『北欧・・・・・・・夏の名残に』 

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第12章 ベルゲンにて  @

1995年 8月26日 天候:晴れ 気温:18度

 

 フィヨルドの奥にあるヴォーゲン湾を包むように市域が広がっているベルゲンの地形は、長崎湾にとても良く似ています。歴史のある港町の風情がなんとも言えません。後ろに緑の濃い山があり、瀟洒な建物が這い上っている様は、関西に住む私には神戸に似た印象も受けます。

 私たちの着いた今夜の宿、ラディッソンSASホテルは、ヴォーゲン湾の奥に広がる市街の入口近くになります。ベルゲンフースと呼ばれる、石垣をめぐらせた中世の城跡が湾の入口にあり、広場を隔ててすぐもうホテル。山側には12世紀に建てられたベルゲン最古の建造物・・・・白い石造りの聖マリア教会があります。

 ベルゲンはフィヨルドの首都と呼ばれているように、フィヨルド観光の基地として本当に便利なところにあります。ことに観光客がよく訪れる南部フィヨルドを探訪するには位置的に優れています。と同時に忘れてはならないことは、長年、ハンザ同盟都市として、北方ヨーロッパの海運、商業、文化の中心地でもあったことです。今でも三角屋根を並べたかってのドイツ人商館は、その面影をとどめています。西暦1070年にオーラフ・ヒッレ王が町として開いて以来の、九世紀にわたる歴史があり、現在でも人口22万人を有するノルウェイ第2の都市です。 といっても、日本第2の都市のようにゴミゴミしていませんし、緑の豊かな美しい町です。

 私たちは、部屋割りも終わり、ベルボーイがトランクを部屋まで運んできてくれたのを確認すると、もう、夕食の時間ですが、

 「夕食後は、ケーブルカーでフロイエン山に、夜景を見に行きませんか」

という木村さんの誘いに、大いに期待していました。

 夕食は、

  前菜   小エビとメロンのカクテル

  メイン  サーロインステーキ、赤ワインソース

  デザート カスタードキャラメル 

●フロイエン山から見たベルゲンの夜景

 9時にホテルのロビーに集合。ホテルから出ると、聖マリア教会をぐるっ回り、海岸通りから一筋山手の Obregaten通りへ出て、東にぶらぶら歩いてゆきます。途中、大きな三角屋根の連なる旧ドイツ人商館の裏手に出ます。道なりに辿ってゆき、フロイエン山のケーブル駅。標高 320メートルの山頂まで、わずか6分で登ってしまう小さなケーブル。でも、公園のように整備された山頂の見晴らし台に立つと、眼下に遮る物のないベルゲンが一望できました。

 まだ、完全に暮れきってはいません。市街地は目一杯に電灯の光が溢れていますが、空の色を映したフィヨルドの水面はまだ明るさを保っていますので、百%の夜景には程遠い景観です。それだけに、七つのフィヨルドと七つの山に囲まれたベルゲンの地形は鮮やかに、眼前に展開していました。ベルゲン湾の奥にかたまっている市域、長く突き出した半島は電灯の光に覆われています。その彼方のフィヨルド・・・・、その対岸のほうも、山の麓に市域が広がっています。左手の方にも水面が広がっています。

ベルゲン港の風景

 三脚を持ってきていなかったので、カメラを柵の手すりに固定して、ヘルゲンの夕景を4、5枚撮影。

 みるみる空が暗くなってくると、電灯の光は輝きを増し、百万ドルか一千万ドルかの夜景に変わってゆく様は、そろそろ夜寒が身に染みるのも忘れ眺めていました。

 再びケーブルで麓に下り、皆は思いおもいに散策がてら町を見ながらホテルには10時40分頃帰着。明日はまるまる一日ベルゲンの市内の観光です。

◇ベルゲンにて二日目  1995年 8月27日 天候:曇り 後 快晴 朝の気温11度

 「始めは処女の如く、終わりは脱兎の如し」という言葉がありますが、何時のヨーロッパ旅行の時でも、始めの三日間くらいは、時間の流れがすこぶる遅く「まだ二日目か」と驚くほどです。しかし、旅の日程も終わりに近づきますと、時間の流れは急加速してアッという間に帰国の日が目の前に迫ってきます。

 今日は北欧九日目。そぞろ浮足立ってくる気分ですが、折角一番楽しみにしてきたベルゲン散策の日です。後の日程のことは忘れて、一日目一杯楽しみたいものです。

 予定表を見ますとベルゲン在住の日本女性ガイドさんの案内で、

  *午前中

   市内観光

   作曲家グリーグの家

   ブリッゲン(ベルゲン湾に沿った旧市街)散策

  *午 後

   自由行動

となっています。

 午前九時、ロビーに降りると、赤いスーツ姿のガイドさんがもう待機していました。私たちの顔が揃ったところで彼女は、

 「おはようございます。ベルゲンのお天気は晴れの確率が3分の1といわれていますが、今日はそのお天気の日にあたり良かったです。半日ですが、皆さんに美しいベルゲンの街をお楽しみください。さあ出掛けましょうか」

 添乗員の木村さんとの打合せも済んだらしく、親しげな様子。

石造りの聖マリア教会

 私たちがの乗り込むと、バスはホテルと隣の13世紀に建造されたというホーコン王の居城だった高い城壁との間を右折、石造りの聖マリア教会をぐるっと半周して右折、湾岸のブリッゲンの通りと平行して山側を走る通りに出ました。すぐ右手に旧ドイツ商館の建物群が、三角屋根を積み重ねたように眺められます。バスは昨夜登ったケーブル駅のところで右折し、細長いベルゲン湾の最奥の海岸通りへ。ベルゲン市民の台所・・・・魚市場があります。喜劇作家ルードベック・ホルベルトの銅像が立っている広場を過ぎ、ホテルから見て対岸の通りに入ると、フェリー乗り場のある埠頭や海運事務所の建ち並んだ広い通りを走り、ノルウエイの誇る国民的作曲家エドワルト・グリーグも洗礼を受けたというヌイイ教会を過ぎると、半島の突端にある水族館の前をぐるっと回って、半島の西岸にでると、今度は別の湾を隔ててラックスウォーグ半島を望む道路に入りました。

ベルゲン湾に面した市街のたたずまい

 一応の見所を踏まえながら、バスの窓からのベルゲン観光です。今日の午後は自由行動なので、各自、観光あるいは散策の予定を立てる目安になります。

 *アマリエス女史の銅像

 *正面にヘクリック・イプセンの銅像が建つ国民舞台(劇場)

 *グリーグの銅像が立っている市立公園、花とロココ風の優雅な装飾のアズマヤ、湖岸に野外音楽堂(一見、シドニーのオペラハウスに似ていましたが、随分ちゃち)

 *カソリックのセントポール教会

 *総ガラス張り壁面のコンサートホール(5月にはベルゲン国際音楽祭が開かれ、ベルゲン交響管弦楽団と内外の演奏家が出演)

 *ベルゲン大学は白い建物で、現在、1500人の学生が学んでいるノルウエイでは国立3大学のひとつ。

 *アルミ張りの外壁の4層の建物は、科学技術センター(HIB)

 *ロープ工場だったというのは、湾岸に沿った道路に面した細長い黄色い建物は、今何に使われているか   聞き漏らしたが、不況で工場閉鎖になった町工場のような 感じでした。

 *西日の射している小高いところの広大な敷地にある建物ガレムハウゲンは、国王が買い取り、皇子が学   生の頃、住んでいたところ

などをバスの窓越しに眺めながら走りました。

●トロールハウゲンのグリーグの家

 「では、これから少し郊外に出て、皆様が<劇付随音楽ペールギュント>などの作曲家として良くご存じのグリーグの家に参ります」

と真っ赤なスーツのガイドさん。

 バスは、ベルゲン湾を挟んでいる二つの半島から、更に次の半島に移り、商工業施設など見当たらない静かな住宅地域に入ってゆきます。進行方向右手にもう一つのフィヨルド湾の光景が時折眺められます。やがて、空き地といった恰好の広場に停まり、

 「ここからは、歩いて頂きます」とガイドさんが、先にたって歩き始め、私たちも後を追います。

 「歩き方」には、「グリーグの家は、市の郊外にありバスで15分、HOP 下車。バス停から散歩道を歩いて20分」と案内しています。植え込みの繁った生け垣に沿った道です。本当に20分も歩いたのでしょうか。突き当たりに、現代風の建物が見えてきました。上部は採光のためガラス張りで、下は白い壁に "EDVARD GRIG MESEUN Troldhaugen"の文字があり、エントランスには三角の平屋根が突き出しています。ここで、ひとわたりグリーグの生涯を写真で眺め、パンフレットなどを貰います。

"EDVARD GRIG MESEUN Troldhaugen"

 スカンジナヴィアの国民主義音楽の大家エドワルト・グリーグ (1843〜1907)はここベルゲンの生まれで、ライプチッヒ音学院に学び、ドイツ・ロマン派のF・メンデルスゾーン、R・シューマンに傾倒しましたが、1964年にリカルド=ノールドラークを知り、その影響で国民主義音楽の創造を志した・・・・という風に聞いています。イタリア旅行の後、1867年にノルウエイ音楽アカデミーを設立。

 ピアノ協奏曲イ短調(1869)や、ペールギュント組曲などで、わが国の音楽フアンにも親しまれていますが、晩年は、ドイツ、イギリスでの自作の上演以外には、ここトロールハウゲンの湖を見下ろす作曲小屋での仕事に過ごしていたそうです。

 Tシャツ、音楽テープなど、いろいろなスーベニールを売っていましたが、まずは見学。小高いところに、周りを芝生と花壇をめぐらせたビクトリア朝風の白い建物があります。あまり大きくはありません。私たちの目には典型的な二階建て洋館といった風情です。グリーグ夫妻が生活していた当時の雰囲気がよく伝わります。

グリーグ夫妻が生活していた家

 外に出て、細い道を下ってゆきますと、グリーグの等身大の銅像が路傍にあり、その下に作曲小屋が見えています。更に下ると、一間限りの作曲小屋。中には入れませんので、ガラス窓越しに額をガラスにくっつけて室内を眺めました。反対側の明るい窓辺に大きな木製のデスクと背もたれの丸い椅子。左手には煉瓦を積んだ壁面にくっつけてアップライトのピアノ。ピアノの上にはメトロノームと一輪挿しの花瓶。鍵盤の上には蝋燭立てが左右に付いています。電気照明の無かった時代のピアノはこんなものでしょうか。楽譜が開いて置かれていましたが、窓からの覗き見では、どんな曲なのかは見えません。広さは20平米ほどでしょうか。

湖に面したグリーグの作曲小屋とその内部

 作曲小屋の脇をさらに下ると、フイヨルドの畔にでます。やや曇りかげんになって来た空の色を映して、波もなく穏やかな水面が広がっていました。グリーグも作曲に倦んできたとき、フトその景色に目をやったことでしょう。

湖畔の作曲小屋に下りる途中にあるグリーグの銅像

 また、元の道を引き返し、グリーグ夫妻の墓の方を目指します。グリーグの奥さんとなったニーナ・ハーゲルーブーは彼と従兄妹どうしで、ニーナが18歳のとき再会し、1864年のクリスマスの時に婚約、67年に結婚。しかし、双方の家族たちは音楽家としての彼に経済的不安を持ち、誰も結婚式に出席しなかったといいます。

 また彼女は声楽家としての名声も得るようになり、私たちも良く知っている歌曲「君を愛す」「茶色の瞳」などグリーグ歌曲の良き理解者、演奏家としても知られるようになっています。

 その二人の墓というのが、そそり立つ岩壁の中程に、井桁形に組まれた石がそれだというのです。いかにも冷たそうな、寄りつき難い場所です。また墓所への途中、二つが繋がったような草屋根の平屋がありました。これがコンサートホール「トロールサルーン」。斜面に立っているので、まさかこれが!とびっくり。建物内部は白木造りで収容人員200人とは!

 再びミュージアムに戻り、グリーグの肖像の入ったTシャツと、テープを購入しました。演奏時間は15分ほどの、いずれの曲も一部分の抜粋。背景にベルゲンやフィヨルドの風景が流れます。

 1. ピアノ協奏曲イ短調

    レイフ・オーヴェ・アンスネス/ピアノ

    ベルゲン交響楽団

 2. ソルファーゲルとオルメコンゲン

    エヴァ・クナルダー/ピアノ

 3. 山の王の宮殿で(ペール・ギュントより)

    CSSR国立交響楽団

 4. 弦楽四重奏曲ト短調 第四楽章「フィナーレ」

    ノルウエイ弦楽四重奏団

 5. 愛せよ(ハウグトゥッサより)

    マリアンネ・ユーヴィク・セーポー/ソプラノ

    クヌート・アルブリット・アンデルセン/ピアノ

 6. 組曲ホルベルクの時代から「プレリュード」

    ノルウエイ室内交響楽団

 

 「人生は不思議だ。民謡のようなもので、その旋律が長調なのか短調なのか、人は知らない」・・・・とグリーグの語った言葉。海外での音楽学生のときの望郷の念にかられた時、最愛の娘アレクサンドラを亡くしたときの絶望的な悲しみ、妻との不和・・・・など、栄光の陰で味わった様々な辛酸が、語らせた言葉。通りすがりの旅人は、彼の名声と栄光ばかりしか見ないが、グリーグの音楽が私たちの胸に響くのは、単なる才能の問題ではなく、彼の過ごした一生が響きの中に籠もっているのではないでしょうか。

 また地道をぽくぽくと歩いてバスに戻り、旧市街のほうに戻りました。


 

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