![]() 過去の西脇大劇の話題 映画館西脇大劇きょう再開 被災地区の住民無料 台風23号 2004.11.06 朝刊 28頁 北播 (全267字) 台風23号による浸水被害で休館していた西脇市の映画館「西脇大劇」が六日から営業再開する。十九日まで元気の出る作品を二本立てで特別上映し、被災のひどかった西脇地区南部などの住民らを無料で招待する。 十二日まで「幸せの黄色いハンカチ/菊次郎の夏」、十三日から十九日までは「釣りバカ日誌15/阿弥陀堂だより」を一日三回ずつ上映する(最後のみ一本立て)。 入場料は八百円。南旭町、仲之町、戎町、中本町、南本町、和布町の住民は住所や被災が証明できれば無料。西脇大劇TEL0795・22・2248 台風23号 泥水 市民の娯楽にも打撃 西脇大劇 北播唯一の映画館休館 早期再開目指す 「被災者励ましたい」 2004.10.30 朝刊 26頁 北播 (全679字) 台風23号がもたらした水害で、北播唯一の映画館「西脇大劇」=西脇市西脇=も大きな打撃を受けた。館内に流れ込んできた泥水に、客席や映写機の配線などが漬かってしまった。「映画ファンのお客さんのために、一日でも早く上映を再開したい」。同館では復旧作業を急いでいるが、座席の入れ替えなどに手間がかかり、しばらく休館を余儀なくされそうだ。 同館は一九五八年、加美町出身の故・高尾常松さんが市内で四番目の映画館としてオープンさせた。各地から播州織業界に就職した女子従業員の人気に支えられるなど、長年、市民らに娯楽を提供してきた。 同館のある地域は浸水被害が最も大きかった。館内へも水が約一・二メートルの高さまで押し寄せ、座席や映写室が水に漬かった。興業中だった映画のフィルムも水に漬かり、全損したという。 二十三日からブームの韓国映画などを一週間単位で八週間続けて上映する企画も予定していた。水が引いた後、泥の除去作業や映写機の配線の調整、客席二百四十三席の入れ替えなどの作業が続く。すべて人力頼みだ。そんな中、営業再開を望む電話が一日四、五件かかかり、激励の差し入れを携えて訪れるファンもいるという。 同館を経営するクレンツ映像の高尾博常務(41)は「自然災害による長期休館は初めて」と話す。十一月上旬か中旬には営業を再開したいといい、「被災したお客さんを励ますような明るい映画の上映を企画したい」。 連載<ふるさとの20世紀>(2)/西脇大劇/西脇市西脇/織物の町で映画の競演【北播版】 2000.12.24 朝刊 24頁 北播 (全882字) 薄暗い映写室で、古い映写機が回転音を立てながら、スクリーンに邦画を映し出していた。 平日の昼下がり。だれもいない客席の前で、一本の映画が静かに終わる。一九六〇年代、北播磨に十五あった映画館も、今は西脇大劇だけになった。 西脇市中心部に最初の映画館、蓬莱座ができたのは一九(大正八)年だった。その後、二六年に寿座、四六年に西脇映画劇場、五八年に西脇大劇、六〇年に西脇銀映と相次いで開館した。 人口約四万五千人(五八年)の市で、これだけの映画館が共存できたのは、播州織業界に集団就職した女子従業員の存在が大きかった。その数はピーク時で約八千人を数えた。 「当時の楽しみは映画しかなかった。若い女の子たちが仕事を終えて着飾り、映画を見に行ったり、商店街に買い物に行っていた」。市内で織物業を営む男性は、懐かしそうに振り返る。 西脇大劇は加美町出身の故高尾常松氏が建てた。大理石を使うなど、当時としては近代的な建築。高尾氏は西脇映画劇場と西脇銀映もオープンさせたほか、神戸や尼崎にも進出して映画館を経営した。 盛期には一回の上映に千人近くが入場した。立ち見客は跳び上がりながら、前の人の頭越しに見ていたという。 しかし、テレビの普及とともに客足は遠のいた。さらに、六七年から自動織機の導入が急速に進み、播州織業界だけで六四年には約一万八千人(播州織工業協同組合調べ)いた従業員も減少の一途をたどり、七〇年ごろには集団就職もなくなった。 こうして六七年、蓬莱座が最初に閉館。八四年に寿座が閉まり、西脇大劇だけが残った。 レンタルビデオの普及も加わり、その西脇大劇も厳しい状況に置かれている。しかし、西脇市は高尾氏の創業の地。これからも営業を続けていくという。 開館時から映写手を務める村上明久さん(65)は「昔は活気があったが、これも時代の流れ。寂しいが、大劇だけでも残ってくれてよかった」と、淡々とフィルムを取り換えた。(古根川 淳也) |