超不定期更新コラム

クルマのこと、ワインのこと。

正月だけど、新年に全然関係のない話題。

昨年はワイン会やパーティなどで、ワイン好きの方々といろいろと話をする機会があった。ワイン会といっても、一から十までワインの話をしているわけではなくて、いろいろな話題になるのだけど、不思議なことにクルマの話題になることはほとんどない。音楽だの本だのテレビだのあるいは旅行だのという話題は結構出るのに。
私の仮説。
きっとワインとクルマっていうのは両立しにくいんじゃないかしらん?。どちらも金がかかる趣味なので…。

ひるがえって私はといえば、ポンコツのBMW318ti(←BMWで一番安いヤツ)をかれこれ5年乗っていて、当分代えるつもりもなく、余分な金をつぎこむ意思も毛頭なく、あと5年は今のまま乗ろうと思っている。というか、このクルマ、今はすっかりカミサンの足と化している。

そもそも、ワインに金をつぎこみすぎているおかげで、ボロボロになったワイシャツを新調する余裕すらない私であるが、マックとワインに凝る前は長いことクルマに夢中だったのだ。
どんなにご執心だったかといえば、趣味が興じてそれを仕事にしてしまったぐらいだから推して知るべし。(注:私の前職は某自動車メーカーの商品企画担当。)

好きなメーカーは今も昔もBMW。一時期「六本木のカローラ」などと揶揄され、ナンパグルマの代名詞みたいに言われたが、これはまったくもってお門違いな批判であって、このメーカーほど、五感に訴える官能性と機能性を両立したセダンをリリースしているところはない、と私は思う。(たぶんに贔屓目なところはある)
私自身、20年近いマイカー歴のうち、10年をBMWで過ごしてきた。(残りはセリカ、インテグラ、インスパイア、VWヴェント)今載っているポンコツの3代前にもBMW320iというのに乗っていた時期があって、このクルマのエンジンは当時「シルキー・シックス」と呼ばれ、世界最高の6気筒エンジンと賞賛されていた。

アクセルを踏み込むと、まさに絹が擦れるような「シャーッ」というすばらしい音とともにタコメーターがスムーズに、それでいて重々しく重厚に上昇する。国産のよく出来たエンジンは、回ることはよく回るんだけれども、回り方がまるでモーターのような軽さがあるのに対して、BMWのエンジンはまるでパイプオルガンの演奏を目の当たりにしているがごとき質感。ピストンやシリンダーなどの各部品がそれぞれにきっちりと仕事をしている、というのが実感できるような回り方なのだ。
ちなみに5年乗ったこの愛車、最後はオートバイイに側面から突っ込まれて廃車という壮絶な最期を遂げた。

とまあ、なんでこんな話をしてきたかというと、クルマの世界における日本車VSドイツ車という図式がワインの世界でいうフランスVSカリフォルニアとなんだか似ているなあ、と思うからだ。

日本の自動車メーカーは長いことドイツ車を目標にしてきた。具体的にはメルセデス・ベンツであり、VWであり、ポルシェであり、とったところだ。
ワインの世界でカリフォルニアが長いことフランスワインのヒエラルキーを目標に据えてきたようなものだ。

そして、日本車ははたしてドイツ車に追いついたのか否かという議論は自動車ジャーナリズムの間では常に論ぜられてきたテーマだった。
トヨタのセルシオやホンダのNSXが出たときには、いよいよこれでドイツ車を凌駕したか、なんて話題になったし、カローラがモデルチェンジするたびにVWゴルフとの比較記事が誌面を賑わせたものだ。

ところが、日本の自動車評論家たちはなかなかそれを認めようとはしない。ハードの性能、たとえば、加速性能やコーナーリング性能、静粛性など個別のポイントでは上回っていても、欧州車が持っている数値に現れない「テイスト」を持ち合わせていない、というのが彼らの反論の主旨だった。
ワイン用語に翻訳?すると、「フィネス」とか「テロワールの表現」といったものだろう。

この議論は多分に日本人の「欧州コンプレックス」も影響していたらしく、むしろ第三者たるアメリカのジャーナリズムの方が、たとえばメルセデスCクラスとホンダ・アコードを比較して、「総合的にはメルセデスの方が上回るが、2倍という価格差を考えれば、アコードの方が買い得だ。」などとあっけらかんと書いていたものだ。

その後円高の影響で、アメリカ国内でも日本車の価格的な優位は薄らぎ、全般に日本車のほうがアメリカ車より高いなんていうことにもなったが、この頃になると日本車は価格の安さよりも、品質の高さでドイツ車とはまた別の、確固たる地位を築いていた。
そう、カリフォルニアワインが、フランスワインを目標にしてきた立場から、やがて独自のステイタスを築くに至り、今度は新興地域のワインたちから目標とされるようになったように。

今、私は自動車業界を離れ、クルマのことにも疎くなってしまったので、日本車VSドイツ車論がその後どうなっているのかは知る由もない。
では、なぜ私がいまだに国内においては明らかに割高なドイツ車に乗りつづけているのか?
それは、私自身もまた、ドイツ車が持っている「テイスト」の価値を認めているからにほかならない。一度箱根でベンツのSクラスとセルシオとレジェンドを比較試乗する機会があったが、その時も、うまく表現できないのだけれども、高級車としての「テイスト」の差があるなあ、というのを再認識させられる結果となった。

話をワインに戻そう。
カリフォルニアワインでいえば、少なくともカベルネについては、フランスとの優劣、というレベルを超えて、ボルドーを中心にすえたヒエラルキーとは異なった別の高い峰を築いたことは誰もが認めざるをえないだろう。
同時に値段もまた、高い峰となってしまったが。

一方、ピノノワールについては、「ワイン王国」冬号に見られるように、まさにこうした議論が盛んになってきつつある時期なのだと実感する。
おそらくブルゴーニュ擁護派の牙城はカベルネの時以上に高いだろう。そしてその議論の究極の論点はきっと「テロワールの表現」とか「フィネス」といった、クルマで言うところの「テイスト」のようなものが中心になるのだろうね。

私自身の経験でいえば、カリフォルニアのトップクラスのピノはあんまり飲んだことがないのでなんともいえないけれども、キスラーとか、カレラとかセインツベリーの単一畑とか、ブルゴーニュのトップクラスに比肩しうるすばらしいものに出会っているのは事実だし、まだ飲んだことはないが、フラワーズとか、ウイリアムセリアム、マーカッサンなどもすばらしいと聞いている。

ブルゴーニュの綺羅星のように並ぶグランクリュと比べると、質というよりは量、すなわち層の厚さの面で見劣りする面はあると思うが、それも勤勉なカリフォルニアのワイナリーたちのこと、いずれ切磋琢磨しつつ多くのレベルの高い作り手を生み出すことだろう。

本心をいうと、私はたぶん「ブルゴーニュ擁護派」のひとりだ。(笑)
でも、決して排他的なマインドは持っていないつもりなので、 今年はカリフォルニアのトップクラスのピノに注目してみたい。そして、ぜひ目からウロコのような思いを味わわせてもらいたいと思っている。