印象記『中国・江南の春』

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第1回 旅の選択・江南の春景色

旅の第1日目

 

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【旅の選択】

  私はもう若くは無い、今年の5月8日に満72歳。初めは通常の言葉のやり取りには不自由しないので、個人旅行で気ままな旅をするつもりでいたが、田舎廻りという状況では交通機関の問題、妻と二人で大きなトランクを引っ張ってうろうろするには体力の不安、それに江南という地域が、かって覇権を争った呉と越にまたがる史跡の多い地域であること…などから、やはりツアーに頼らざるを得ない。

  という所で、今度はツアーの主催会社の選択。

  私はここ暫くは、募集人員を20名以下に限定する、連泊が多い、次ぎの宿泊地のホテルには早めに到着して気分的にゆっくり出来る、むやみ矢鱈に駆けまわらず一国のみ、あるいは近接する数カ国のみ廻るワールド航空を利用していたが、同時に同じようなツアースタイルをポリシーにしているトラベル世界にも注目していた。両者の扱っている江南をめぐる旅では、ワールド航空が6日間…これでは物足りないので、今回は11日間という点が選択するポイントとなってトラベル世界に決定した。

  今回の参加人数は14名という理想的な人数。中型のバスでも一人4座席を占有できてらくちん。10名が関東方面からの参加者で、関西からは私たちを含めて夫婦二組だけであった。成田からの関東勢と関空からの私たちは上海の虹橋空港で合流することになる。私たち京都からの4人はトラベル世界の大阪支社社員の見送りを受けて、4101340分発の中国東方航空MU516便で上海に向けて飛び立った。

  いよいよ上海をゲートに蘇州・無錫・鎮江・楊州・南京・湖州・杭州・紹興・西塘・周荘と江蘇省、淅江省の小さな町々を廻る「旅情の運河・江南古都めぐり」のはじまりである。

  終戦後の八年間を中国の東北地区で残留生活を送ってきたが、昭和28年に引揚船高砂丸で舞鶴港に着いて以来、47年間、中国の土を踏んだことはないので、まるで今浦島感覚。

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【江南の春景色】

 上海から蘇州に向かう途中は、郊外に出て豊かな緑の風景が広がりはじめた途端、一面の菜の花畑が広がり、時には麦畑と菜の花がパッチワークのように市松模様のように見られました。

 日本でも温かい房総半島や南紀、伊豆あるいは他の黒潮の暖気に恵まれたところでは未だ冬の寒気の去らない時分から、菜の花が一面に咲いているところは有りますが、江蘇州ほどバスが何時まで走ろうと、遥か彼方まで一面に黄色い風景が続いているところは無いでしょう。蘇州から南京に至るまで、郊外に出ると、いずこも菜の花だらけにはびっくりしました。 

 蘇州から無錫までは大運河を観光船に乗りましたが、観光船から眺める岸辺の景色も、蘇州近郊の工業地帯を抜けると、両岸は一面の菜の花。船から眺めると、このあたりの菜の花は背丈が日本のものより随分高いように思えました。家々が現れ、一つの町を過ぎると再び黄色と緑の世界。岸辺の地形に従い、盛り上がって見えるところ、平坦なところすべて菜の花。それに劣らず街路樹の木々の緑の芽吹きも春の息吹を感じさせてくれました。

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第1日 自宅→関西空港→上海虹橋国際空港→蘇州

                          1999年4月10日(土) 10,844歩〔一日で歩いた歩数〕

 自宅からタクシーに乗って京都駅の表口へ。いつものように駅に着いたのは「はるか」発車の1時間前。忙しないのはご免だと早め、早めに家をでるが、流石、発車までの時間をもてあましてしまう。

 ホームでぶらぶらしながら列車を待っている連中の中には、私たちの他にもう一組の夫妻がいるはずだが、海外に出かけるような身支度をしたペアは見当たらなかった。発車寸前になって熟年よりはだいぶ上のような夫妻が現われ「あの人たちだろうか」と感じたが、軽々には声をかけられない(思ったとおり、関空でバゲージを預けて搭乗手続きをするために旅行社の社員から指定されたGカウンターに行ってみると、やはりくだんの老夫妻の姿があった。)

 京都駅発9時46分「はるか17号」に乗車。関西国際空港駅着 11時1分。4階Gカウンターで前もって託送していたバゲージを確認。社員から搭乗券受け取り中国東方航空13時40分発のMU516便に搭乗。

  到着 上海虹橋国際空港 15時50分(時差1時間)

 入国審査、バゲージのゲットを終わって出ると、小柄な三十がらみの男性がぴらぴらの紙に「トラベル世界」を書いたものを頭の上に掲げてわれわれを迎えていた。これが尤クンとの初めての出会い。彼は国営の旅遊社から派遣された尤君という蘇州の国営旅遊社のスルーガイドで、出発から帰国の日までずっと面倒を見てくれると言う。

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        上海虹橋国際空港のロビー       上海虹橋国際空港前の広場

 バスに乗ってから聞いたところでは、主な観光地ではその上に現地ガイドも付くとのこと。14名の参加者に添乗員の岩東さん(若い!タレントのように可愛い、しかも愛嬌も有り熱心以上にマメ)、尤クン、現地ガイドと賑やかな三人もの世話焼きが同行する旅になる。ついでに書いておくと、岩東さんはバスでの移動の最中、日本から持参したお菓子、現地で書い足したお菓子をマメに全員に配ってくれるのだ。「ひょっとすると、トランクの中の半ブンはお菓子?」と聞きたいほど。

 関東方面の参加者が成田発で10名。到着は私たち関西勢より1時間遅れなので、尤クンの案内でコーヒーラウンジで待つことになった。私たち京都からの四人のメンバーがモタモタしていたからか、30分もしないうちに成田からの参加者が出てきて合流した。

 16時30分 専用バスで上海虹橋国際空港を蘇州に向かって出発。田舎道や観光地市内の狭い道路もあるので。ヨーロッパや日本製の大型バスでは通れないことも有るのだろう、中型の旧式バスだったので、最新の大型バスのように大きなバゲージを胴体に積みこむことは出来ない。それで旅行中、中型のバンが私たちの荷物を積んでついてくることになっているようだ。このバゲージ運搬のクルマはバンだったり、軽トラックだったり宿泊ごとに違った車種になっていた。

 最も、私たちのバスが交叉点でもたもたしているうちに、何時の間にか先行してしまって姿が見えなくなっていた。

 今、建設ラッシュの甫東地区でなくとも、一番活気に満ちみちているのは上海ではなかろうか。…かなり郊外に出るまで、新しい工場が稼動していたり、建設途中であった。工場地帯をやっと抜けると田園いっぱいに見事な菜の花畑。視界いっぱいの広がり。ところによるとすくすく背丈を伸ばした麦畑と市松模様を作っているところもあった。

 やがて、今までの田園風景から都市近郊の風景に変わってきた。尤君は、「このあたりは、海外の企業との合弁の工場がたくさん建設されています。皆さんがあと2、3年して再訪されると、がらっと変わっていて吃驚されるでしょう。」と言う。

 私の頭の中に響いているのは、あいも変わらず戦前に流行った歌謡曲「蘇州夜曲」

     君がみ胸に 抱かれて聞くは

     夢の舟唄  恋の唄

     水の蘇州の 花散る春を

     惜しむか柳が 啜り泣く

        (どうしようもなく古い、古い昭和初め生まれの72翁…)

 だが、実際に眼に映ってくる風景は、大都市の近代的な建物と広い市街地の道路である。

 私の中国体験は半世紀も昔のはなし。しかも昔に満州と呼ばれていた東北で、私の脳裏に残存するイメージとは、新しい近代的な市域の隣接するとはいえ、城壁に閉ざされた《城内》にあった伝統的な建物=房子(ファンズ)が迷路を形成している中国人街てであった。

 蘇州に入って、その既成のイメージは軽く吹っ飛んでしまったようだった。2500年の歴史をもつ蘇州は14〜17世紀にわたる明代に一番栄え、既に100万都市てであり、現代でも、江南の中心都市として人口100万人を超え、都市部だけでも70万人を擁する街なのである。有名な京杭大運河〔北京から杭州まで中国の何南北を貫く大運河〕は蘇州の西を流れ、市外を外堀のように取り囲んでいる外域河から水路が市街地を縦横に結んでいる。

 蘇州には四大名園と呼ばれている拙政園、留園、獅子林、滄浪亭ほか名園や由緒のある塔などの見所が多く、日本人にも親しまれている街だが、それらは街のあちこちに散在し、ひとつの市域として固まっている訳でもない。活気のあふれる近代的な街を通って、ひょこっと出会う名勝なのである。

18時00分 蘇州 竹輝飯店に到着 1075室に落ち着く。竹輝飯店とはホテルの前の道路…竹輝路に面しているためにつけられた名称で、日本で言えば風致地区なので高層の建物は建てられないので、4階建ながら四ッ星の風格のあるデザインが素敵。外壁にも、室内のいろいろな場所にも名称に因んで、竹を組み合わせた模様が使われていた。

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竹輝飯店の玄関前

 

 偶然、このホテルには国王フミポン殿下の娘さんが宿泊中ということを聞いた海外からのVIPが泊まるということからも、竹輝飯店が格式のあるホテルであると実感した。

 夕食はバス近くの南林飯店というホテルに行き、ホテルレストランで蘇州の家庭的料理を賞味。ここでは長さ5センチくらいの鰻の稚魚をタレで真っ黒に炒めたものを食べさせられたが、のちのちまでも昼食にも夕食にもこのメニューが登場したので、なるほど江南の名物料理だったのかと納得。でも正直言って余り結構なお味とは言いがたい。

 20時00分、竹輝飯店に帰着。チェックイン後、トランクを開ける時間がなくて放っておいた荷物を整理。9時頃にティーラウンジでコーヒーを飲みながら、二人の少女シンガーのポップスを聞く。

                  【宿泊:竹輝飯店】

 


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