超不定期更新コラム

26レヴァンジル

先週末、いつもお世話になっている、のへさんの主催で、1926年のレヴァンジルを飲む機会があった。
「こんなワイン飲んだ」ではさらりと感想を書いたに留めたけど、考えてみれば、今から 75年も前のワインである。
75年前といえば、3/4世紀も昔。 私はおろか私の両親すら生まれていない時代だ。

お決まりのようだけど、その頃一体何があったのだろうかと思って、年表を紐解いてみると…

1919 ベルサイユ条約
1923 関東大震災
1925 普通選挙法
    治安維持法
1926 昭和元年
1929 世界恐慌

とまあ、まさに歴史の授業で習ったような時代に作られたワインなわけだ。

飲む前にこのような「予習」をしていけば、もっと、ロマンチックな陶酔に身を委ねることもできたのだろうけど、事前に読んでいったのが「マイケルブーロドベンドのビンテージ案内」だけというあたり、どうも私はロマンチストにはなれないようだ。

その「ビンテージ案内」によれば、26年は星4つと、良い年だそうだ。
コメントを以下に引用しよう。

1926年★★★★
当たり年。厳冬と寒い春で、花は小さかったが、夏は暑い日が長く続いた。収穫は少なかったところへ、1920年代のワインブームの時代にぶつかったから異常な高値になった。今でも信じられないほど豊潤。

このワインの出所を、会場となったボナペティの西沢さんが事前に調べてくれた。それによれば、このボトルはスイスのショップを経由して来たものらしい。
ラベルが真新しいので、おそらくごく最近シャトーから蔵出しされたものなのかと思われる。しかしそのわりにキャップシールはくたびれていて、コルクの上には黒かびがびっしりと積もっている。
抜栓してみると、コルクもだいぶ弱っているので、おそらく最後のリコルクから15年以上はたっていそうだ。

近年のムートンなどに見られる、蔵出し時にリコルクしたものではなく、 かなり以前にリコルクしたものに出荷時にラベルを貼ったのではないか?と、のへ さんは推測されていた。
いずれにせよ、長い間、おそらく我々が経験する時間の尺度とは一桁違うような、 そんな悠揚たる時の流れの中でひっそりゆっくりと熟成されたものなんだろう。

会場が暗めなため、色ははっきりわからなかったが、決してレンガが強いわけではない。むしろきれいなオレンジガーネットで、エッジの退色がかなり進んでいることからかろうじて年を経たワインだということがわかる程度だ。

香りはおとなしい。
ガラス細工のように繊細で、熟成したワインにありがちな、獣や皮、枯葉、腐葉土などの要素はほとんど見られず、バラの花束、ファンデーション、ムスクなどの甘い成分が長く尾をひくように鼻腔を刺激する。
この甘い香りって、ボルドーでもブルゴーニュでも、古いワインを飲んだときにまれに出くわすけど、そのファクターがこれほどの純度を持って現れたのは私にとっては初めての経験だ。 長大な時間というフィルタによって余分な要素がゆっくりと丁寧に削りとられ、昇華されて、純度の高いエッセンスだけが残ったような、まさにそんな香り。

香りに比べると、味わいは思いのほか若く、やや乾き気味ながらもしっかりと果実味が残っているところが驚きだ。
リコルクにより若い息吹が注入された痕跡が見られるとはいえ、3/4世紀を経てこれだけ果実味が豊かに感じられるとはまさに驚きだ。
テクスチャーには、力強さや濃縮感は最早感じられず、ひたすらやさしく、繊細。
一緒に飲んだ83レヴァンジルが、(もちろんこれはこれですばらしいポムロールだったんだ けど) 一瞬、粗いワインのような錯覚に陥る。

それにしても特筆すべきは、ボトルのコンディションのよさ!
雑味のないクリーンな味わい、調和のとれたフィニッシュ。
余韻は香りと同じように、強くはないが、細く尾を引くように口中に残る。

このグラスを、ブラインドで出されたら、せいぜい60年代後半、いや、70年代半ば ぐらいとしか答えないだろう。

そんな会話をしているうちに、最初か細かった香りが、時間とともに、まるで蝶が羽化するかのようにゆっくりと、悠然と開きはじめ、居並ぶ一同を陶然とさせた。

ところで、このワイン、お値段の方は、4万5千円とか。
ボトル一本の絶対額としてはもちろん高価ではあるけれども、レヴァンジルというトップシャトーであること、しかも26年は良年であること、 それに75年間の保管料を考えればずいぶんとお安いと思ったのは私だけだろうか。

実を言うと、私自身、飲んでいるときには、感激のあまり、自宅のセラー用に一本購入しようと心に決めていた。
ショップに残っている在庫は今回のものと同じロットだ。
この位の年代ものになると、ボトル差が大きいとはいえ、今回ボトルの良好なコンディションを思えば、4万5千円は悪くない賭けだ。
ボトルによっては、もう少し状態が悪い可能性もあるけど、さらに良い可能性だって あるかもしれないわけだから。

しかし結局は、私らしくもなく?、翻意した。
今、同じ銘柄を購入しても、次回開けたときの感動は、もはや「予測の範囲内」だろうと思っ たからだ。それよりはむしろ、今日のこの感動を大切にしまっておきたい。
「一期一会」。
まさにそんな言葉がふさわしい、26レヴァンジルの会だった。