Schwabisch Hall
シュヴェービィッシュハル
このコッヒャー河畔の段丘に出来た、たった人口62,600人という小さな古い街は、幸いにして第二次世界大戦のときも連合軍の爆撃を受けることも無く、良き昔の面影を残したくれた。ネッカー川とドナウ川の上流地域をシュヴァーベン地方と呼んでいるが、ドイツの先住民族であるケルト人のときから、塩の産地として発展し、十二世紀には神聖ローマ帝国のフリードリッヒ・バルバロッサ時代には、銀貨の鋳造でも知られたところ。
シュヴェービッシュ・ハルという町の名前は、シュヴァーベン地方のハル(塩の出るところ)という意味。
と言うより、なにより心からリラックスできる落ち着いた美しい風光の街である。
バスが街に近づくと、ネッカー河の流れと調和した美しい家々が緑の中に散在し、着く前から心おどる思いであった。
ネッカー河の左岸には、昔ながらの木骨づくりの建物が立ち並び、段丘の斜面に盛り上がるように、重なり合った古い家々は私たちの溜息を誘う。
それに、何と緑の豊かなこと、流れの水の澄んでいること。
街の中を歩くと、ネッカー川の支流コッヒャー川にかかった橋は、がっしりとした木造で、上の写真のように屋根がついている。本流にかかる石造りの大きな橋には屋根は見られない。小さな流れと屋根つきの橋は情緒たっぷり。,
上左の水辺の光景は素晴らしい。清らかな流れに影を落とす緑の豊かさ。左の写真は、流れに架かった年代のかかった石橋、斜面に並んだ中世そのままの木骨造りの建物、左上に見えている大屋根の建物は、ノイバウ(Neubau)と呼ばれる旧武器庫。
上の写真は、コッヒャー川の流れのほとりか ら、川越しに旧市街を眺めた景色で、浅い谷になった河原はグリーン地帯。
左の写真は、そのグリーン地帯から旧市街と反対側の丘の裾に建っている風情の有る家々と背後の丘。
コッヒャー川の岸は一面に芝生が植えられた広場のようになっていて、五月下旬には「菓子と噴水の祭り」が行われ、この地方の民族衣装をつけた青年男女が広い河原を舞台にて、中部ドイツらしい木組の家を背景に舞踏を披露するという。
シュヴェービッシュハルの旧市街の斜面につくられたマルクト広場を挟んで、川の側には市庁舎が、反対側の丘にはこの街の随一の見所・・・聖ミヒャエル教会が威容を誇っている。幅の広い53段の石段を上がると、八角形のポーチ。その上にロマネスク様式の塔が聳えていた。塔の上の飾りはルネサンス様式である。
マルクト広場をはさんで聖ミヒャエル教会と 向かい合って、バロック後期の典雅な市庁舎 の建物が建っていた。
市庁舎の入口の上の浮き彫りの紋章
聖ミヒャエル教会の堂内に入ると、中はもともとはロマネスク様式だったが、15世紀に入ってゴシックに改造され、更に内陣は16世紀に後期ゴシック様式に改められている。
祭壇は五連の祭壇画のうしろに十字架上のキリスト像。
木彫彩色の礼拝堂の浮き彫り
彩色していない素朴な浮き彫りの礼拝堂
街の建物の外壁に剣を両足にもった双頭の鷲の紋章をみかけた。
戦火に遭わなかったお陰で、中世の文化がそのまま受け継がれ、守られ、しかも市民の生活の場となっているのは、本当に羨ましい。
市民の反対を押し切って京都を「古都」と呼ぶには恥ずかしい、ニョキニョキと安っぽいコンクリートの建物が墓場のように見える京都に住む私は、どうして為政者というものは住民の意見を聞かずに、文化遺産都市などとカラ誇りし、実際は古都の風情を破壊してしまうのだろうか。