの?残念。)ワインの木箱を重ねた「臨時」のテーブルは、なんだかなあ、という感じだったが、グラスがINAOノテイスティンググラスでなく、リーデル(ヴィノムのシャルドネあたり?)になったのは嬉しい。

 

以下、私がテイスティングした順に感想を。

 

Ch.ララギューヌ70
この銘柄をトップに飲むつもりではなかったのだが、抜栓順序の関係でこれに。 エッジにややレンガを感じるオレンジガーネット。赤〜黒の中間ぐらいのドライな果実、乾いたスパイス、スーボワ。ただし香りはやや弱め。味わいはかなりタニックで固い印象。果実味がドライだが、酒質はしっかりしており、時間とともにバランスがよくなり、中盤から後半にかけて甘いフレーバーが広がるようになった。【89】

Ch.パルメ75
濃いめのオレンジガーネットで、レンガのニュアンスは少ない。これもドライフルーツのような果実、干しプルーン、アンズ、スーボワ、乾いたスパイス。この銘柄は抜栓タイミングと飲んだタイミングがよろしくなかったのか、タンニンと酸が強く、果実味があまり感じられずに辛苦い印象。時間とともにかなりやわらいだとはいえ、制限時間内では厳しい表情のままだった。【88?】

Ch.ラトゥール58
酔っ払う前にと、早めに大物銘柄に移行。年代のわりに驚くほどに若々しい色合い。エッジはまだオレンジ系でレンガはほとんど見られない。香りは(早めに飲んだせいもあるのだろうが)かなりドライ系。カシス、プルーン、イチジクなどの干した果実、スーボワ、黒いスパイス。前2者に比べて強く厚みがある香り。口に含むと、酒質はガッチリしており、果実味がたっぷりと残っている。もっともその分タンニンもたっぷり。この時代のラトゥールは、オフビンテージに強いという評価どおり、50年近くを経てもまだまだ剛直な印象。ただし、やや表情やニュアンスに乏しく無骨な気もする。もっと後半にテイスティングしていればまた印象が違ったのかもしれない。【90〜91】

Ch.マルゴー60
60年という年は決して恵まれた年ではないし、このころのマルゴーはそろそろ没落期に差し掛かる頃合いかと思われる。しかし、飲んでみると想いのほかきれいに熟成していたのが嬉しい驚きだ。中程度のオレンジガーネットでかなりレンガがまざった色調。赤い果実のリキュール、枯葉、干しイチジク。はかなげな香りで、スワリングする気になれない。味わいはアルコールがぐっと低くなり、甘く濃縮した果実中心にやや危うげな酒駆を保っている。今回飲んだ中でもっとも古酒らしい古酒。
【89】

Ch.コス・デストゥルネル61
61年という歴史的ビンテージにして今回のテイスティングで最高値のワイン(69800円)。エッジにややレンガがまざりかなり熟成を感じる色調。香りはカシスやダークベリーのリキュール状の果実や、紅茶、スーボワなどの甘くクリーンなもの。味わいは甘く酒質に厚みがある。やや過熟とすら感じる、トロトロとして官能的な果実味。よく開いた飲み頃感と、まだまだ長持ちしそうな酒躯のしっかり感を両立しているのはさすが61年というべきか。【93】

Ch.オーブリオン64
64年は収穫期に雨が降り、降雨以前に収穫したシャトーと雨にたたられたシャトーとで品質に大きな違いが出たビンテージ。オーブリオンは多分前者なんだろう。とにかくため息の出そうな、黒い果実のリキュールやコーヒー、スーボワ、オレンジピールなどのすばらしい香り(今回テイスティングした中で一番!)。味わいもかなり熟成した印象はあるものの、口中での表情に富んでおり、リキュールのような甘い広がりが心地よい。すばらしい。【94】

Ch.レオヴィルラスカズ70
こうしたリストの中に入ると目立たないが、70ビンテージにしてもすでに30年以上前のワイン、しかも良作年である。まだしっかりした色調。カシスやダークベリーのリキュール状の果実やスーボワに加えて、オーブリオンにも感じられた心地よいコーヒー香。(ちなみにこの香りが見られたのはラスカズとオーブリオンだけだった)味わいは果実味に厚みがあり、酸、タンニンとのバランスもよく、このラインアップの中ではまだ若々しくすら感じるし、個人的にはこの位の熟成具合がちょうどよいと感じる。パーカーさんは酷評しているが、個人的にはかな〜り好み。
【92】

Ch.ベイシュビル66
大物シャトーが続いたあとではやや分が悪いかと思ったが、なんのなんの。61コスとともにもっともピークにあると感じられた銘柄。心地よい赤い果実のリキュール、スーボワ、オレンジの皮。口に含むと、力のある果実味があって、酸、タンニンとのバランスもよく、堂々とした味わい。4級銘柄であるを思うと、驚きのパフォーマンス。一本買って帰ろう…と思ったが、値段が27800円と聞いて断念。(笑)【91】

Ch.ブスコー59
値段云々というなら、迷わずこれでしょう。59年で9800円。忘れ去られているとはいえ、一応ペサックレオニャン特級銘柄。中程度の色調のオレンジガーネットでエッジはまだ意外なくらい若若しい。赤い果実のリキュール、スーボワ、かすかにカフェもあって甘く開いた香り。味わいは酸が高めで、果実味がややおされ気味。フィニッシュにタンニンが残る。決してまだドライアウトしているわけではないが、59年という歴史的な良年にもかかわらず、果実のパワーにやや弱さを感じるあたりはやはりこの銘柄の限界か。なお、今回テイスティングしたうち、この銘柄だけがリコルクものとのこと。【88】

さて、各銘柄の総括に入る前に、少し残念だったことを書かねばならない。
私は今まで、ラフィットとかマルゴーとかムートンとか、ラランドとか、その他何度となくエノテカのテイスティングに参加してきた。それらのテイスティングに不満な点がなかったとはいわないが、基本的にはどれも満足の行くテイスティングだった。というのも、以前のテイスティングは、飲み手に対する啓蒙的な色彩が強く、ゲストとして参加していたオーナーたちにも自分のワインを理解してもらおうという意気込みが伝わってきたからだ。
 それらに比べると、久しぶりに参加した今回のテイスティングは、まるで銀座の画廊の展示即売会。なんというか、全体的に売らんかな、的な雰囲気に満ちていたのがサビシイ。また、写真のように、やたらと背広を着たエノテカの社員(マーラ・ベッセ氏のアテンドだったのか?)が店内を闊歩していたのにも興をそがれた。受付を済ませているのに、マーラベッセ氏と挨拶するためにだけまた長い列を並ばさせられたりとか、試飲の途中で、氏の挨拶があるからと、テイスティングを中断させれれて呼び集められたりとか、一体誰が客なのかと首をひねらざるをえない局面もあった。

正直、そうしたことに加えて大声で薀蓄を語り続ける他の客のマナーなどもあって、かなり「なんだかなあ。」という気分に終始した今回のテイスティングだったが、もちろんそれらによって、出されたワインのすばらしさまで否定されるものではない。

各銘柄に共通して感じたのは、やはり適切な保管による熟成の美しさであろう。30年〜50年近く経過しているのにもかかわらず、どの銘柄もまだ元気で若々しくすらある。特に印象的だったのは、一般に流通している古酒にありがちな、ワラっぽいひからびたニュアンスや過度なジビエ香がほとんど皆無だったこと。
また、一般のビンテージ評価では、忘れ去れているような年、たとえば60年とか58年とかであっても、今回のようにきちんと保存されたものであれば、パーカーさんが言うように「飲みごろをとうに過ぎている」ということもなく、かろうじてどころか、余裕で美味しく飲めてしまうのも改めて驚きだった。

それぞれの銘柄について振り返ると、各欄にも書いたとおり、61コス、64オーブリオンあたりは絶品。58ラトゥールの若々しさには驚かされたし、66ベイシュビルはクラスを超えた美味しさ、60マルゴーのはかなげな熟成感もまたよしだった。
もっとも、こうした素直な感想を述べられるのは、あくまで試飲の席だからということもある。4万〜6万という、それぞれのボトルの価格を思うとき、やはり60年代50年代のワインというのは、「酔狂」な買い物だという気がしてならない。率直に言って、かろうじて私にとって購入候補となるのは24800円のラスカズぐらいのものだったし、熟成感を味わうという意味においても、あえて50年60年代にさかのぼらずとも、70のラスカズで充分満足だったなあ、とも思う。

 それと、ヤボを承知で書くとすれば、やはり「古酒」を飲むシチュエーションというのは、こういうシチュエーションではないのだろうなあ、と。
古酒の魅力を多くの人に伝えようというエノテカさんの努力には敬意を表したいし、このような銘柄を飲めたことは純粋にありがたいと思うのだけど、グラスを並べて人ごみの中で杓子定規にテイスティングすることがこれほどそぐわないと思ったことも珍しい。
 やはり古酒というのは、どこかのレストランにでも持ち込んで、その銘柄をメインに、ドキドキワクワクしながら、キャップシールを切り取り、そっとやさしくコルクを引き抜き、何十年かぶりに空気と触れ合い、グラスに注がれる様子を息を飲んで見守る。そういうシチュエーションが幸せなのでしょう、ボトルにとっても私たちにとっても。

ということで、またとないような貴重な経験をさせていただいたにも関わらず、生まれ年とか、よっぽどの記念の年でない限り、50年60年代のワインというのは、食指の伸びる選択肢ではないなあ、という逆説的な結論に至った、へそまがりの私でした。


(2003.10.20)