検閲につながる「倫理綱領」に反対する


96年2月16日付で通産省 「電子ネットワーク事業における倫理問題に係る自主ガイドラインについて」 という文書 (報道発表件名は 「ネットワーク上の倫理問題に関するガイドラインの策定等について」) を、 電子ネットワーク協議会 (以下、協議会と略記)は 「電子ネットワーク運営における倫理綱領」(以下、「倫理綱領」と略記) 及び 「パソコン通信を利用する方へのルール&マナー集」 を発表しました。

これら文書は、ネットワークのユーザーのWWWのホームページが 猥褻罪に問われたことに関連して、 プロバイダーに対しても警察の家宅捜索が行われたという事件 をふまえたものと思われます。 また、合衆国の 「コミュニケーション品位法」 (合州国電子通信法の全文は こちら)の成立をも念頭に置いた措置であるかもしれません。

どのような事情であれ、私たちは、通産省や協議会が、多くの事業者やユーザーと の討議に付すこともなく、一方的に上記の諸文書を公表したことに対して、下記の点 で非常に大きな危惧の念を抱いています。なお、論点を明確にするために、以下、主 として「倫理綱領」への私の見解と批判を述べますが、これらは上記の他の二つ の文書への批判でもあります。

    ユーザーの情報の内容に踏み込んだ規制

    「倫理綱領」において、協議会は、「法および社会慣習により遵守すべきとされ る公序良俗」の「尊重」、肖像権、著作権などの人格権の尊重を、事業者自らの責任 において遂行することなど五点にわたる「基本理念」の「遵守」を事業者に求めてい ます。このように、パソコン通信やインターネットなどへのアクセスサービスを提供 するネットワーク事業者が、ユーザーの発信する内容に踏み込んで、その遵守すべき ルールを定めることは、通信の秘密の侵害と検閲を禁じた憲法及び電気通信事業法に 違反せざるをえず、私たちは反対します。

    適用に歯止めがない

    「倫理綱領」の内容は、抽象的な一般論であり、その適用に歯止めがありません。た とえば、「倫理綱領」にいう「公序良俗」とはどのようなものを指すのでしょうか。 あるいは、肖像権や著作権などについて、どのような基準でその保護を設定するので しょうか。「倫理綱領」はこれらについて、抽象的な表現で言及しているだけですが 、しかし、逆に一般論であるがゆえに、この倫理綱領は、どのようにも拡大解釈が可 能となり、ユーザーの発信する情報を規制する大幅な裁量権を事業者に対して与える ものであり、ユーザーの表現の自由、言論の自由を侵害する危険性をはらんでいます。

    ユーザーの通信の秘密を遵守できない

    もし、事業者が、ユーザーの発信する情報にも責任を持ち、その是非についての裁 量権を有するという場合、内容に対する規制について、事業者はいかなる公正な判断 基準をもちうるのでしょうか。たとえば、警察や公権力がユーザーの情報に関して、 摘発等の規制を行った場合、事業者はどのような立場をとるのでしょうか。電気事業 法は、憲法をふまえて、「電気事業者は、取扱中に係る通信の秘密は、侵してはなら ない」(第四条)と規定していますが。ところが「倫理綱領」ではこうした事業者が まずなによりも遵守すべき義務についてまったく言及がありません。

    警察等の公権力の摘発などが生じた場合、それをもって直ちに対象となった情報を 排除すべきものと判断すべきではありませんし、公権力の介入を黙視してよいわけで もありません。すくなくとも、かかる場合には、ユーザーの通信の秘密を最大限守る 努力をすべきであり、場合によっては、かかる公権力による摘発や干渉に対して、断 固として異議を申し立てる必要もあります。しかし、「倫理綱領」にはそうした公権 力などの摘発に対して断固とした態度を宣言する姿勢が一切みられません。むしろ、 「倫理綱領」は、警察などの摘発や、様々な圧力団体の抗議、外交・政治・社会問題 などの「外圧」を斟酌した恣意的な規制に陥る危険を常にもっていると言わざるをえ ません。

    このことは、先のbekkoameに対する摘発に際して、bekkoameが被疑者以外のユー ザーのデータをも警察に引き渡したこと、他のプロバイダーやパソコン通信の事業者が こうした摘発に対して沈黙し、むしろ自主規制の姿勢を強めようとしているというこ となどによって既成の事実になりつつあることに強い危惧の念をもちます。

    検閲の恐れがある

    「倫理綱領」は、こうしたトラブルが起きた場合の対処というよりも、むしろそれを 未然に防止することに重点が置かれているように見受けられます。これは、事前にト ラブルを規制する措置をとるということであり、情報の内容について、審査してその 是非を判断し規制するという検閲に該当します。これは、「電気通信事業者の取扱中 に係る通信は、検閲してはならない」という電気通信事業法第三条に明らかに反する ものであると考えます。

    ユーザーの発言権の保障がない

    倫理綱領の「対応窓口の明確化と管理体制の整備」には会員からのクレームに対して 、迅速に対処することや「広く会員に告示する」などの対処が示されています。その 対処が意図しているところが何なのかはっきりしません。クレームに対して、事業者 だけが対処すればよいという立場に私たちは反対します。ネットワークは、事業者の 占有物ではありません。ユーザーは正当な対価を支払い、アクセスする権利を持ち、 なによりも思想信条の自由、言論の自由を含むユーザー自らの人権という市民的権利 を保障された情報発信の権利主体です。このようなユーザーの権利の保障が制度的に 明確にされないクレームの処理は、ネットワーク事業者にのみ裁量権を認め、利用者 の権利を一切認めないものであり、反対です。

    多様な価値観への配慮がない

    国際的なコミュニケーションの世界において、そこに参加する人達が全て同じ価値観 や倫理を共有していると想定する事は非現実的であるばかりでなく、多元的、あるい は多文化的な世界的なコミュニケーションのネットワークのあり方を否定するもの と 言わなければなりません。下手をすれば、自民族中心主義ととられかねない実質を有 することになる危険性すらありえます。むしろ必要なのは、多様性が必然的にはらむ 摩擦や矛盾、あるいは対立に対してどのようにそれらを抱え込みながらネットワーク を運営するかという視点です。

    「倫理綱領」は一方的な押しつけ

    「倫理綱領」発表の手続きは利用者の権利と意見を無視した一方的なものであり、認 められない。

    「倫理綱領」のようなユーザーの権利を制約する内容のものを、利用者との討議も なく、一方的に発表するやり方は、貴協議会が、ユーザーの権利についてまったく何 一つ考慮していないものであるということをその態度において示したものと言えま す 。わたしたちは、このような方法で突然示された「倫理綱領」を認めることは出来ま せん。

    私は「倫理綱領」に拘束されない

    以上のように、ネットワーク事業者に向けられたとされるこの「倫理綱領」がその 内容においては、むしろユーザーの発信する情報に対する「倫理」基準になっている ことに強く抗議します。

    この「倫理綱領」とは逆に、ネットワーク事業者がなによりも遵守すべき「倫理」 とは、ユーザーの権利を保障することであり、検閲をせず通信の秘密を侵害しないと いう倫理であるべきだと考えます。今回の「倫理綱領」はその発表の手続きもその内 容もともにユーザーの権利を無視したものといわざるをえません。また、倫理や道徳 は私たち個人個人の内面にあるものであって、「倫理綱領」のように外から押しつけ られるべきものではありません。

    私はこの「倫理綱領」及び上記二文書に縛られることを拒否します。私 は、以上の趣旨をふまえて、「倫理綱領」及び上記二文書の撤回を要求します。

1996年3月25日


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