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久々にラジオ。「いきいき倶楽部」の中の「ちょっと一息コーナー」で夫婦に対してのインタビューを語ってくれました。 |
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「帰ってきました」という年賀状! 現在、親戚宅で元気です。 |
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人類遠征隊通信 |
12月21日にスリランカから成田へ無事に帰国。人類遠征隊本部長宅に2泊後、るり子さんの実家へ23日に戻った。久しぶりの日本なので一家くつろいでいるそう。 |
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この日放送予定であったが、中止になり今後は放送されない。 12月12日に最後の目的国インドのニューデリーに到着。19日にスリランカへ、20日に日本へ飛び立ち、21日の昼頃成田に到着予定。 |
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この日放送予定であったが、延期。1ヶ月近く動向がわからないので、少し心配。 |
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人類遠征隊通信 |
11/20にテヘランへ向けてアンカラを出発。イラン東部を避けてインドへ。テヘラン滞在中に帰国後のことを考えるそう。 |
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人類遠征隊通信 |
10/31にイスラエルからエジプトへ。カイロ周辺に限定し1週間の滞在。その後トルコのアンカラへ。 |
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10月8日の返事。ギリシャからは通信ができなかったそう。現在、イスラエルのエルサレム。パレスチナとの紛争で心配していたが、順調な旅。ギリシャでイスラエル行きの船に乗ったはずなのにエジプトへ行くハプニングに遭遇。紅海に行き、イルカとスイミングで亜手那さんや万里さんは大喜び(酸素ボンベでのスキューバダイビングを経験!)。 |
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現在、アテネ。亜手那さん8歳の誕生日。 |
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人類遠征隊通信 |
現在、テッサロニキ。この地で、アレキサンダー大王の父の墓、博物館巡りでゆっくりするそう。その後アテネへ移動し、亜手那さんの名前の由来であるギリシャ神話の知恵の女神である「アテナ」像のあるパルテノン神殿を訪れる予定。今後は、ギリシャ、トルコ、イスラエル、エジプト、トルコ(再び)、イラン、パキスタン、インドまで。万里さんの希望でクリスマスまでに日本にもどりたいということで帰国が予定より早くなりそうです。 |
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現在、ハンガリーのブダペスト。プラハからここに至るまで、ビザの取得で大変だったらしい。通信事情もあり、幸運にもジャックを見つけ連絡があった。9月13日にギリシャのテッサロニキを目指す予定。 |
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人類遠征隊通信 |
現在、ドイツのベルリンから移動し、チェコのプラハ(8月いっぱい)。家族全員旅の疲れがでているようで、ここ数日はゆっくり休養しているとのこと。今後は、オーストリア(ウィーン)、イタリア(フィレンツェ、ローマ)を経て9月末にはギリシャ(アテネ)を予定し、アテネ(亜手那さんの名前の由来)でゆっくり滞在してインドを再び目指すとのこと。 |
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万里さんよりE-mailが届く。イギリスでの接続に苦労しているらしい。 |
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シンガポールの友人から携帯パソコン(モバイル)を借りることができ、電子メールアドレスを取得したとの内容があった。さっそく送った。 |
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人類遠征隊通信 |
約3ヶ月滞在したアイルランドからイギリスへ。イギリスには約10日間滞在の予定で、その後大陸にはいる。英会話の勉強が楽しくなってきたそうで、万里さんはローマ字に関心があるそう。 |
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人類遠征隊通信 |
2ヶ月ぶりのFAX。アイルランドのコークでの生活に満喫しているらしく、7月23日頃まで滞在の予定。そのあとオランダに約1ヶ月滞在し、8月末頃フランスへ、との計画。オランダは万里さんの強い希望で、「アンネの日記」を読み、「アンネの家」へ行きたいとのこと。 |
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忙しくて、またしても聞くことができなかった。 |
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元気でいるとの便り。イギリスのバーミンガムから、アイルランドのコークへは陸路と船。暑いインドからだったので寒かったそう。アイルランドでは知り合いの方の助力でアパートを借りる。家具もすべて付きなので、日本での賃貸との感覚は違うようである。パソコン通信(インターネット)について、日本の友人の意見は反対者が多かったそう。連絡については電子メールが世界的にも安価だと思うのだが・・・・ |
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人類遠征隊通信 |
久しぶりのFAX。アイルランドのコーク市でホームステイ。青森と気候がよく似ており、また英語の勉強もやり、満喫しているそうです。 |
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連休中のせいか、またしても聞くことができず、気がついたときは・・・ |
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イギリスのバーミンガムへ。 |
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万里さんからFAX |
春の改編番組と重なりまたしても聞くことはできなかった。 万里さんより、「総理大臣は投票で選ぼう」とのFAX。日本が気になるのですね。 |
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人類遠征隊通信 |
特になし。 |
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目前でトラを見た興奮! 4月9日より、イギリス・バーミンガムに行くことになった。ゴールデンウィークにきませんか、との誘いで、検討した結果断念した。 ファミリーはイギリスかアイルランドで英語を勉強し、ヨーロッパを回った中近東に入る予定。 |
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長いこと聞いていません。困った! |
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人類遠征隊通信 |
旅をして、「交流するには、家族全員の英語力が必要」で語学の必要性を改めて感じたそうです。予定ではパキスタン、イランということでしたが、政情不安定で治安が悪くビザの取得ができないことから英語圏(アイルランド?、イギリス?、ニュージーランド?)の国に飛ぶことになり、検討中です。 |
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万里さんと亜手那さんの返事(ホームステイ周辺の地図)が来る。インドの次はどこになるか! |
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梓が万里さんの「朝月新聞」の感想を、桃と柚が初めて亜手那さんへ便りを出す。 |
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年度末に入り、子供の行事に追われ、うっかりして聞きのがしてしまった。 |
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3ページににおよぶ「朝月新聞」がきた。いろいろな内容があっておもしろい。梓も、出すとか言っていたが今日は出せなかった。 |
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会社の掲示板で呼びかけ、東京版を譲っていただいた。ニューデリーの遺跡(ハウズカス遺跡)をバックにした記事であった。 |
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人類遠征隊通信 |
2月29日付けの朝日新聞(東京版)夕刊に載っているとのこと。ホームステイで20日頃まで滞在とのこと。 |
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ニューデリーからFAXが届く。3月半ばまで朝日新聞ニューデリー支局に滞在するとのこと。ゴアに比べてニューデリーは寒く感じるとのこと。念願のコーベット国立公園を楽しみにしているそうです。 |
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お母様からのFAX 人類遠征隊通信 |
調子が悪くまたラジオを聴くのを忘れました。 2/24に放送予定でしたが、デリーへの到着が大幅に遅れ(ゴアからの切符がなかなかとれなかったため)、今日になったそうです。朝日新聞ニューデリー支局の方にしばらくお世話になるそうです。 |
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お母様からのFAX 人類遠征隊通信 |
ラジオを聴くのを忘れました。 1月25日付けの読売新聞の地方版(青森)に掲載されました。青森は川端一家の住んでいるところです。 |
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お母様からのFAX 人類遠征隊通信 インドへFAX |
2月1日から、アラビア海に面したゴア州のパナジに到着。州営のリゾートホテルでの生活で落ち着いたそうです。 この日は万里さんの誕生日。梓と学年が同じなので、梓が誕生日おめでとうのFAXを出した。川端ファミリーへ初めてFAXを出した。 |
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インドのお坊さんと連絡がつく。元気で、インド料理に挑戦中とのこと。 |
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お母様からのFAX 人類遠征隊通信 |
買い物などすべての面でボラれるため、インド人不信に陥ったそう。その状態で日本人の若いお坊さんに出会い、ホームステイ先(サルナートという地名)を紹介してもらいました。お坊さんから、「精神的な深さを見れば、別のインドを見ることができる」といわれ、気が楽になったそうです。 放送では、万里さんが「若い人に声をかけられてむかつく。おじいさんじゃ顔が笑っているのでかわいい。」、亜手那さんはリスを追いかけているそう(動物が多いとか)。 2月1日にムンバイ、2日にゴア、10日頃にデリーを予定。 |
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お母様からのFAX 人類遠征隊通信 |
久しぶりにラジオを聴く。内容はFAXの人類遠征隊通信とほぼ同じ。1月9にポカラをたって、釈迦の生誕地ルンビニにをへてインドのベナレス(現在の地名ではバナナシ)に1月末までに滞在。2月にはデリーに移る予定。万里さんと亜手那さんはインド入りした直後予防接種を受けたそうです。 毎日夜には川端学校となり、万里さんと亜手那さんに川端夫婦が勉強を教えています。 |
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深夜3時15分からのため、見ることができず |
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人類遠征隊通信 |
12月30日放送予定であったが年末年始のため変更になった。 ネパールではトレッキングを楽しんでいるそうですが、疲れが・・・ |
1999/12/16 |
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多忙で3回連続聞き逃してしまった。 |
1999/12/13 |
人類遠征隊通信 |
ポカラで元気にやっているそう。ネパールは高山なのでトレッキングでは奥様と二人の子供に負担がかかるのでは、という心配りの内容であった。 |
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人類遠征隊通信 |
疲労で今夜のラジオも聴くことができなかった。お母様の手紙によれば一家はネパールでの生活を満喫しているそうである。ネパールのポカラで年を越し、インドに入る予定。 |
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人類遠征隊通信 |
当日放送の予定であったが、滞在先のネパールでの電話が壊れていたそうで放送ができなくなった。直り次第放送するとのこと。 空気の悪いカトマンドゥから脱出しているそうである。 |
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NHKラジオ |
川端一家を応援する名簿が送られてきた。すでに160組! カトマンドゥは空気が悪く喘息気味になったそう。幸い日本からの派遣医師がいて、カトマンドゥ郊外に静養するようにといわれたそうです。 |
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暑いシンガポール、バンコク、ダッカを経て一気に冬のネパールへ。夏の服のままでカトマンドゥに行ったので、場違いな感じを与えたそう。 |
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疲れてしまってラジオを聞き逃した。 8日付けの朝日新聞夕刊(大阪本社発行にでたそうです) |
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人類遠征隊通信 シンガポールの知人 |
10月7日予定が8日になった。 6日付けの朝日新聞朝刊(大阪本社発行にはありませんでした)に記事と写真が掲載されたそうです。 シンガポールから元気な長文メッセージ(この半年を振り返っての旅感です)が来る。 18日バンコク、19日ダッカ(バングラデシュ)、20日カトマンドゥへ3日連続飛び、11月までにはネパール滞在。 |
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シンガポールの知人 |
シンガポールに無事到着。元気なメールの知らせが来る。 亜手那ちゃんの誕生日を異国で迎える。 |
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人類遠征隊通信 |
ラジオの放送予定であったが、台風と台湾と総裁選のためか、24日に延期となった(当日は放送されず、台風がらみだったそう。さらに27日に延期)。 通信によれば、24日までマラッカ。25日から10月中旬までシンガポールの知人宅へホームステイ。その後版具ラディッシュをトランジットしてネパールという予定になっている。 |
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人類遠征隊通信 |
バンコク到着。約10日間滞在。 その後マレー半島を列車で南下。 |
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シンガポールの知人 |
放送が9月8日になり、迷惑をかけました。まだベトナムだそうで、9月10日にはホーチミンに向かいます。 るり子さんの知人がシンガポールにおられるので、メールで連絡しあうことができるようになりました。その情報によると、一家は元気とのことです。シンガポールには9月25日頃になりそうです。 |
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NHKラジオ |
人類遠征隊通信No6のコピーをいただく。 当日はハノイで放送。自転車の人力車。意外なトラブルに巻き込まれたそう。ベトナムは活気があるとの感想。翌日からベトナムの古都フエへ。 |
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人類遠征隊通信のコピーが来る。ベトナム・ハノイに明日22日につく予定。 |
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モンゴルでの滞在も残りわずか、馬に思う存分にれたそうです。15日に北京に入りしばらく滞在するそうです。 |
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モンゴルから中国に戻って香港からネパールに入る予定が、東南アジア(ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール)経由でネパールに10月に入ることになったとのこと。 |
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モンゴルにいるのも8月15日までと残りわずか。モンゴルで自由に馬に乗って草原を駆け回りたい、という願いは難しいらしい。遊牧民の必須動物であること、夏の間は馬に餌をたくさん与えないといけないということがあるらしい。 |
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ゴビ砂漠に4,5日キャンプに出かける(往復1355Km!)。子供達は、「とびネズミ2匹としかの子供に出会えてうれしかった」とのこと。モンゴルも後1ヶ月。 |
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放送日程変更になり迷惑をかけました。 ウランバートル滞在中ですが、これまでにウランバートル郊外に行ったそう。カラコルム砂漠。夏の家(モンゴルが社会主義国家だった頃の名残)の見学。冬の家の建設に手伝った。今後、ゴビ砂漠に行くそうです。 |
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ウランバートル。まだ寒く遊牧生活ができないとのこと。観光客向けとはいえ、念願の乗馬。万里さん、「馬にのって暖かかった。まるでお母さんにだっこされているような気分。」、亜手那さん、「たくさんのってお尻が痛かった。」 |
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ウランバートルから元気な声。モンゴルの生活をするにはホームステイでその国の生活をした方がいいとのアドバイスでロシア語と日本語堪能な博士号を持つ方の家でホームステイをしている。モンゴルの、食事で小麦粉を甘く炊いたもので万里さんが感激したそう。「お菓子のお粥みたい。聖書でイスラエルという国で神様が同じような食事をしてあげたことを聞いていて、モンゴルでも同じことがあるとは思わなかった!」 博物館でモンゴルの古代を見物して、亜手那さんは。「巨大なマンモス!」と感嘆したそう。 「モンゴルで馬に乗りたい」という思惑ははずれたそう。ウランバートルは町なので不可能。郊外で遊牧民に迷惑をかけないように計画をしているとのこと。ウランバートルは寒いらしい。 |
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モンゴルに入る | |
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万里の長城から北京に戻ったときのインタビュー。万里さんに、名前の由来の万里の長城に対する感想で「友達みたいだった。でも欠けている(掘った後のこと?)ところがあってかわいそう」。先月の上海上陸後、下痢にみまわれたというエピソード。 |
1999/5/13 | 人類遠征隊通信No2 |
放送の日程変更と次の連絡先の知らせ。モンゴルには5/20-8/14、ネパールには9月上旬から11月となっている。 |
1999/5/6 | NHKラジオ |
隔週金曜日の放送予定であったが、今週は木曜日となった。放送の急な変更で連絡不備になり、ここでお詫びします。 |
1999/5/1 | 人類遠征隊通信No.1 |
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1999/4/30 | 葉書 |
中国より葉書が届く。上海では親友の姉宅に泊まり、27日から北京。5月20日から8月14日までウランバートルとのこと。 |
1999/4/23 | NHKラジオ |
夜、NHKラジオ第1放送のジャーナルで「ユーラシア大陸横断家族の旅ほか」というタイトルで10時26分から6分ほど、放送があった。るり子さんへの電話インタビュー。今後隔週にて同放送において電話インタビューが入り、10年前の自転車走行の旅とは違って、居所が分かるのはありがたい。 |
1999/4/22 |
上海10時到着 |
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1999/4/20 | 見送り |
神戸港12時出航。荷物はキャリングケースに積まれ、約50キロ近く感じた。高さは120センチもあった。(写真) インタビュー(NHKラジオと朝日新聞社)で出航前の裕介君の決意のすがすがしさ、るり子さんの期待と不安の入り交じった話、万里さんと亜手那ちゃんの無邪気さ(「モンゴルで馬に乗りたい」「見送りに来てくれてありがとう」)が印象に残った。残念ながら朝日新聞の夕刊には掲載されなかった。 |
1999/3/10 | 送別会 |
一家のかっての生活地、高槻で、有志による送別会。筑波大学での高度順応実験により、子供は高度4000メートルでは苦しくなるらしく、予定していたチベット高地での走破は断念し、この区間は飛行機で行くことになった。 |