【ヨーロッパ写真帖】

ピサといえば咄嗟に「斜塔」と頭に浮かぶほど、斜塔が強いイ
メージを持っているが、私が斜めに傾いている上につるつる滑り
やすい大理石の石段を、パランスをとるのに苦労しながら登った
のが1989年の10月。危険だと立ち入り禁止になったのが翌年の1
月。(以後10年近く立ち入り禁止が続き、倒壊防止工事が続け
られた)
私の印象では文化財の修復二大困難は、ミラノのサンタ・マリ
ア・デルレ・グラーツェ教会にあるミケランジェロの「最後の晩
餐」とひ「ピサの斜塔」だと思いこんでいましたが、それに加え
て先ほどの大地震で倒壊したアッシジのサン・フランチェスコ聖
堂の上のバシリカにあった身廊に描かれていたジオットとその助
手たちによって描かれた28枚のフレスコ画…聖フランチェスコの
生涯、の三大難問になってしまった。
それはさておき、だんだん傾斜が強くなり倒壊の危険をなんと
しても救おうと、いろいろな方法が考えてこられたが、最近のニ
ュースでは、何本かのワイヤーで固定しながら基盤を補強すると
いう方法が取られる…とのこと。また、観光客が安心しててっぺ
んからの雄大な眺めが楽しめるようになればいいと願っている。
広大なドゥオーモ広場にたつドゥオーモは、西から洗礼堂、聖
堂、鐘楼(斜塔)がほぼ一列に並び、その北側に墓地(Camposant)
が建っている配置。
この聖堂は11・12世紀、造船と交易によって強大な経済大国だ
ったピサ共和国時代に造られたもの。その豪華な建物はイスラム
遠征の際、持ちかえられた膨大な戦利品によるものとされている。
まず、有名な斜塔。斜塔は高さ54.5メートル、8層からなり、西
暦1173年に地元の建築家ボナンノ・ピサとグリエルモの設計で、
大聖堂の鐘楼として建てられはじめた。地層の軟弱なためか建築
途中から傾きはじめたというが、かまわずに建ててしまったせい
で、却って有名となったのでは。…もう一つ、斜塔を有名にした
のは、かのピサ出身のガリレオ・ガリレイが斜塔の上から色々な
物体を落とし、重量にかかわらず加速度は変わらない、という法
則を実証したことも、人口に膾炙したことを挙げられる。

斜塔のてっぺんに上がって眺めると、白鳥が羽根をひろげたように真っ白な聖堂と向こう側の洗礼
堂が見え、彼方にはリグリア海がある。パノラマ・サイズで撮った写真。

少しカメラを下げると、どっしりとしたラテン十字をした聖堂の構造が納得でき、半円形の後陣の
様子がうかがえる。五つの身廊を持ち奥行き100メートルという堂々とした聖堂は、上から俯瞰しても
威容が感じられた。

私は○○の高登りが大好き・・・と言っても、青春は遠くなり
にけりという年齢と日頃の運動不足がたたって肥満気味。12世紀
以降、何十万、何百万の人々が登り、つるつるに磨かれた大理石
の階段は相当に怖い。
各階毎に外の回廊への出口があるが、ぐるりと円柱のある回廊
に出ようと思うと、滑ったときに身体を受けとめてくれる手摺も
ない傾斜した回廊は、まったく命がけ。イチ、ニのサンで円柱に
抱きつく。下では妻が手を振っているのが見える。だが、片手で
円柱に身を預けこわごわ片手をふるだけ。
上に上がると案外に広々としていて、大きな鐘が吊り下げられ
ていた。

斜塔の上から眺めたピサ市街

洗礼堂は美しい建物
私は円筒の上にドームが乗っかった格好の洗礼堂が一番気に入っていた。1153年に建造の始まった
洗礼堂の下の部分は、ピサ・ロマネスクの様式の特徴を一番良く現している。二階のアーケードの上
の切妻の装飾と、その上のピナクル(小尖塔)はゴシック様式。クーポラは二重になったように突き
出した構造。その全体の印象とバランス感が絶妙。
内部には八角型の美しい洗礼盤がある。案内人は小人数ずつ交代に中に入れて、扉を閉ざし、いか
に堂内の残響時間が長いかを実演してくれた。手を打つと、いつまでも反響が長引き、一人で声で三
和音を重ねると、見事なハーモニーが響く。

洗礼堂の切妻と小尖塔の装飾が見事

ピサのドゥオーモのファサード
円柱が並んだアーケードが四段になっている。典型的なピサ・ロマネスク様式。内部にはガリレオ
・ガリレイが振り子の等時性を発見した端緒となった重そうなブロンズのランプが交叉部にぶら下が
っていた。

ファサードには三つの扉があり、扉の上の半円のタンパンにはキリスト、マリアなどの像が見える。

●堂内のステンドグラス