梼原町の農家民宿「きょうちゃんち」で朝6時に目覚めた。いつになく遅い目覚めがこの宿での深い眠りを物語っていた。昨晩おかみさんとの話で朝食は7時ということになった。時間はある。めったにない山里の早朝散策を愉しむことにした。  
 
 玄関を出た途端に澄み切った透明な空気に包まれた。前庭のすぐ前には狭い田圃の重なる棚田が広がっている。その向こうを流れる小川からは心地良いせせらぎが聞こえてくる。小川はすぐ先で大きな流れの川に注いでいる。おかみさんから聞いていた四万十川の源流のひとつだ。今目にしているのは「四万十川源流の町」という梼原町のもうひとつのキャッチコピーの風景なのだと実感した。川が流れる谷合いの風景を峠に向った。石垣の手前に数輪の白い彼岸花が咲いていた。棚田の上の高台に数軒の民家が朝日に光っていた。川を挟んだ向かいに宿の姓を刻んだ墓石を中心に古い墓が並んでいた。斜面の一角に澄み切ったせせらぎがしぶきをあげて流れ落ちていた。日本の原風景ともいうべき懐かしい光景が目の前に広がっていた。
 宿に戻ると客間のテーブルに朝食の器が並んでいた。焼き鮭、卵焼き、豆腐、ピーマン炒め、オクラの和え物、具沢山味噌汁など見事な和朝食の献立だった。「ご飯は刈り取ったばかりの新米です」と給仕をしながらおかみさんが言葉を添えた。日本の朝食を満喫した後、お迎えの車が来るまで再びおかみさんとの雑談を愉しんだ。
 
 8時過ぎに町の若い女性職員のマイカーがやってきた。小山の斜面にある町有林に着いた。プログラムでは「林業体験」となっている。町の林業関係部署の4人の担当者から説明を聞き、林業体験が始まる。志願したツアー仲間が倒木直前の楔の最後の数打を打ったり、チェーンソーでの切り込み作業を体験した。山道を下って麓の「太郎川公園」に着いた。昨日の記念式典のひとつだった「二十周年記念植樹」の前で参加者全員の集合写真を撮った。
 続いて観光バスで向かったのは町の第三セクターが運営するペレット工場だった。間伐材や不良材を集めて粉末状にした上で1〜2cmのペレット(固形燃料)に整形する。町面積の91%を森林が占める梼原町ならではの産業である。化石燃料と違って環境に優しいエネルギー開発の試みである。2.5億円をかけて建設された工場では木材集荷からペレット加工まで二人の従業員で年間1800トンが産出されるという。続いてバスは小水力発電所に向った。町の担当者の案内で施錠された門を開いて川沿いに建設された小型ダムの発電所に着いた。梼原川の段差を利用して毎時53キロワットを出す水力発電所である。
 町の中心部に戻った。バスを降りて坂道を登ると、ひと際目につくお城のような建物の隣に有名な「維新の門群像」があった。一行を待ちうけていたかのように「龍馬」が登場した。袴姿に大刀を帯びた後ろ髷の観光ボランティアさんだった。彼の巧みな口上で群像の解説がある。1995年に建立された龍馬をはじめとした梼原町ゆかりの維新の志士8人の銅像である。大きな8体もの銅像の迫力は実際に目の前でしか実感できないものがある。
 そこから歩いて数分の町総合庁舎に着いた。地元産の杉材をふんだんに使った建物の中は、広いエントランスの周囲に執務スペースが配された癒やしの雰囲気が漂う空間だった。庁舎のすぐそばに「ゆすはら座」があった。1948年建造の木造芝居小屋である。中を覗くと舞台、桟敷席、花道も備えた本格的な小屋を目にした。
 ゆすはら座前の道を東に行った正面に脱藩の志士たちを支援し続けた掛橋和泉の萱葺の屋敷跡があった。その前を南北に走る坂道が「龍馬脱藩の道」の一部だった。坂道を登ったところに「六志士の墓」があり、更にそのすぐ東に「化粧坂の茶堂」があった。旅人たちを茶菓でもてなし信仰と社交の場として使われた町のもてなし文化を象徴する建物である。
 庁舎前に戻りバスで三嶋神社に向った。下車したところに立派な屋根のある木造の参道橋があった。橋の先の境内に格式を感じさせる立派な本殿がある。本殿内の正面には能舞台を思わせる低い舞台が備わっている。私たち一行のために津野山神楽が催おされた。18節もある舞の中でも最も表情に富んだ般若の面をつけた舞である。長時間の舞を20分程度に圧縮して演じられた。目の前で演じられる舞は躍動感にあふれ迫力とスピード感で観客を魅了する。さすがに国の重要無形民俗文化財は伊達ではない。
 
 再びバスで移動し「まちの駅・ゆすはら」に着いた。茅葺の正面外壁が独特の雰囲気を漂わせている。1階には地元物産の販売コーナーがある。二日間に渡って大変お世話になった梼原町である。ここで地元の産品を買うことぐらいしかお礼の方法がない。そんな気持ちで一行はお買い物にいそしんだようだ。鷹取キムチ、きじ肉丼セット、わさび漬け、土佐ぶんたん餅などのお土産の入った紙袋を下げてバスに戻った。梼原町での最後の訪問先は、昼食場所の太郎川公園前の「お食事処・くさぶき」だった。用意されたのは山菜、お蕎麦、おしたしなどの地元の食材をふんだんにあしらった惣菜にきじご飯という郷愁あふれたお膳だった。 
 
 人口3800人の小さな町は魅力あふれる見所いっぱいの町だった。四国カルスト、四万十川源流、棚田、森林の町といった自然遺産の町である。維新の志士と龍馬脱藩の道、茶堂の接待文化、津野山神楽、ゆすはら座などの歴史と伝統文化の町だった。風力発電、小水力発電、ペレット製造などエネルギー循環型社会をめざす未来型の環境の町だった。この小さな町に詰め込まれた住民の想いの大きさと優しさに触れた旅だった。市の行事の一環のツアーは通常では味わえない多くの貴重な体験をもたらした。
 1時半頃にバスは帰路についた。長い旅路の途中で渋滞情報が伝わった。三連休の最終日の夕刻で予想された渋滞でもある。7時30分到着予定だが、7時39分市役所前発のやまなみバスに乗り遅れれば8時57分まで待たなければならない。一時はあきらめたが、ドライバーの判断で渋滞の高速道路を避け新神戸トンネルから一般道に入るルートに変更された。結果的にJRさくら夙川駅バス停発のバスにじゅうぶん間にあった。二日間の貴重で充実した旅路を終えて9時過ぎに帰宅した。