■GWで帰省した息子夫婦と娘夫婦と私たちの夫婦三組で一泊二日の旅をした。行先は津和野、秋芳洞、萩方面である。我が家の4人に子供たちの配偶者たちを加えた初めての家族旅行だった。昨春に娘が嫁ぎ、あらたな家族の絆を意識した懇親旅行の意味合いもある。
■朝7時前にマイカー2台に分乗し自宅を出発した。岡場駅前の駐車場に留め、神鉄、地下鉄を乗り継いで新幹線・新神戸駅に着いた。改札口前の駅弁販売店で朝食用に各自の駅弁を調達した。8時35分発のぞみ指定席に乗車し、早速、アナゴ飯弁当を広げた。列車内で食べる駅弁こそが旅の醍醐味といえる。
■かって小郡駅と呼ばれていた新山口駅に着いた。長い乗換え通路を歩いて在来線(山口線)1番ホームに降りる。しばらくすると客車5両を連結したSLやまぐち号が後向きにホームに滑り込んできた。ホーム上の乗客たちと一緒に先頭車両に移動する。貴婦人と愛称されるSLやまぐち号の雄姿を撮影するためだ。その雄雄しいフェイスにはC57型蒸気機関車の1号機を示す「C571」のプレートが燦然と輝く。間近に見る動輪と連結棒とシリンダーのメカニックな迫力に圧倒された。客車5両はそれぞれに展望車風、欧風、昭和風、明治風、大正風とレトロに内装されている。指定席は2号車の欧風車両だった。シートの高い背もたれの上部には豪華なステンドグラスが嵌め込まれ天井中央のシャンデリア風のライトや壁面上部のランプ風のライトなどオリエント急行をイメージさせるインテリアだ。
 
■定刻10時48分に出発した「貴婦人」は、終点の津和野駅までの63kmをほぼ2時間かけて走行する。全席指定席の片道1620円の列車旅である。出発から3駅目の仁保駅では約5分間停車し機関士たちの石炭積み直し作業などが見られる。この絶好の撮影タイムを見逃がすわけはない。ホーム先端にある陸橋から眼下に眺望できる機関車の全体像を画像に納めた。
■下車したばかりの新幹線とは較べるべくもない平均時速30kmのゆったりした贅沢な時間が窓外の牧歌的な風景とともに流れる。畦道から週末だけ走行するSLに向かって手を振る住民たちの姿も多い。絶好の景色をバックにできる撮影スポットには大勢のSLファンが一斉にカメラを向けている。カメラを向けるファンたちをカメラにおさめるのに夢中になった。 
 
■12時46分に山陰の小京都・津和野に着いた。山口県と思い込んでいたがここは島根県の県境の町である。車中で打合せていた名物のうずめ飯を求めて入ったのは本町通り入口の遊亀(ゆうき)という郷土料理瀬店だった。早速、うずめ飯定食(1300円)を注文する。ご飯の上に豆腐、フキ、青ネギ、焼海苔、ワサビなどの具をのせてだし汁を注いで食べる。刺身コンニャク、煮物、ごま豆腐、ジュンサイのお椀などが付いている。
■お土産店の並ぶ風情ある街並みを散策したあ。津和野の銘菓・源氏巻きをあちこちの店で試食するうちに、白壁の続く風情のある町並みの殿町にやってきた。片側の掘割に巨大な錦鯉が群れをなして泳ぐ城下町・津和野の代表的スポットである。入口付近には白いゴチック建築のひときわ目につく津和野カトリック教会がある。畳敷きの堂内の左右の壁のステンドグラスが美しい。
■殿町通り外れの鷺舞のブロンズ像を見ながら右に折れて太鼓谷稲成神社に向かった。弥栄神社境内の大けやきの神木を抜けてしばらく行くと朱塗りの鳥居の密集した参道入口に着いた。ここから九十九折りの階段をひたすら上りようやく小山の中腹に建つ神社境内に辿り着く。江戸中期に津和野藩主が京都伏見稲荷神社から勧請して創建した神社である。津和野川を挟んで左右に開けた津和野の町並みが眼下に広がる。
 
■殿町のお土産店・沙羅の木でお茶をしたりお土産を買ったりした後、津和野駅に向かった。駅に隣接した駐車場横にはSLのD51-194型機関車が展示されていた。15時20分発の新山口行きやまぐち号に乗り込んだ。出発して間もなくトンネルに入った。しばらくすると異臭を放ちながら煙が車両に漂ってきた。SLが吐き出す大量の煙が逃げ場のないトンネル内で車両に入り込んできたのだ。親たち世代には幼児の頃に乗車した蒸気機関車の思い出に連なる体験だが、子供たちには耐えがたいようだ。乗客の多くもチョッとしたパニック状態に陥っている。下り傾斜の帰り便は1時間45分の所用時間で終点・新山口に到着した。
■駅前の日産レンタカーで予約のミニバンのレンタカー・セレマを借りた。息子運転のレンタカーが15分ほどで宿泊地の湯田温泉についた。予約のホテル松政でチェックインしすぐに大浴場で汗を流した。7時半からの夕食は宴会場をグループ毎に衝立で仕切った会場に用意されていた。ふぐのうす造り、豚味噌煮、甘鯛菜種焼、鱧の卵とじ、天麩羅、釜飯など11品を味わった。新たなメンバーである婿殿が唯一酒をたしなむ。酒呑みオヤジの格好のパートナーを口実に生ビールのお代わりをした。夫婦三組の初めてのホテルでの1時間ばかりの夕食懇親会を終えてそれぞれの部屋に戻った。もう一度大浴場を楽しむという家内を尻目にほろ酔い機嫌で床に着いた。 
 
■朝5時過ぎに目覚めた。窓の外は生憎の小雨模様だ。それでも日課の朝の散策に出かけた。ホテル近くの明治の元勲・井上馨の生家跡につくられた井上公園に向かった。井上馨像はじめ、幕末に都落ちした七卿の滞在を顕彰した七卿の碑、山頭火句碑、中原中也詩碑などが小さな公園に盛りだくさんに建てられていた。雨の中の散策を早々に切り上げ、ホテルに戻り大浴場の朝風呂を愉しんだ。7時からみんなで昨晩の夕食と同じ会場で朝食をとった。焼きさわら、明太子、温泉卵、サラダ、豆腐、しじみ汁などの和食メニュ-を味わった。
■二日目の最初の訪問スポットは室町大名の大内氏が栄華を極めた地である山口市街である。車で15分ほどの瑠璃光寺に着いた。日本三名塔のひとつで大内文化の最高峰といわれる五重塔の緑に包まれた美しい姿に見とれた。すぐ近くには毛利元就の菩提寺・洞春寺がる。雨の中で車で待っている同行者を残してひとりで訪ねた。続いて毛利隆元の菩提寺・常栄寺を訪ねた。雪舟作といわれる雪舟庭の水墨画を思わせる枯れた味わいの庭園はさすがに見事なものだった。大内氏が京都八坂神社から勧請した八坂神社の本殿もひとりで慌ただしく参拝した。
■山口を後にして雨足が強くなる中を秋吉台に向かった。途中の「道の駅みとう」で小休憩し10時頃にカルストの広がる秋吉台に着いた。続いて秋芳洞を見学する。市営駐車場から10分ばかり歩いてようやく入場受付に着いた。
■大岩の割れ目を潜るようにして入洞した先はライトに照らされた巨大な幻想の世界だった。溜まった地下水が池になり鏡のように鍾乳壁を映し出す。棚田のような石灰皿を敷き詰めた「百枚皿」、何本もの鍾乳石が垂れ下がる「傘づくし」、高さ15m直径4mの巨大石灰柱「黄金柱」などが1kmほどに渡って見学できる。黄金柱から折り返し40分ほどの見学を終えた。暗闇の先の出口の明りに向かって橋がかけられている。その幻想的な光景は余りにも美しい。1200円という高目の入洞券が納得できる見所いっぱいの鍾乳洞だった。
 
■12時半頃に土砂降りの中を萩市郊外の「道の駅・萩しーまーと」に着いた。雨の中でも観光客いっぱいの「浜料理がんがん」に入った。屋外のテラス席で「まんぷく寿司と海鮮汁セット」を食べたが、期待したほどの鮮度もなくがっかり。早々に次のスポットである松下村塾に向かった。
■吉田松陰を祀った松陰神社の境内に松下村塾があった。木造瓦葺き平屋建ての小さな家屋が当時のままに残されている。松陰の肖像画の掛けられた講義室前で司馬遼太郎の作品世界に想いを馳せた。松陰神社に参拝した後、萩城城下町に向かった。
■隣接の萩博物館駐車場から歩いてすぐのところに維新ゆかりの史跡が建ち並ぶ一角がある。旧久保田家住宅、菊屋家住宅、木戸孝允旧宅、蘭学者・青木周弼旧宅、高杉晋作ゆかりの円政寺、高杉晋作立志像、高杉晋作誕生地などを見て回る。白壁やなまこ壁の続く菊屋横町の武家屋敷の町並みがことのほか情緒があった。最後に正面に関ヶ原の西軍大将・毛利輝元像が建つ萩城跡の石垣門を訪ねて萩を後にした。
■最後の訪問地は萩から20kmほど西の長門市である。日本海に面した標高333mの高台にある千畳敷は広大な草原である。強風の吹く展望台からは本海の雄大な光景が望める。竜宮の潮吹きといわれるスポットは道がわからずパスし東後畑棚田に向かった。日本の棚田百選のひとつでちょうど水田の季節でもあり美しい棚田を眼下に眺めた。
■全ての観光を終えて新山口に向かった。今日ここまでのドライバーだった婿殿に代わり息子がハンドルを握る。途中、道の駅おふくで小休憩し、新山口には予定の時間を40分ほど早く到着した。18時過ぎの指定席券利用をやめてひとつ早い17時27分発のぞみ自由席に乗車した。幸運にも連休狭間の上り新幹線自由席はガラガラ状態でゆっくり寛げた。神戸電鉄・岡場駅前のお好み屋さんでツアー最後の軽めの夕食を済ませた。嫁の実家に帰省する息子夫婦と別れて娘夫婦と帰宅した。夫婦三組の初めての家族旅行が終わった。