沼田藩

真田家→天領→本多家→黒田家→土岐家

戦国期、沼田領は真田昌幸と小田原北条氏の所領争いの舞台となり、秀吉の小田原征伐の契機ともなるのだが、北条氏滅亡後、真田氏に安堵された。

真田昌幸は嫡子信之に沼田領を与え、自分は本領の信濃上田に居を構える。

関ヶ原の合戦では真田信之は東軍につき、西軍についた父親の上田領他を併せ、9万5千石に加増された。
信之は居を信濃上田に移し、嫡子信吉に沼田領を譲る。

信之はほどなく信濃松代に移るが、沼田真田家は別家として存続する。

信吉の子三代熊之助が7歳で夭逝すると、大叔父にあたる藩祖信之の弟信政が4代藩主となる。藩祖信之が93歳の長命を保ち、松代、沼田両藩に隠然たる影響力を持っていた間はよかったのだが、信之が亡くなり、沼田5代信利の代になると、表高3万石といわれる沼田領から14万4千石という非常識な検地を行い、暴政に苦しむ。幕府の命じた両国橋架け替えの用材調達の遅延を理由として改易されてしまう。

このあたりの真田家草創期の経緯は池波正太郎氏の各著作をご一読願いたい。

しばらく幕領となるが、下総相馬より本多氏が入り三代嗣いで、駿河田中へ。

常陸下館より黒田氏が入り、上総久留里へ。

駿河田中より土岐氏が入り、十二代続いて幕末に至る。

真田家関連リンクとしては、ここがお薦め!真田氏の館「三代録」


歴代藩主

真田家

3万石
外様 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

真田信之(のぶゆき)
信濃松代藩主となる

従五位下 伊豆守
真田昌幸の長男

二代

真田信吉(のぶよし)

従五位下 河内守
真田信之の長男

三代

真田熊之助(くまのすけ)

なし
真田信吉の長男

四代

真田信政(のぶまさ)
信濃松代藩主を継ぐ

従五位下 内記
真田信之の二男

五代

真田信利(のぶとし)

従五位下 伊賀守
二代真田信吉の二男

改易

<天領>

本多家

下総舟戸より 2万石→4万石
譜代 帝鑑間 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

本多正永(まさなが)

従四位下 伯耆守 侍従
本多正直の子

二代

本多正武(まさたけ)

従五位下 遠江守
榊原大膳久政の二男

三代

本多正矩(まさのり)

従五位下 豊前守
本多正永の弟本多正方の子

駿河田中へ

黒田家

常陸下館より 3万石
譜代 雁間 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

黒田直邦(なおくに)

従四位下 豊前守 侍従
中山直張の三男

二代

黒田直純(なおずみ)

従五位下 大和守
前の上野沼田藩主本多正矩の二男

上総久留里へ

土岐家

駿河田中より 3万5千石
譜代 帝鑑間 城主


 

藩主

官位・通称

出自(実父・嫡出関係)

初代

土岐頼稔(よりとし)

従四位下 丹後守 侍従
土岐頼殷の三男

二代

土岐頼煕(よりおき)

従五位下 伊予守
土岐頼稔の長男

三代

土岐定経(さだつね)

従四位下 美濃守
土岐頼稔の五男

四代

土岐頼寛(よりひろ)

従五位下 伊予守
土岐定経の二男

五代

土岐定吉(さだよし)

従五位下 美濃守
土岐定経の三男

六代

土岐定富(さだとみ)

なし
土岐定経の五男

七代

土岐頼布(よりのぶ)

従五位下 山城守
土岐定経の七男

八代

土岐頼潤(よりみつ)

従五位下 山城守
備後福山藩主阿部伊勢守正倫の五男

九代

土岐頼功(よりかつ)

従五位下 山城守
信濃飯田藩主堀右兵衛尉親長の九男

十代

土岐頼寧(よりやす)

従五位下 伊予守
土岐頼潤の五男

十一代

土岐頼之(よりゆき)

従五位下 山城守
伊勢桑名藩主松平(久松)定永の九男

十二代

土岐頼知(よりおき)

従五位下 隼人正
九代土岐頼功の三男

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