島原藩

松倉家→高力(こうりき)家→松平(深溝ふこうず)家→戸田家→松平(深溝)家

戦国期には有馬晴信の領するところであった島原地方は、いわゆる「岡本大八事件」で改易後、一時天領となったが、松倉家が入る。

松倉家はキリシタンの取り締まりを強化するが、折から大凶作が重なり、ついに島原の乱が起きる。
一揆というにはあまりに大規模な反乱は九州諸大名、幕府軍の大軍をもって3ヶ月をかけて平定。
松倉家はこの責によって改易となる。

松倉家の後には、遠江浜松より高力家が入るが、二代目の高力隆家は失政により改易となる。

丹波福知山より松平(深溝)家が6万5千石で、入り、五代続くが、下野宇都宮の戸田家と交替。

戸田家二代のあと、また交替で松平(深溝)家が戻ってきて、幕末まで治める。


歴代藩主

松倉家

大和五条より 4万石
外様 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

松倉重政(しげまさ)

従五位下 豊後守
松倉重信の子

二代

松倉勝家(かついえ)

従五位下 長門守
松倉重政の長男

領内騒乱につき改易

高力家

遠江浜松より 4万石
譜代 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

高力忠房(ただふさ)

従五位下 左近大夫
高力正長の長男

二代

高力隆長(たかなが)

従五位下 左近大夫
高力忠房に長男

無嗣改易

松平(深溝ふこうず)家

丹波福知山より 6万5千石
譜代 帝鑑間 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

松平(深溝)忠房(ただふさ)

従四位下 主殿頭
松平(深溝)忠利の長男

二代

松平(深溝)忠雄(ただかつ)

従四位下 主殿頭
一門松平(深溝)伊行の二男

三代

松平(深溝)忠俔(ただみ)

従五位下 主殿頭
一門松平(深溝)次章の四男

四代

松平(深溝)忠刻(ただとき)

従五位下 主殿頭
一門松平(深溝)勘敬の長男

五代

松平(深溝)忠祗(ただまさ)

従五位下 主殿頭
松平(深溝)忠刻の長男

下野宇都宮へ

戸田家

下野宇都宮より 7万7千石
譜代 帝鑑間 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

戸田忠盈(ただみつ)

従五位下 日向守
戸田忠余の四男

二代

戸田忠寛(ただとう)

従五位下 壱岐守
出羽庄内藩主酒井忠徳の子

下野宇都宮へ

松平(深溝ふこうず)家

下野宇都宮より 6万5千石
譜代 帝鑑間 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

松平(深溝)忠恕(ただひろ)

従五位下 大和守
松平(深溝)忠刻の二男

二代

松平(深溝)忠馮(ただより)

従五位下 主殿頭
松平(深溝)忠恕の六男

三代

松平(深溝)忠侯(ただよし)

従五位下 主殿頭
松平(深溝)忠馮の四男

四代

松平(深溝)忠誠(ただなり)

従五位下 主殿頭
松平(深溝)忠侯の二男

五代

松平(深溝)忠精(ただきよ)

従五位下 主殿頭
松平(深溝)忠侯の四男

六代

松平(深溝)忠淳(ただあつ)

従五位下 主殿頭
伊予宇和島藩主伊達宗紀の三男

七代

松平(深溝)忠愛(ただちか)

従五位下 主殿頭
三代松平(深溝)忠侯の弟忠篤の子

八代

松平(深溝)忠和(ただかず)

従五位下 主殿頭
水戸藩主徳川斉昭十六男

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