初日は種子島宇宙センター
■朝7時30分、小型のキャリーバックを引っ張りながら二泊三日の旅の集合場所に向った。総勢23名を乗せたバスが定刻8時に山口を出発した。日曜朝の空いた中国道を走り抜け30分で伊丹空港に到着。10時発のANAで鹿児島空港に向い、空港からは貸切バスで鹿児島港南埠頭まで直行した。鹿児島から種子島までは高速水中翼船のジエットフォイル・トッピーで約1時間30分の船旅だった。出航まもなく飲み物とお弁当が配られ、旅の醍醐味である缶ビール片手の昼食となる。
■種子島の西之表港には豪華クルーズ客船・飛鳥Ⅱが寄港していた。その巨大で純白の船体が私たちの旅に思わぬ影響を及ぼした。手配される筈の現地ガイドがこの飛鳥クルーズ御一行様に全員回されてしまったのだ。急きょ代役を務めた同行添乗員のしどろもどろの現地ガイド観光がスタートした。
■最初のスポットは日本の宇宙開発の拠点・種子島宇宙センターだった。南北に細長い種子島の北の港から南端の宇宙センターまでバスで1時間半の道のりだ。実物大のロケットモニュメントの建つ宇宙科学技術館を見学する。ここでは、ガイドの案内でシアターでH-ⅡAロケット打上げの映像を見たり、宇宙ステーションの日本の実験棟「きぼう」の実物大模型で体感したり、日本の歴代ロケットのレプリカや人工衛星や月球儀を見学できた。バスで移動しロケット打上げの展望台に向った。彼方の岬の先端にいくつもの鉄塔が並んでいる。大型、中型の各ロケットの発射台である。ロケット打上げのテレビニュースでお馴染みの見慣れた風景が眼前に横たわっている。次回の打上げニュースでは家族に「ここに行ったんやで」ときっと自慢げに語ることだろう。
■宿泊ホテルの南種子町の中心部にある大和温泉ホテルに5時頃到着した。団体の収容可能な唯一のホテルらしく、ここしか選択の余地はなかったようだ。そのせいか設備、サービスともに及第点には及ばない。殺風景な8畳の和室に収容された後、温泉に浸かり18時40分からの夕食に向う。お刺身三点盛り、朝日蟹、豚シャブ等のほか、舟盛りで伊勢海老、飛び魚、キビナゴのお刺身が準備された魚介中心の料理だった。宴席の後半は恒例のカラオケ大会となる。各自が歌い終えた頃を見計らってお開きとなる。したたかな酔いに身を任せ深夜12時前に眠りに落ちた。
種子島・門倉岬~屋久島・白谷雲水峡
■種子島での朝を大和温泉ホテルの和室で迎えた。6時過ぎに温泉の朝風呂に浸かった後、ホテル周辺を散策する。田圃の中に民家が点在するだけの味気ない風景に早々に切り上げ、食堂で朝食をとる。8時には今日は手当ができたガイド嬢付の大型バスで種子島観光に出発する。
■最初のスポットは島の最南端の「鉄砲伝来の地・門倉岬」だ。遊歩道の先の岬には「鑯砲傳来紀功碑」と大書された自然石の重厚な石碑が建っている。470年ほど昔にこの岬のすぐ下の浜に明船が漂着し、乗船していたポルトガル人から鉄砲が初めて伝えられたという場所だ。この岬からの緩やかに湾曲した「前の浜」の展望は絶景である。その先端にはかすかにロケット発射台も見える。
■続いて「たねがしま赤米館」を訪ねた。種子島で古来から栽培されてきた赤米にまつわる展示館である。日本の米の原種ともいわれる古代米の赤米のルーツについての展示は興味深いものだった。
■島の東海岸南方には「千座(ちくら)の岩屋」がある。海に向って大きく口を開けたような洞窟で干潮時には中に入ることができる。残念ながら訪ねた時は満潮で、かすかに洞窟越しに海を望むしかなかった。奇岩の並ぶ岩屋周辺の浜には赤珊瑚のかけらが打上げられている。そんなガイドさんの案内にしばらく珊瑚探しに興じた。
■種子島最後のスポットは西之表港近くの「鉄砲館」だった。南蛮船をイメージした建物で鉄砲をメインとした博物館である。国内外の大量の旧式銃の実物展示や人形劇風の鉄砲伝来物語を興味深く観賞した。建物向いの丘には鉄砲伝来当時の島主である「種子島時堯公の銅像」が建っている。
■種子島西之表港から屋久島の安房港まではジェットフォイルで約50分である。安房港すぐ近くの「れんが屋」という郷土料理店で昼食となる。メニューは鹿肉メインの焼肉だった。昼食後いよいよ今回ツアーの最大の楽しみだった屋久島観光がスタートした。最初に目指すのは「もののけ姫」の舞台イメージとなった「白谷雲水峡」である。途中からは一方通行の狭い道を原生林分け入るように中型バスが進んで行く。対向車を幾度かやり過ごしながら約1時間で到着した。
■白谷雲水峡は標高600m~1100mほどの地に整備されたヤクスギなどの原生林観賞やハイキングを楽しめる自然休養林である。ハイキングコースは体力や所要時間に応じて三コースがある。私たちには最短60分の弥生杉コースが用意されていた。入口の白谷広場から白谷川沿いに西に向って進む。飛流橋からの飛流おとしの豪快で幽玄な滝の風景を眺め、右に折れて山道を登る。突然先を行く一行から歓声が上がる。小鹿の姿を見つけたのだ。おばさんたちが口々に「カワイイ~ッ」を連呼する。さっき食べたばかりの鹿肉のことはキレイに忘れ去られている。斜面を登りつめた標高710m辺りに弥生杉があった。樹齢3000年、樹高26mの屋久杉を代表する巨木である。ここから下り坂の帰路となる。出発地点の白谷広場に戻るまで約1時間の自然と一体となった森林浴を満喫した。
■5時半頃に尾之間温泉の屋久島いわさきホテルに到着した。背後に独特の山並みのモッチョム岳を控えた屋久島随一の高級ホテルだった。高い吹き抜けのロビーにそびえる巨大な屋久杉のオブジェが度肝を抜く。快適な和室に落ち着いた後、早速大浴場に浸かる。夕食は和洋折衷のコース料理だった。会食懇親の後はやっぱり定番のカラオケとなる。四つに分かれたテーブル対抗の歌合戦が、途中からカラオケルームに席を移して夜の更けるまで続いた。
癒しの空間・黒川温泉郷
■前夜の深酒にもめげずいつも通り6時過ぎには目覚めた。例によって温泉大浴場での朝風呂とホテル周辺の散策をこなして朝食に向う。最上階レストランの広大な窓の向こうにはモッチョム岳の山並みと太平洋が広がっている。絶好のロケーションと地元食材をふんだんに使ったバイキング料理という贅沢な朝食だった。
■8時にホテルを出発し30分ほどで「千尋の滝」の展望台に着いた。V字谷に流れ落ちる落差60mの滝の迫力もさることながら、左手の花崗岩の巨大さに圧倒される。ここから次の目的地の「紀元杉」に向う途中の車窓から日本猿の群れを幾度も目にした。バスが海岸線の幹線から島の中央部に向う山道に入った。カーブの多い山道の揺れがじわじわとダメージを与えていた。二日続きの深酒で体調のバランスを崩していたこともある。小学校時代以来の車酔いの吐き気に襲われていた。辛うじて「紀元杉」まで持ちこたえた。
■紀元杉は標高1230mの地に立つ樹齢3000年、樹高19.5mの巨木である。駐車場の端を降りてすぐそばに立つ紀元杉の根元を間近に見ながら階段を伝って幹の中央部を回遊し再び駐車場に出るという仕掛けになっている。駐車場からは白骨化した上部の幹まで眺められる。ここから20分ほど戻った所に「ヤクスギランド」がある。
■ヤクスギランドは島の中央部にある自然休養林である。30分から150分の四つの探索歩道が整備されている。私たちは通常の履物でも歩行可能な最短コースの千年杉歩道を散策した。入口近くのくぐり栂、切り株更新(切り株の上に再生した杉)、千年杉、くぐり杉などを観賞した。何よりも実感したのは温暖多雨の気候と花崗岩に覆われた大地が育んだ大自然の不思議だった。樹齢千年以上を屋久杉ということも初めて知った。苔に覆われた大地に太古のままに屋久杉が歴史を織りなしている。屋久杉工芸品の幾筋もの年輪に、1年で2mmしか成長しない屋久杉の歴史が刻まれている。そうした大自然の悠久の歴史を目撃し育み継承することの大切さを体感することこそ屋久島観光のテーマではないかと思い知った。
■昼食は安房港近くの土産物店「杉匠」のレストランだった。塩焼き、お造り、つみれなど飛び魚中心の郷土料理だった。
■順調だった旅路の最後に悲劇が襲った。ジェットフォイルが出航して間もなく折からの強風で東シナ海が荒波に見舞われたのだ。船体は大きく左右に傾き、時にエアポケットに落ち込んだように沈んだりする。両側の窓を荒波がまともに叩きつける。突然若い女性の叫び声が聞こえた。にこやかに乗客の気を鎮めていた客室乗務員が突然の横揺れに転倒したのだ。これほどの揺れが我が身を襲ったのだ。朝から耐えていた吐き気は一気に限界を越えた。備え付けのエチケット袋に何度吐いたことだろう。周囲の何人かの乗客も共通した事態に陥っていることがわずかに救いだった。船が錦江湾内に入り波が落ち着くまでの90分ほどの地獄を味わった。
■下船後、バスで鹿児島空港近くまで運ばれる。最寄りの西郷隆盛像の建つカルカンや薩摩揚げの製造販売店で最後の寄り道をし空港に着いた。空港内のレストランで幕の内弁当の夕食をとり18時45分発のANAに搭乗した。伊丹空港から迎えのバスで山口には定刻通りの9時に到着した。二泊三日の知人たちとの懇親を深めた思い出深い旅路が終わった。