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旧古河庭園〜六義園〜根津神社〜谷中霊園(王子〜鴬谷)

週末ウォーキング(トップページ)東京都23区一周
王子駅(JR京浜東北線)〜西ケ原一里塚旧古河庭園六義園根津神社谷中霊園〜鴬谷駅(JR山手線)

西ケ原一里塚国指定史跡
 慶長9(1604)年、徳川幕府は諸街道を整備し、その一環として一里塚を築いた。ここは、岩槻街道2番目のもので、日本橋から2里(8km)目に当たることをしめしている。交通史上の重要な遺跡である。
 旧道をはさんで一対の塚が現存していますが、これは旧位置に保存されている都区内唯一の一里塚で貴重な文化財だといえます。南側の塚には「日本榎保存の碑」と題される大正5年6月の記念碑があります。

西ケ原一里塚
西ケ原一里塚
名所・旧跡

地図(王子〜鶯谷)
Yahoo!地図

 江戸時代の地図によると、一里塚は東京23区内では18ケ所ほどあったが、明治以降は、交通機関の発達や道路の拡張などにより大部分が消滅し、都内では北区西ケ原一里塚と、板橋区志村一里塚の2ケ所を残すのみとなった。

旧古河庭園(きゅうふるかわていえん)

庭園のバラと本館
庭園のバラと本館公園・庭園

旧古河庭園国指定名勝
 この地は、江戸時代に一時牡丹園になっていた。明治になって陸奥宗光の邸地となったが、その子が鉱山王・古河市兵衛の養嗣子となったため、古河家の所有となった。本館は大正6(1917)年、英人コンドルの設計になる英国ルネサンス風の建築であり、本館をとりまく洋風・和風の庭園はすばらしい。

 花の見頃
   4月〜 6月・・・つつじ、さつき、バラ
  10月〜11月・・・バラ
  11月     ・・・紅葉(もみじ、かえで等)


 英国ルネサンス風の本館とバラの花咲く庭園の景観は素晴らしく、写真撮影にとっては格好の場所である。訪れた花見客は、見事なバラの花々に満足げに見に入っていた。

バラの花咲く洋風庭園
バラの花咲く洋風庭園


本館
本館
公園・庭園

六義園入口
六義園入口

 築山を巡って縦横に通じる小路をたどり、茶亭に休みながら、回遊式築山泉水庭園の変化に富む景観を楽しむことができる。この庭園は、明治初年に岩崎弥太郎の駒込別邸となり、昭和13(1938)年、岩崎家から東京市に寄与されたものである。

六義園(りくぎえん)(国指定特別名勝
 五代将軍綱吉の信任厚かった柳沢吉保が、元禄8(1695)年、加賀前田家の屋敷4万6000坪を賜り、数年の歳月をかけて完成したみごとな大名庭園である。中国・日本の故事・名所・歌札などになぞらえて、景勝地88カ所選んで造園し、標柱を立てたが、後楽園の中国趣味に比べて、日本的情趣が主体になっている。

吹上茶屋
吹上茶屋

六義園(正面が吹上茶屋)
六義園(正面が吹上茶屋)

根津神社(ねづじんじゃ)
 元来この地域は甲府藩主徳川綱豊(のち六代将軍家宣)の屋敷地であり、綱豊もこの地で生まれた。宝永元(1704)年綱豊が五代将軍綱吉の養嗣子として江戸城西の丸に移ると、屋敷地は地主神の根津権現に賜り、あらためて大社殿が造営されたものである。

拝殿
拝殿
社寺

 南の新坂側の楼門(国重文、3間1戸・入母屋造)から入ると、正面に唐門(1間平唐門)があり、東西にのびる透塀が本殿を囲う形式をとっている(ともに国重文)、中心の社殿は本殿と拝殿とそれぞれつなぐ弊殿(相の間)がエの字形に構成され、一つ屋根で一字にまとめあげられている典型的な権現造である(いずれも国重文)。

楼門
楼門(12月中旬)

透塀
透塀

根津神社つつじまつり
2005.4.24 根津神社 つつじまつり【ビデオ】

徳川慶喜の墓
徳川慶喜の墓
社寺

谷中霊園(やなかれいえん)
 天王寺霊園、東京都谷中霊園、谷中寛永寺墓地の総称である。
 天王寺霊園には、幕末の儒者塩屋宕陰の墓(1867没、都旧跡)などがある。
 天王寺に隣接する東京都谷中霊園は、面積10万m2で、墓碑は7000余を数える。明治7(1874)年天王寺の墓城の大半を官有として、東京府の共同墓地としたのがその発足である。江戸末・明治以降の著名人の墓が多いことで知られている。
 谷中寛永寺墓地には、徳川慶喜の墓(1837〜1913、都史跡)がある。それ以前の将軍が寛永寺霊園に葬られているのと異なるのは、最後の将軍という配慮からという。


旧古河庭園〜六義園〜根津神社〜谷中霊園(王子〜鴬谷)

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