超不定期更新コラム

誕生日のワイン

1年ぶりの誕生日 (1年ぶりはあたりまえか(^^;)。
夕食は、早めに帰宅して家ですまそう、ということで、カミサンには、このところ狂牛病騒ぎで、すっかり遠ざかっていた サーロインステーキを所望した。

あわせるワインについては、誕生日ぐらい贅沢しよう、とまでは心に決めていたのだが、銘柄を何にするかで、はたと悩んだ。

生まれ年のラトゥールは、40歳の区切りまで待ちたい。
同年のテイラー・ポートは寺田倉庫に預けっぱなしなので、除外。
それじゃあ、ということで、 ワインビッドで落とした78マルゴーか、某所で買った81ラトゥール、81ムーリンヌあたりが思い浮かんだが、 セラーをゴソゴソとやっているうちに、 ここはひとつ、カケにでてみようかと、90ムートンを開けることにした。

なぜ、90ムートンがカケなのか?

実は、このワイン、ちょっと曰くつきのものなのだ。
NYに出張した折になんとなくブラブラ歩いて見つけた酒屋(シェリー・レーマンでもなくモレル&Co.でもない)で見つけて買ったのだけど、ホテルに戻って見てみると、なんとキャップシールが盛り上がって、ボコボコに吹いていたという代物。

当時は、ボルドー高騰期で、90ムートンといえば、日本では4万円はくだらなかった。だから、3万を切る価格に飛びついたんだけど、ホテルで無様なまでに盛り上がったボトルキャップを見たときには暗澹たる気分になったものだ。

しかしだ。
いくら私が注意力散漫だとはいえ、これほどボコボコに噴いたボトルに、購入時に気がつかないというのも妙な話だ。きっと、酒屋で低めの温度で管理されていたものが、ホテルに持って帰るまでの温度差で噴いたのかもしれない。4月ということで油断していたが、外の気温は25度近くまで上がっていたし。
だとしたら、このボトル、それほど重症でないかもしれない。

そんなことを鬱々と考えてはや2年。
キャップの部分がポコンと丸くふくれ上がったこの代物をワイン会に持っていくわけにもいかず、開ける機会のないまま、セラーに眠らせていたのだが、 いよいよご開帳のときがやってきたわけだ。

さて、問題のキャップシールを切り取ってみると、 なんというか、カビとオガクズ状の物質と、乾いてタール状になった液体とで、不気味な状態になっている。まるで湿地帯で置き去りになっていた木製品のようだ。 コルクは液体を充分に吸い込んで、ずしりと重くなっている。
嫌な予感がする。

恐る恐るボトルに注いでみた。
色は、エッジにオレンジがかった濃いめのガーネットだが、予想したほど濃い色調ではない。それに90年にしてはオレンジがかなり強いような。う〜む、心配が募る。

グラスに鼻を近づける。
ここで、おお、と思わず溜息が出た。
すばらしい香りだ。
麦わら、ナツメグや丁子のような中国のスパイス。果実でいうと、ブラックベリー。ただし、生ではなく、少し火を通したぐらいのフルーツ。色で言えば、 茶色っぽい色をイメージするような香りで、土や木質的なニュアンスもある。しかし、スーボワというほどの熟成香はなく、香りの印象は年代相応というところだ。それにジビエっぽい香りが前面に出ていないのにも安心した。劣化したワインの場合、第一香にパァッとジビエ香が感じられることがあるが、このボトルではそれは皆無だった。

さあ、問題は味わいだ。
ひとくち、口に含んでみると、おだやかな果実味が抵抗無く、口中を満たした。濃縮感はあまりない。力まかせでなく、ゆったり、たっぷりとした広がりがある。
やや干し草っぽいフレーバーがあって、熟成感を感じるが、かといって枯れているわけではない。ジューシーとさえいえる果実味がしっかりと残っている。

酸はしなやかだが、節度があって、でしゃばらない。
豊かな果実味と緩めな酸という構成は90年のボルドーでよく経験しているものだ。

ところで、 ロバート・パーカーは、このビンテージのムートンを

「タンニンの強いスタイルのムートンで、私の予測では、タンニンを流し落として完全な調和とバランスに達することはないだろう。」

と評している。(ちなみにポイントは87点。)
しかし、このボトルでは、それほど攻撃的なタンニンは感じられなかった。たしかに後半やや乾いた渋みが残るが、パーカーさんのおっしゃるほど、バランスを著しく崩しているとは思えない。
結果として、このワインの味わいは、やわらかな果実味を中心に、外向的で厳しさのない、どこか牧歌的なおだやかさ、やさしさがある。

すばらしい。

これだけ調和のとれたワインにあわせるには、サーロインステーキはやや大味すぎたかもしれない。脂身のキツさが、味わいの精妙さをマスキングしてしまうような印象がある。

ただ、このワイン、唯一欠点を挙げるとすれば、余韻が短いのだ。
3万円のワインにしては、なんともあっけなく、液体が喉元を過ぎてしまうのである。
それがこのワインを「偉大な」と呼びずらい唯一の理由だ。

もっとも、偉大とは言いずらいが、充分に魅力的な味わいだったのは確かだ。そしてアートラベルのボトルは、私の誕生日を華やかに演出してくれたのも確かだ。不満があろうはずはない。

翌日、3分の1ほど残ったボトルを飲んでみたが、 このボトルは二日目も豊かな味わいを残していた。さすがに初日に比べると、酢酸を感じさせる馬小屋っぽいニュアンスがかすかに混じり、干し草っぽいフレーバーもやや強くなっていたが、 食事とともに飲むのに何の不満もなかった。

それにしても、 このところ、中堅どころやセカンドクラスのボルドーを飲む機会が結構多かったが、やはり1級銘柄は、香りの複雑さ、味わいのバランス感と奥行きなどの点でモノが違うと改めて思った。そして、ここしばらく、ブルゴーニュにうもれて、ボルドーを軽んじていた自分を恥じた。

「やはりボルドーはすばらしい。」

最後に、このボトル、3万円の価値があっただろうか?
冷静に考えれば、正直、ちょっと首をひねらざるを得ない。
しかし状態も及第点をクリアしており、「記念日に飲む」という役割をきっちりと果たしてくれたこと、ムートンのアートラベルが華やかさに彩りを添えてくれたこと、などを思えば、 とりあえず、今回の「賭け」には、勝った、と言ってもいいだろう。アメリカから抱えて帰ってきた甲斐はあったというものだ。

そして、日ごろ一万円を超えるワインを家で一人で開ける、なんていうことはまずなかった私であるが、やはりワインは飲んでナンボ。ワイン会などの場で、みなでワイワイと評しながら飲むのも楽しいが、こうして、じっくり、たっぷり、ひっそりと、ひとりで飲むのもまた良いものだな、と再認識した。

これから、クリスマス、年末年始と、良いワインを開ける口実?はいろいろある。飲まれる機会のないまま、セラーの飾りと化している他のワインたちも、もっと積極的に開けてみよう、と思った次第である。
(2001/12/2)