超不定期更新コラム

困った人たち。

ワイン会の余興として、ブラインドで盛り上がるのは楽しいものですが、ブラインドをやったばかりに、気まずい思いをすることもあります。
以下のような人は(私も含めて)どこかで誰かの不興を買っている可能性がありますので、気をつけましょう。(^^;


■人が答えているそばで、「そんなはずないじゃん。」とか「これは違う」などと ひとりごとを言っている人。

気持ちはすごーくよくわかります。
実際、私も人が答えているときにそのように思うことはよくあります。
でも、それを口に出して言うのはやめましょう。
それもオープンな会話でなく、ひとりごとをブツブツ言うのはコワすぎます。


■気軽に答えればよいのに、「わからない」と意地を張る人。
 一方、それに対して、答えを強要する人

これは、カラオケスナックで、「歌えない」と固辞しているのに対して、「歌え」とせまるシチュエーションとおんなじですね。
ちなみに、私もまるで見当もつかない場合には、3枚目になりきれずに、 「わからない」と意地を張ってしまう方なので、これが原因で何度か宴の場をしらけさせているかもしれません。
とはいえ、ローヌと聞いてもギガルとシャプティエぐらいの名前しか出てこない私のような人間に、ローヌワインをブラインドで、しかも生産者を問うのもどうかと思いますけど…。


■人に厳しく自分に甘い人たち。

年代を10年ぐらい間違えて、例えば75年のラトゥールを85年のラトゥールと答えて、「銘柄名が当たった!」と悦に浸っている人。
良い気分になっているときにあえて水を差そうとは思いませんけど、75年のボルドー と85年のボルドーではまるで別物だと思うんですけど…。

「シャトー・ラトゥール」を「レフォール・ド・ラトゥール」と間違えておいて、「ムー トン」 と答えた人に対して、「俺の方が近かったもんね〜」と優越感に浸っている人。
一方、「ムートン」と答えた人のほうは、大抵心の中で、「ファーストラ ベルとセカンドの区別もつかないなんて、1級を飲む資格ないじゃん。」と、思っているものです。

■言い訳がましい人たち

いやあ、ビンテージが新しいとねえ、どうしてもハーブっぽい香りが出ますよねえ。
このハーブっぽい香りが出ると、私、チリのワインと間違えてしまうんですよ〜
前に飲んだドンメルチョールやアルマヴィーヴァの若いビンテージがまさにこんな感じだったものでねえ〜。
とか、
この「厩臭」ってすごく独特じゃないですか。これって、ちょうど先月飲んだマディラン がこの香りがすごく顕著だったんで、私はこのトップノーズだけで、マディランだと ばかり思い込んでました。イタリアのワインでもこんな香りが出ることあるんですね〜
とか、
85年のボルドーって、やわらかくて豊かな果実味の具合が89年と似ているじゃない ですか〜。なので、私は85年か89年だと思ったんだけど、まさか85年なんていうレア な銘柄が出るとは思わなかったもんですから…。

…とかとか、こんな風に、間違えた理由を正当化しつつ、その中でさらりと自分の知識や経験を披露したがるわけですな。
あ、これって全部私の最近の発言でした。(^^;


■はずすと真剣に落ち込む人

経験的に、イタリアとかカリフォルニアとかブルゴーニュとか特定の地域に詳しい方が、自分の得意分野のワインを他の国(分野)のワインと間違えたときに多いようです。
まあ、はずして落ち込むほど真剣になっているひたむきさには敬意を表しますが、あ まり行き過ぎると場の雰囲気をドヨ〜ンとさせるので注意しましょう。
また、それを慰める人は、言葉と裏腹に勝ち誇ったような表情で接して、逆効果にならないよう気をつけましょう。


■妙にひねった銘柄を出題する人

絶対あたりっこないような難しい銘柄の出題は、意外に反感を買わないものです。
というのも、
「な〜んだ、こんな難しいの、はずしても仕方ないよね〜。」
と、はずした人も自分を納得させられるからです。それでも、南フランスのセパー ジュすら 定かでないようなヴァンドペイなどを出されても、なんだかなあ、という気分になりますが。
むしろ、「シラーと間違えそうなピノ」とか「カリフォルニアと間違えそうなフランスもの」 とか「ソーヴィニヨンブランと間違えそうなリースリング」などを出題する場合は、麻雀における 「ひっかけリーチ」と同じで、後々遺恨を残すことになりかねないので注意しましょう。 自分の思惑どおりみなが外すと、つい表情も緩んで、主題者は「してやったり」というような顔になりがちですが、外れた人たちはその表情を見逃さないもんですよ。(^^)


■「こんないいワイン、ブラインドで出すなんて、もったいない」

最後に、私がブラインドについて最近思っていることをちょっとだけ書きます。
ブラインドがよく言われているように、「ワインのありのままの姿を」感じ取ろうというものだったら、良いワインこそ、ブラインドで飲むべきじゃないんだろうか? と思うんですけど、実際は、良いワインが出題されれば、私を含めて、表記のような発言が必ず出るわけです。
この言葉って、ブラインドの本質を実に的確についていると思いませんか?

すなわち、本当に真っ白な状態でワインの素顔に対面したいのであれば、極端な話、「あてっこ」なんてせずに、お茶のお手前よろしく黙って黙々と飲んでいればいいのです。
「銘柄あてゲーム」的要素ばかりがクローズアップされるから、
ブラインドで出されるとつい銘柄を推測するのに夢中になる
→ 肝心な「ワインを味わい愛でる」ということがおろそかになる。
→グラスの残りが半分以下になったところで、正解を聞かされて、表題のような発言が出る。
という悪循環に陥るのではないでしょうか。
私自身は経済学的にいうところの「のれん価値」は積極的に認めたいと思うので、高いワインを飲むときには、うっとりとラベルを眺めつつ、その作り手の歴史や数々のエピソードに思いを馳せながら飲めればそれでよいと思ってます。

ブラインドは、私にとっては、あくまで 正確なテイスティングコメントを書けるようになるための味覚の訓練です。 毎月平野弥さんの勉強会に行っているのもそのためです。そういう意味で、以前「ブラインドやりたい」とこのコラムに書いたときとは、ブラインド・テイスティングの効能に対する考え方が変わってきていることをここで記しておきます。

あ、もちろんワイン会の余興としての「純粋な」銘柄当てゲームまで頭ごなしに否定するものではありませんけどね。