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議会質問


--2006・11議会--

《新都市ビジョン策定と産業政策》
@都市ビジョンの策定について  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市長□
A新しい産業政策        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市長□
Bモノ作り産業の誘致    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・商工観光部長□

《岐阜市を築いた先人の歴史研究・保存とまちづくり(岐阜城最後の城主・織田秀信を中心として)》
    @郷土の歴史研究と継承等     ---------------------教育長□
A織田信長居館跡の発掘      ---------------------教育長□ 

《川の水かれについて》
@河川水位の低下の現状認識 ・・・・・・・・・・・・・・・・・人・自然共生部長□
A河川水位の低下の要因   ・・・・・・・・・・・・・・・・・人・自然共生部長□

《カシノナガキクイムシによる樹木被害への対応について》
岐阜市における被害状況と今後の対応方針--------------農林部長□


       -----------------質 問 本 文-----------------

 初めに、新都市ビジョンの策定と新しい産業政策及び産業誘致について質問したいと思います。  先月22日、政府は今回の景気拡大期間が戦後最長に達したと発表したところであります。しかし、経済大国に押し上げたときのようないざなぎ景気、そういった高揚感を欠いておりまして、地方都市では経済停滞に悩む所も多いのが実態でもあります。働き手など個人レベルでは、アルバイト等低賃金の不満が依然として根強い、こういったこともあります。このような個人や地域間における格差拡大傾向はこれからも続くことが予想されております。今後は、この格差を乗り越えて、都市としての活力、自立を図っていくための明確なビジョンを持って都市経営に当たる姿勢が求められると考えます。この点は少子・高齢化社会の進行の中で安心して暮らしていくための雇用、医療、介護等の社会保障制度の安定のためにも極めて重要なことと思います。  先月の7日、長良川国際会議場で行われました中核市サミット2006において、私は第3分科会「雇用と福祉制度の将来像」に出席しましたが、パネリストとして発言されました多くの市長さん等からは、地方都市における雇用の受け皿として、さらに、セーフティーネットとしての福祉制度の維持安定のためにも積極的な企業誘致と、そのための工業団地造成にも取り組むとする産業政策を発表される都市が多かったことが強く印象に残っております。  さて、我が岐阜市は商業都市としての歴史と特性を持っております。その上、名古屋経済圏の一角にありまして、不況時においても比較的深刻な雇用不安等に陥ることが少ないと思われますが、その裏返しで都市としての活力や自立性を欠くと感じるのは私一人だけではないと思います。今後求められる足腰の強い都市づくりのためには、そのためのしっかりとした都市ビジョンと産業政策等が必要でないかと思うものであり、以下、3点について質問をいたします。  まず初めに、市長にお尋ねをいたします。  現在、総合計画の見直しに取り組んでおられると思いますが、この中で活力ある都市づくりのための岐阜市全体の骨格づくりと、さらに、地域の特徴、特性を生かした多様な地域核のあるまちづくりなどのインパクトのある都市ビジョンの策定についてどのようにお考えなのか、お尋ねします。  2点目ですが、JR岐阜駅前において3つのコールセンターの進出や新産業創出のためのインキュベーション施設の設置がなされています。これらの状況を踏まえて、今後の岐阜市の牽引力となる新たな産業政策についてどのように考えるかについてであります。  質問初日には、業種としてのITとともに環境負荷の少ない物づくり産業の導入との方針が示されていたところであり、理解できるのですが、産業政策としては有望分野、新規産業の導入だけでなく、既存産業の活性化や異分野との融合、さらには、団塊世代のパワーを活用した地産地消型の農業ビジネス等さまざまな施策が考えられます。また、岐阜市のように中小企業のまち、むしろ零細企業で成り立つ都市においては、現実問題として中小零細企業の情報化や高度化、新たな組織化が大きな課題であります。こうした点を含めて、岐阜市の産業政策ビジョンを明らかにしていく必要性を感じるものであり、お尋ねをいたします。  3点目は、商工観光部長にお尋ねをいたします。  雇用吸収力に富み、さらに、即効性が期待できるのが物づくり産業であります。もちろん物づくりといっても単純な製造業ではなくて、現在の知識集約化時代に対応した付加価値生産性の高い製造業のことですが、その誘致についてどのように考えるのかであります。先ほど触れましたとおり、岐阜市は第3次産業に特化した都市としての特徴があるのですが、足腰の強い都市としては第2次産業、特に物づくり産業を含めたバランスのよい産業構造が求められると考えます。特に東海環状道路西回りルートが延伸して岐阜市境付近まで来ている現在、活力のある中京経済圏の物づくり産業進出の受け皿づくりを考えるべきでないかと思いますが、お考えをお尋ねします。  

次に、岐阜市を築いた先人の歴史研究、保存とまちづくりについて、特に岐阜城最後の城主・織田秀信を中心に質問いたします。  御存じの方も多いと思いますが、少し秀信公のことを紹介させていただきたいと思います。  織田秀信は、信長の嫡孫、孫で、信長から始まる織田家4代目の岐阜城主であります。日本じゅうの戦国大名たちを二分する関ケ原の戦いでは石田三成の誘いで西軍方について戦いました。慶長5年8月、関ケ原を目指した清洲に集結した東軍の部隊は、江戸にいた徳川家康の出陣を促すため西軍の拠点であった岐阜城攻略を合戦の口火にしようとしました。西軍方の秀信軍は木曽川中流に布陣し、岐阜城攻略を目指す池田輝政らの軍と戦いましたが敗れてしまいます。優勢であった東軍はさらに進軍を進めて、秀信をとうとう金華山頂の岐阜城に追い詰めました。そして、激しい攻防の末、秀信は福島正則や池田輝政らの軍に敗れ、とうとう捕らえられてしまいます。そこで自害をしたかったという、そういう思いもあったということも伝わってきておるとこですが、上加納の浄泉坊、現在の円徳寺に移された秀信は、そこで剃髪をし、紀州の高野山へ追放され病没、病死したとされております。また、このとき落城した岐阜城も廃城という運命をたどっています。  このように岐阜市史を初め、岐阜市のホームページの「岐阜物語」など通説では、秀信は紀州の高野山で亡くなったとされているのであります。しかし、その後の調査によりますと、高野山出家を望んだ秀信ですが、祖父・織田信長が高野山聖を惨殺したため、高野山衆徒の反対で入山できなかったと言われます。やむなく高野山ろくの向副村、現在の和歌山県橋本市にありますが、そこの豪族・西山家の保護を受け世を過ごしました。その後、高野山への出家が許されて入山できましたが、衆徒の迫害に遭い破門され、半死半生の態で慶長10年5月8日、下山しました。高野山では、この日を秀信の死として命日になっております。しかし、下山後、向副村の善福寺に入り、村人の手厚い看病で一命を取りとめました。しかし、再び発病した秀信は世をはかなみ、同年7月27日、みずから命を絶ち、26歳の生涯を閉じたとのことです。  秀信の歴史に詳しい、元岐阜城の副館長で歴史研究家の加納宏幸さんの綿密な調査では、失意の時を過ごした向副村では、秀信は西山家当主の弟の娘・梅の身の回りの世話を受け、若き身のことゆえか男子をもうけております。西山家にとっては一族の家門を汚すことになるので、梅をひそかに知人の家に移すとともに、秀信には一日も早く身を固めることを求めます。その結果、近江源氏の流れをくむ在郷豪族の生地新左衛門尉坂上真澄の娘・町野と正式に結婚し一子をもうけており、その子孫は現在、織田(おりた)家に至っています。この織田(おりた)家の織田(おりた)は、織田(おだ)、織田信長の織田と書きます。  先般、織田秀信終えんの地を訪ねる企画が持たれましたので、私も同期の議員の藤沢さん、西川さん、浅井さんとともに参加をいたしました。終えんの地・橋本市向副では、子孫の織田宗司さんや秀信の墓所や観音寺に安置された位牌を守ってこられた地元の方々とお会いすることができました。自然石の大変質素な墓には、落ち人としての一抹のわびしさを感じさせるものがあります。  ところで、お墓の少し手前には大正時代に建てられた石碑がありました。碑文には秀信の足跡が書かれてあり、驚いたことに書いた人は岐阜の円徳寺住職であります。このことは既に大正時代には岐阜の関係者でも秀信の本当の終えんの地がわかっていたことになります。大ざっぱに言いますと、岐阜では昭和時代にその歴史の継承が途絶え、先ほど述べましたとおり、岐阜市史でも誤って高野山での死亡説をとってしまったことになります。加納宏幸さんの懸命な調査によって、秀信の歴史が今また正しくつながったということができると思います。  ところで、近く秀信の墓は道路の拡幅工事で影響を受けると聞いており、歴史の保存が危惧されます。岐阜城、織田家4代にわたる城主はいずれも悲劇のうちに最期を遂げるのですが、今回の歴史探訪の旅行中、私は、その最後の城主・秀信については、関ケ原の戦いの東軍、西軍の苦衷の選択や、終えんの地における1人の青年としての戸惑い、葛藤など、人間臭さを感じたものです。同時に、失意の秀信を支えた橋本向副の人々の温かさを感じた次第です。子孫の方や地元の方々が秀信の墓を守り伝えてきた歴史については、岐阜市民も知り、理解する重要な意義のあることではないかと考えたところであります。  さらに、他の岐阜市を築いた先人についてもこのように埋もれてしまった歴史があるのではないかと危惧し、郷土岐阜に関する研究と文化財保護の努力について、認識を新たにしたところでもあります。  とりわけ織田氏に関する歴史は、現在、NHK大河ドラマ「功名が辻」が放映され、天下統一への立て役者として焦点が当たっていることもあり、歴史の活用といった側面も見逃せないものがあるのではないでしょうか。  さらに、本年は斎藤道三が嫡男・義龍との争いに敗れた土居口の戦いから450年後、道三の娘婿でもあった織田信長が岐阜城に入城して440年目の節目の年であることから、現在、岐阜市歴史博物館では、できる限り良質な資料をもとにして美濃地方の戦国時代を見直した意欲的な「道三から信長へ」の特別展を行っています。  岐阜市のまちを築いた信長父子等の歴史は、今、地方分権時代における自立型の都市の建設においても深いかかわりがあり、岐阜市民がまちづくりに関心を持ってもらう意味においても広く知ってもらう価値があるところです。来年度においては信長居館跡の発掘調査が計画されているところでもあります。  そこで、以下、教育長に質問をいたします。  岐阜市のまちの基礎をつくった人物として斎藤道三、織田信長を初めとする岐阜城主の歴史は、そのまま我が国の戦国時代における天下統一への大きな歴史の本流をなすと思うものです。それだけに最後の城主・織田秀信の最期についても埋もれていた歴史を研究するとともに、その成果、史実等を守り後世にきちんと伝えていく必要性を感じるものであります。この点は他の岐阜市を築いた先人の歴史についても指摘されるところであります。歴史を知ることは郷土への愛着を深め、ひいてはこれからのまちづくりの上においても力になることと考えるものであり、市民にどのように歴史を伝え、理解を深めていくか、教育委員会としてのお考えをお尋ねします。  その際、織田秀信の歴史文化財の保護に当たっている橋本市民との市民レベルの交流促進についてもどのようにお考えか、お聞かせください。  さらに、来年度以降に行われる織田信長居館跡とされる岐阜公園千畳敷調査に関連してお尋ねします。  今からその成果が期待される発掘調査でありますが、その計画内容について、そして、歴史上の人物として一番人気のある信長だけに、これからの岐阜市のまちづくりに生かしていくような取り組み方ができないのか、質問をいたします。  

次に、川の水かれについてお尋ねをします。  岐阜市は清流長良川をシンボルとして恵み豊かな川のまちであります。清らかな川の流れ、水辺の風景は生活空間に彩りを添え暮らしを豊かにします。また、防災面においても緊急時の防火用水としての役割を担っているところでもあります。しかし、近年、平常の水位が下がりつつあり、また、かれてしまうという異常な現象が発生しています。特に都市内河川の正木川や早田川などに顕著な例が出ています。このうち正木川は、岐阜グランドホテル付近を始点とする流路延長3.7キロメートルの1級河川であります。歴史的には、長良川の昭和14年締め切り工事以前に流れていた古川、古々川の一部名残をとどめるのがこの正木川と早田川です。早田川は数年前に水かれが大きな問題になりましたが、正木川はそのころは水位はわずかに低下する傾向が見られましたものの、水かれといった状況とはおおよそほど遠く、むしろ住宅の密集する中心部を流れる川として、一刻も早く洪水対策のための河川工事が求められる河川でした。実際に今でも降雨時には一気に増水して住宅地への越流被害をもたらす典型的な都市河川の特徴がありますが、正木川はそのため、今、伊自良川への排水機場付近の下流部からの河川工事が続けられているのであります。  しかし、ことしぐらいから、入り、正木川は雨天時以外は午前中を中心に鷺山の旧市営住宅や旧県営住宅地では水かれ状態なのであります。そして、最近は午後も水がれとなってしまったのであります。このため周辺住民は、かつては豊富な水量があった正木川の干上がった川底を見て大変不安を感じてます。自然現象なのか、雨水との関連なのか、人為的なことなのか、地盤沈下が起きるのでないか、大地震発生の前ぶれでないか等、さまざまに憶測が飛び交っております。また、防火活動のためせぎ板が設置できるようになっているのですが、用をなさない状況にあります。住民総出で定期的な清掃活動を行っている正木川でありますが、先日のクリーンシティぎふの日に行われました自治会と小学校とのふれあい清掃活動では、一般に川掃除につきものの長靴、スコップ、バケツ類、こういったものではなくって、ほうきとちり取りで川底を掃くといった笑えない現象を引き起こしているのであります。  いずれにしましても、川がかれるということは尋常なことではなく、どうしてこのような状況になったのか、科学的に根拠のある説明を行うことが住民の不安を解消するために必要であります。  以下、人・自然共生部長に質問いたしますが、まず、正木川、早田川のような水がれ現象は都市内の中小河川に限ったことなのか、長良川本川等の水位状況はどうなのかなど、河川状況の現状認識についてお尋ねします。  2点目として、河川水位低下等の要因についてどのように判断されるのかです。  住民の不安に的確に対処していくためにもしっかりとした科学的な原因分析を行う必要があると思いますが、どのようにお考えか、お答え願います。  3点目として、河川水位低下等への対策についてであります。  先ほども申し上げましたとおり、川の水がれは付近の住民に不安感を増長させます。市民の一人として川の環境を保全していく必要性を感じますが、有力な水源を持たない都市内の中小河川の場合、有効な方法として具体的に何をすればよいのかわからないところもあり、行政の的確な対応と指導が求められると思うものであり、この点お伺いします。  

最後に、カシノナガキクイムシによる樹木被害対策について農林振興部長に質問いたします。  近年、山形、新潟、福井、石川、滋賀、島根などの日本海側の各県でミズナラやコナラが集団で枯れる被害が発生し、大きな問題になっています。隣県で発生しているため岐阜県への侵入が心配されていたのですが、ことしに入り揖斐郡坂内村で広範囲に被害が発生しているのが確認されたところであり、岐阜市にも及びつつあります。私の住んでいる鷺山の、文字どおり鷺山の北野神社付近でもこの夏に発見されたところであります。  被害の特徴は、7月下旬から8月上旬にコナラやミズナラの葉が赤くなり、集団で枯死──枯れ死にするのが特徴です。ちょうどマツノザイセンチュウ病で枯死した松のように夏場に急激に変色するので、遠くからでも被害が確認できます。そして、枯死したコナラやミズナラの幹部には例外なく1ミリ程度の小さな穴が多数見られ、地面際にはおびただしい量の木くずが落ちているのが特徴です。この穴はカシノナガキクイムシがせん入した穴で木くずはその穴から出された虫のふんです。  この虫は、かなりの樹齢を重ねた比較的大きいナラ類、コナラとかミズナラなどに穴をうがって樹木に侵入し、菌類等の連鎖反応で樹木を枯らすと言われていますが、そのメカニズムは現段階ではまだ完全には解明されていません。また、最新の研究では、ナラ類だけでなく、カシ類、シイ類にも被害を及ぼすという報告も出ているそうです。  このカシノナガキクイムシによる枯死木を放置しておきますと、周りの樹木にカシノナガキクイムシが移動して次々と樹木を枯らしていくという、非常に厄介であり、森林にとっても危険な虫です。一時期、アカマツにおいても同じようにマツノザイセンチュウによる被害が出ておりましたが、あのときに比べると影響は各段に大きくなることが森林関係者においても懸念されています。その理由は、1つ、アカマツが枯れたときは、その後に後継樹、ナラ類が生えてきたが、今回は岐阜市の森林に非常に多く分布しているナラ類に被害が出ている。2、ナラ類を初めカシやシイに被害が出始めるということは、生態学の観点から見ると、若干専門用語になりますけども、極相林という森林の最終形態の森に被害が出ていくことになり、その被害が拡大すれば自然環境のバランス自体が崩れるおそれがある。3、当然ですけども、山の保水力が失われることを初め、生物の生息環境などもなくなります。特に保水力については災害に直結する可能性をはらんでおり、非常に問題です。  その対処方法については薬剤等による処理も一部効果があるとされていますけども、確実ではなく、詳細な対処法が確立されていないようです。現在における最も確実な対処方法としては、1、山に1本でも被害木が見つかった段階で迅速に処理をして、周りの樹木に被害が出ることを防ぐ。2、被害木については伐採し、焼却処理をする。3、カシノナガキクイムシの特徴として、地面際から数メートルの所に大量に穴をあけて侵入する──せん孔ですね──するとともに、根の部分にも大量にせん入する特徴から、伐採後、地上部の処理のみならず地下部の根の処理を確実にする必要がある。4、既に他の樹木にせん孔侵入している可能性があります。そのため日ごろから枯死木がないかどうか注意をする。5、面的に広がりを見せる状況になった場合は、現段階では処理は行えません。そうなりますと、周りの環境にも大きな影響が出始めます。  また、この被害については鷺山のみならず市民が愛する金華山においても非常に大きな問題になりつつあります。御存じのとおり、金華山はコナラ、アベマキなどのナラ類、スダジイ、ツブラジイなどのシイ類、アラカシを初めとしたカシ類が大半を占めております。放置しておきますと枯れ山になる可能性もあります。  また、百々ケ峰などの岐阜市の有数の自然環境もこのまま放置しておきますと、今後いろいろな対処が必要になってくることが予想されます。莫大な予算をかけないと処理できないようになる前の現段階で処理をしないと、保水力、災害対策などにも非常に大きな課題を残すことになります。  そこで、早急に対策を講ずることが必要なカシノナガキクイムシの立ち枯れ問題であり、岐阜市における被害状況と今後の対応方針についてお尋ねをいたします。ありがとうございます。


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