短編小説  日曜朝のマクドナルド物語

 前篇 「リョウの目撃談」

■気になる呟き
 「なんやあのふざけたオッサンは。勝手に横這入りしてエエんか!」。突然、ひとりごとにしては大きすぎる呟きが聞こえた。日曜朝のマクドナルドの店内だった。
 リョウは、カウンター横のいつものテーブル席でいつものようにコーヒー片手に文庫本の小説に浸っていた。リタイヤして三年が経とうとしている。朝の1時間ばかりのウォーキングが日課となっていた。自宅近くの川の土手道が格好の散策コースになっていた。隣町の神社で折り返し、川沿いの国道に出てしばらく行くと自宅のある住宅街近くのマクドナルドが迎えてくれる。現役時代には出勤すると何をおいても自販機のモーニング・コーヒーで一服するのが習慣だった。リタイヤ後にその習慣を可能にしてくれたのがマクドナルドだった。何しろ7時台の散歩である。開いている喫茶可能な店は24時間営業のここしかない。散歩帰りにマックのブレンドコーヒーを片手に文庫本の読みかけの小説を読むのが、愉しい一日の始まりとしてほどなく定着した。

■読みかけの「阪急電車」
 読みかけの小説は「阪急電車」だった。阪急今津線と言うローカルな私鉄路線の車内でのほのぼのとした日常を巧みに掬い取った作品だった。作者の有川浩が、実際に目にした筈の車内でのチョッとした出来事が素材になっているに違いない。それらを物語の素材として掴み取る感性と肉付けして物語に仕立て上げてしまう作家の凄味に舌を巻きながら読みふけっていた。そんな時にリョウの耳に入ってきた呟きだった。
■呟きの本人
 小説世界から引き戻されるに十分な気になる呟きを耳にして、視線をカウンター方向に戻した。呟きの本人が居た。見るからに強面のする上背のある四十代とおぼしき男性だった。すぐそばで高校生くらいのこれまた背の高い女の子が周囲の視線を気にしながら顔を赤らめて佇んでいた。娘にちがいない。オヤジの怒りは納まりそうにない。娘はしきりになだめているようだが、それがまたオヤジの怒りの火に油を注いだのだろう。「言うてきたる」と言い残してオヤジが怒りを足音に込めたかのような足取りで、通路奥のテーブルに向った。
■事件の発端
 奥のテーブルには若い夫婦と子どもの家族連れが陣取っていたようだ。「みんな並んで待っとるのに何でお前だけ勝手に横這入りするんやッ!」。大きな怒鳴り声が聞こえた。そのあまりの剣幕に三十前後の小太りで善良そうな男性が思わず立ち上がった。オヤジ言うところのオッサンである。「すんません」という声がかすかに聞こえた。それで、「これにて一件落着ッ!」かに思えた時だ。「コーヒーのお代わりは順番に関係ないのに・・・」とオッサンの言い訳がましい言葉がついて出たのだ。「なんやとッ。もうイッペン言うてみぃ。謝ったんちゃうんか」。こうなるとオッサンも家族の手前アトに引けない。「そやからコーヒーのお代わりだけは順番待たんでもいつでもできるんや。なんやったら店の人に聞いてみよ」と、オヤジの背中を押すように二人してカウンターに戻ってきた。
■事件の背景
 リョウは、ここにきて事件の背景をようやく理解した。ことは世界最大のファーストフードチェーンのサービスの在り方が一因なのだ。マクドナルドのブレンドコーヒーは120円の格安価格で人気を集めている。しかもお代わり自由なのだ。これは注文の際にリョウ自身もスタッフからも告げられている。問題はお代わりの際に順番待ちをしなくてよいかという点にある。こちらは店内のどこにも掲示されていないし、スタッフからも告げられた記憶もない。ワン工程ということもあり、求められればスタッフが順番に関わらずいつでも応じているというのが実態である。いわば常連客には通用している暗黙の了解事項みたいなものだ。ところがそのサービスは通常は問題にならなくとも、行列のできる繁忙時には不公平感がやけに目立ってしまう。またそんな時間帯だからこそ、初めてや、たまにしか来ない客も多くなる。到底マックの馴染み客とは思えないイラチで短気なオヤジのようなタイプには、それは「許し難い暴挙」と映っても致し方あるまい。
■バトルの展開
 オッサンは店のスタッフを呼ぼうとするが、何しろ繁忙のピーク時である。誰も呼びかけに応じる気配はない。存外、スタッフの誰もがこの厄介事に巻き込まれたくないというのがホンネなのかもしれない。時の氏神も現れないまま二人の口論が続く。「コーヒーお代わりだけはいつでもしてもろてるんは、みんな知ってることや」「そんなルール、誰が決めたんやッ。どこに書いてるんや。だいいちお前はいったん謝ったんやないか。自分でも悪い思たんやろ。それを何でいまさらぐちゃぐちゃ言いわけするんや」。恐ろしげな風貌のオヤジを前にオッサンは健気に闘っている。見かけによらずオヤジもなかなか口達者で、口論では圧倒している。
■店長?登場
 奥の厨房でどんな談合があったのだろう。ようやく二十代半ばの男性スタッフが、カウンターの低いドアを押して登場した。みるからに自信なげな顔つきをしている。そのスタッフをオヤジは勝手に店長と呼んでいたが、リョウが知る限り彼は店長ではない。店長は確か三十前のキリッとした女性の筈だ。彼は談合で不運にも選ばれた犠牲者のようだ。傍らでは娘が今にも泣き出しそうな風情で壁際で固まっている。オッサンの嫁はんらしき人物も不安げにやってきた。役者は揃った。店内の誰もが、見て見ぬふりをしながらこの決着を固唾を呑んで見守っている。
■一発触発!寸前の回避
 声のトーンが一オクターブ上がってオヤジの怒りが限界に近づいたかに思えた。これ以上放置すれば口論では済まなくなる気配である。一瞬の沈黙があった。その隙をついてスタッフが割って入り、なんと言ってなだめたのか二人の背中を押すようにして入口ドアの向うに連れだした。彼は店内でのトラブル排除という最低限のミッションを果たした。それにしてもリョウにはどうにも不可解だった。爆発寸前のオヤジがなぜあれほど素直にスタッフに従ったのか・・・。とはいえ外での口論は、音量が一段低くなったとはいえ依然として続いている。一方、店内では男たちのバトルとは裏腹に、二人の女性のほのぼのとした光景があった。娘が嫁はんに詫び、嫁はんは娘を慰めている。そんな風情が見られた。
■決着は?
 顛末はここまでだった。参加している地域のボランティア組織の行事の時間が迫っている。これ以上は席を温められない。リョウは、最終決着を見届けられないまま、後ろ髪を引かれながら席を立った。帰り道、いつものように歩きながら物思いにふけった。目撃したばかりのハプニングが脳裏に焼き付いて離れない。印象的だったのは娘の姿だった。娘のいたたまれない気持ちを思い遣りながら、オヤジの娘への気遣いのない振舞いに度し難い愚かしさを見た。尻切れトンボの結末を勝手に想像しながら、「阪急電車」の作者の気分がオーバーラップした。そうだ!マクドナルドで今見たヒトコマを「物語」にできないだろうか。結末は自分なりの「想い」を込めればよい。自宅玄関のドアを開ける頃、リョウは明日のブログで「日曜朝のマクドナルド物語」という記事をものにしようと決意を固めていた。

後編に続く