超不定期更新コラム |
5ポイントの向こう岸 |
別に開き直っているわけではないが、「こんなワイン飲んだ」でつけている私の評点は、客観性、公平性のあるものじゃなくて、あくまで主観的な満足度にすぎない。事実、飲んだ環境やそのときの気分によってすら変わって来るものだということは何度も書いてきた。 そんないいかげんなものでも、何度もワイン会などでご一緒してる方々などは私の嗜好をよくお分かりになっていて、最近は、「これはshuzさんとこでは92点ぐらいでしょ?」なんて言われたりして、参ってしまう。 それからもうひとつよく言われるのは、「最高点は95点なんですか?」ということだ。 「グラスに顔を埋めたまま死んでもいい。」と思った時が100点、と公言している手前、パーカーさんと違って、そうそう簡単に100点をつけるわけにはいかない。とはいえ、これだけの数のワインのコメントを書いてきて、今まで95点までしかつけていないというのも、我ながらもったいぶってるものだなあ、と思う。 振り返れば、このサイトの前身となったワインのデータベースを作り始めたのは、98年のことだ。それ以来、かれこれ3年コメントを書きつづけていることになるわけだけど、そもそもデイリーワイン飲みの時期が長かった私にとって、ボルドー1級シャトーなどというものは当初は未知との遭遇だった。 そうやって、自分の頭の中で、なんとなく品質と価格のマトリクスのようなものができてくる一方で、評価の基準である「満足度」に関しては、麻薬常習者のように、どんどん求める水準が高まってくるという副作用?に犯されている。そう、ブレークスルーが、めったなことでは起きなくなってきたのである。 例えば、初めて飲んだ1級シャトーは、78ムートンだったけど、当時は「1級シャトーを飲んだ」というだけで、舞い上がって、それだけでポイントも高くなった。 これって、良く言えば、評価尺度が以前より定まってきたともいえるけど、悪く言えば、感動することに対して、鈍感になってきているとういことでもある。 一方で、いまだに自分にとっては「未体験ゾーン」のワインたちがたくさんあって、それらに対する憧憬のようなものがずっと私の中にある。 しかし、最近は、こんなことでいいのか、と自分を戒めたい気持ちにもなる。 上にあげたような「夢のような」ワインたちでないと本当にブレークスルーを得られないのだろうか。 毎食フランス料理ばかりで満腹状態が続いていれば、「ロオジェ」のフルコースを食してもそれほど感動は得られないだろう。でも、空腹のときであれば、定食屋の定食の味にも思いがけなく感動することがある。 3月あたりから毎週続いてきたワイン会の予定が、7月8月あたりになると一段落する。この時期には、ムリにワイン会の予定をいれずに、初心に返って、それほど高価でない身の回りのワインたちともう一度じっくりむきあってみようか、と思っている。 |