美し国・取手宿美し国・取手宿物語>水戸街道

日本の交通網の起網

慶長六年(1601)伝馬の制が設けられ日本橋が五街道(東海道・中山道・奥州道中・日光道中・甲州道中)の起点となり、水戸道中・佐倉へ至る街道・岩槻道など里程の要となりました。

明治六年(1873)「東京は日本橋、京都は三條橋の中央をもって国内諸街道の元標となす」と定められ、以来、交通政策の原点としての里程計算を日本橋から計測し、一定距離のところに宿駅を設けて参勤交代の本陣や宿泊設備・公用荷物の継送のための問屋場を置き定められた伝馬・人夫を常駐させて運輸交通の利便をはかりました。

(平成19年2月25日)

水戸街道

水戸は御三家家の一つである水戸徳川家の城下町、この水戸と江戸を結ぶのが水戸街道です。五街道に次ぐ脇街道、水戸様の往還道として天和(てんな)から貞享(じょうきょう)年間(1681〜1688)十九宿・ニ九里余(約120キロ)の道程が整備されていきました.取手宿は江戸から十里。千住、新宿(あらじゅく)、松戸、小金、我孫子(あびこ)に続く6番目の宿です。

初めてこの街道を通った水戸藩主は、黄門様と親しまれている徳川光國公。天和(てんな)二年(1682)10月、江戸から水戸に向かった記録が残っています。往時、藩主の御国入りの際には、千人を越える大行列が街道を行き来したこともありました。

しかし幕府が軍事上の理由で架橋を禁じていたため、道中は坂東太郎と異名をとる大河・利根川を船で渡らねばなりません。藩主の乗る召船のほか、高瀬船や艀船など十数隻の鉛を集めピストン輸送のように川を渡りました。取手の渡しの川幅は、およそ300メートル。利根川届指の難所と言われていました。船頭も旅人も緊張の一瞬が続きます。

水戸中納言斉昭卿初御入部行列之図(部分)
[土浦市立博物館所蔵]


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取手地場産品・水戸街道「取手宿」プロジェクト
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