飫肥藩

伊東家

5万1千石
外様 柳間 城主

伊東家は鎌倉以来の名門で日向の地頭に任じられていたが、戦国期には伊東祐兵は島津勢に攻められ、大友宗麟を頼って豊後に逃れ、大友軍も島津軍に耳川で大敗すると、秀吉を頼った。

秀吉の九州征伐に従って、旧領の飫肥を回復した。この時、日向入りに従軍した伊東勢はわずか16人だったとも言われる。

島津家との確執はその後も続き、毎年正月には島津討滅を藩主が誓う秘事もあったという。

結果的に鎌倉以来、曲折はあったものの日向の地に所領をまっとうした。


歴代藩主
 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

伊東祐兵(すけたけ)

従五位下 豊前守
伊東義祐の九男

二代

伊東祐慶(すけのり)

従五位下 修理大夫
伊東祐兵の二男

三代

伊東祐久(すけひさ)

従五位下 大和守
伊東義慶の長男

四代

伊東祐由(すけみち)

従五位下 左京亮
伊東義久の子

五代

伊東祐実(すけざね)

従五位下 大和守
伊東義久の四男

六代

伊東祐永(すけなが)

従五位下 修理亮
一門伊東左門祐信の長男

七代

伊東祐之(すけゆき)

従五位下 大和守
伊東祐永の子

八代

伊東祐隆(すけおき)

従五位下 修理大夫
伊東祐永の三男

九代

伊東祐福(すけよし)

従五位下 大和守
伊東祐隆の子

十代

伊東祐鐘(すけあつ)

従五位下 左京亮
伊東祐福の子

十一代

伊東祐民(すけたみ)

従五位下 修理大夫
伊東祐鐘の子

十二代

伊東祐丕(すけひろ)

従五位下 修理大夫
伊東祐鐘の子

十三代

伊東祐相(すけとも)

従五位下 右京大夫
伊東祐民の子

十四代

伊東祐帰(すけより)

正四位 修理大夫
伊東祐相の子

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