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慶喜と「取手宿」

徳川斉昭の歌碑
我が子慶喜の将来を思う、父斉昭の気持が伝わる

天保八年、江戸に誕生した慶喜は、父斎昭が夢見たとおり十五代将軍職に登りつめたのですが、慶應三年十月十三日、大政奉還という時代の大きな流れ・勢いには杭し難く、職を降りました。

このとき、慶喜は三十二歳でした。

取手市の史料によりますと、慶喜は五回「取手宿」を通行しております。

一回目は、天保九年四月父斎昭の養育方針で小石川の江戸屋敷を出て水戸へ下るとき。二回目は、天保十四年四月江戸へ上るとき。三回目は、五月江戸から水戸へ帰るとき。四回目は、弘化四年八月一橋家相続内命のため出府のとき。五回目は、慶応四年四月江戸城明け渡し・謹慎生活のため水戸へ下るとき、です。

しかし郷土史研究家の中には、“明治二十六年慶喜が母登美宮吉子を亡くしたとき水戸の菩提寺瑞龍山へ埋葬のため帰省したときの行き帰りを含めてもいいのではないか”と指摘する人もいます。

父徳川斉昭が利根川を渡る際に読んだ和歌が、染野家に伝わっています。

さして行く
棹のとりての
わたしふね 思ふ
方二ハ とくつきに
        けり
生末に さをもとり
ての わたし船 わた
れる世をハ あたに
くらすな

この二首のうち一首目を斉昭はたいへん気に入っていたようで、石碑に刻み染野家に贈っています。その歌碑は右の写真で、現在も本陣西側の裏山に残っています。父が息子の出世を思う気持ちをこめて読んだこの歌を、十五代将軍となった慶喜はどのように思ったことでありましょうか。

歌碑に刻まれた歌
歌碑にはこのように歌が刻まれています。

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