701系
★西武初の量産カルダン駆動車★
鷺ノ宮2号踏切にて 1716ほか 81年
1962,12登場した601系で間に合わなかった車体に大幅な変更を加え63,9登場した。
基本部分は601系と同じであるが、外観上の大きな違いは正面のステンレスの飾り板であろう。又、額にはバスのような大きな電照式の行先方向幕を取り付け、この正面スタイルはのちの西武車両の標準ともなった。前照灯は腰部に移し前期車では白熱灯であったが後期から(1749〜)シールドビームが採用された。
メカ的には601系の思想が受け継がれ、在来車(国電メカ)との混結が考慮され自動空気ブレーキのみで制御器も『多段』といっても合計23段にすぎず、加速度も2.0/Secと低くとられていた。冷改前は非常にさっぱりした床下構成であった。
4年の長きに量産されおおまかに701〜724の前期、725〜748の中前期(前頭母線なし)、749〜(製造当初から前面鋼板補強・乗務員掴み棒の埋め込み・運転台スィッチにNFB導入・客室細部の変更)の後期に分けられさらに、791〜は客室のセンターポールの省略がおこなわれている。注目されるのは740番台の一部は側面の窓下にサボ受けを装備し登場したことだろう。また、方向幕は当初、種別を盛り込み登場した。1749号の製造当時の方向幕の順序表はこちら。
801系、101系の登場でレベルアップのため、MGの交流化と制御車の空気バネ台車への交換が実施され、まず765〜780が70年度段階で先行実施されたが、MGに関してはすべて至らず暗い室内照明のまま冷改を迎えたものもある。
75年度から冷房改造とブレーキの直通ブレーキ化が実施され、独特のブレーキ緩解音が聞けなくなった。
701系は新宿線沿線で育った私が、幼いときから見慣れた(聴き慣れた)電車であり親戚の家に行くとき乗り慣れた小田急の2400形に比べ貧弱な運転台や吊り掛け車とつるみ走る姿は印象的だった。
クハのイコライザーのTR11A台車、運転台のMC−1Aマスコン・ME23Aブレーキ弁・カノピーSW2基(コント・リセット、パンタ上下)・手ブレーキの巻取りの「テコ棒」等々、非常に古い機器が多く戦後西武を象徴する電車であった。
伊豆箱根、三岐、上信等地方鉄道で活躍するものについては末永く活躍してもらいたい。
(画像)
後期車の運転台(運転士周り) 計器盤(1808) 前期車運転台(1719)
赤い頃の701系画像
TR11A時代の1716 奥武蔵(1737) 冷改直後赤い冷房車(1701)