2003年7月4日、福岡市東区の福本英造さん逝去。享年60歳
彼の死を悼んで私が2003年7月上旬に掲示板に書き込んだものに
加筆修正して以下、転載します



1997年3月、私の東判画廊(久留米)での個展。
会期2週間に気に入ってくれたのか、いろんな人を引き連れて
3回もわざわざ足を運んでくださって、たくさんお話しして。
それ以来のおつきあいでした。
父とほぼ同年齢のフクモトさん。とてもエネルギッシュ。
仕事の傍ら40代(?)で絵画教室に通い始め、あるきっかけでネパールに行ったそうです。
そのとき現地の画学生たちと知り合い、その貧しい状況を目の当たりにして
なんとか援助しようと、仲間と「アジア同人」というグループを作り、精力的に活動されました。
一方でご自身も抽象画へと作品の志向がうつり精力的に制作されていたようです。
「独立展」をもじった「独歩展」という名前のグループ展を開催、
私も参加させていただきました。

つい1ヶ月前の「独歩展3」
フクモトさんは普段通り、大きい平面作品5点を展示して、なにくわぬ顔。

...それらの作品それぞれには何も画題はなく、
ただ1枚キャプションに「フクモト」と書かれたのみ。面白いひとです。
白地に黒の線(油性ペン?)でシンプルに描かれた作品。
トリスウィスキーのような顔が見え、
涙、そう明らかに涙のかたちのツブツブ。
「珍しい、フクモトさんにしては珍しい...」と思ったのでした。

...少し前から気になっていた、フクモトさんの痩せっぷり。
皆、口々に「大丈夫なのかな、でも元気だし...」と心配していました。

最後のサイゴまで飽くなき探求心を奮い
アートとはなんぞや、と読みあさり議論しあい、
そして、平静を装い。

「オレたちは先が短いけど、ナカさん、なんとか活路バ見いださんと、
 このまんまじゃアンタ、うずもれて終わるバイ!(笑)」

7月4日の朝、
彼は逝った、らしいです。
ご家族にのちのことをいろいろと指示して。
つまり覚悟の上の死。
ご立派です。
お葬式にも火葬にも間に合いませんでした。
だって7月5日朝8時からなんだもん!!
(黒瀬さんから4日夜届いたファックスを見たのは5日昼前の11時頃でした)
早(速)すぎる、さばけすぎてる!
と、思ったら、それはご本人の遺志だそうで。やっぱり!!
戒名もなく「俗名 福本英造」。遺影はカラーでしかも背景の緑樹はCG処理されてました。

インドでは死体は川端で焼かれ、焼け残りは聖なる河へ投げ捨てられるか
野良犬に喰われる、死ぬっちゃあそげなもん、あとはなんも残らん...
と、言わんばかりに。
(実は死の一年ちょい前に検診で医者にガンの宣告を受けて、
「ちょっと出てくる」とメモを残し1週間ほどネパールへひとり行ってたそうです。)

いずれにせよ
愕然、
とても、とても、
とっても悲しいです。








残念、
残念、
残念、。
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アジア同人http://www.montemps.co.jp/circle/020.html

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