明日香亮のつぶやき日記 2006年6月
東京お上り観光
 久々に一泊二日の東京出張の機会があった。日頃の早起きオヤジの強みを活かして初日、二日と早朝に皇居と上野公園を散策した。過去、何十回となく東京出張の機会があったが、東京の代表する名所である皇居も上野公園もなぜか訪ねたことがない。強いて訪ねる気も起きなかったというのが正直なところだった。一線から身を引いた気持ちのゆとりが、今回初めて足を向わせていた。
 皇居の二重橋の、あの余りにも有名な光景の前に立った時、なんともいえない懐かしさに包まれた。島倉千代子の「東京だョおっ母さん」というささやきが聞こえてくる。「おのぼりさん観光コース」に見事に嵌っていた。
■自宅を5時半過ぎの始発バスで出発し、7時前の新幹線に乗車した。晴れていた関西地方の空模様が東に進むにつれて怪しくなる。
■車窓からの沿線風景は、いくつになっても何度見ても安らぎと寛ぎを与えてくれるものだ。水田の彼方に伊吹山の雄大な姿が晴れ渡った空に浮ぶ。浜名湖周辺はすっかり雨模様だ。期待の富士山は、雨がすみの富士山山麓が広がるばかりである。
■9時半頃には東京駅に到着。丸の内側の改札口前にコインロッカーがあった。携帯電話を利用した短時間利用も可能な方式のロッカーだった。タッチパネルで選択をした後、指定の電話番号に携帯電話をかけると、目的のロッカーの扉が開き、荷物を預けるという手順だ。3時間以内なら100円なので1回300円の通常のロッカーより短時間利用者にはお手軽だ。早速利用した。
■丸の内出口(東京駅中央口)は、昔ながらの煉瓦造りの風情ある駅舎の中にある。駅正面から500m程西には、江戸城跡(皇居外苑)の緑が広がっている。外濠を渡り噴水公園を過ぎれば、皇居外周の内堀通りに出る。多くの市民ランナーたちが小雨降る朝もやの中のランニングを楽しんでいる。内堀通りを渡ると、お濠の向うには皇居のイメージ写真でよく見る巽櫓が間近に迫る。お濠に沿って進むと坂下門があり、その右奥には宮内庁のグリーンの甍が見える。
 広大な皇居前広場を更に進むと皇居正門が見えてくる。この辺にあの二重橋がある筈だが見当たらない。正門手前を左に降りて振り返るとアッタアッタ。年配の日本人ならその多くが懐かしさに包まれるかの風景だ。皇居での記念写真の代表的スポットである伏見櫓を望む二重橋の風景だ。ちなみに二重橋とは手前の眼鏡橋のような石橋のことだとばかり思っていたが、間違いだった。その奥にある鉄橋のことをいうらしい。
■ここ1-2年、東京出張の際のは、JR両国駅前の「両国パールホテル」を定宿にしていた。地の利のよさとコストパフォーマンスで満足できるホテルだ。今回もここで宿泊し、早朝6時30分には、チェックアウトした。ホテルの目の前に国技館がある。場所中に宿泊が重なった時は、当然ながらこの界隈を力士がゆきかっていた。国技館の東側には「江戸東京博物館」の巨大な建物が見えている。ホテル前の大通りを南にJRの高架下をくぐると、歩道上に力士のブロンズ像がいくつか建っている。
■更に南に進むと突き当たりに「回向院」がある。回向院の境内は、江戸時代の勧進相撲興行の中心だったという。国技館が回向院に近い場所にあるというのもわけがありそうだ。回向院は、藤沢周平の作品をはじめ時代小説にはしばしば登場する。それだけにぜひ訪れたい寺院だった。ところが鉄筋コンクリート造りの現在の回向院には、江戸の情緒を偲ぶよすがはない。境内には「鼠小僧次郎吉の墓」や「塩地蔵」などの墓石や石碑がところせましと並べられている。
■回向院から200m余り東に吉良邸跡がある。赤穂浪士の討入りが決行された吉良上野介義央の上屋敷跡である。現在は本所松坂町公園として開放され、門の脇のくぐり戸から中に入ると、吉良首洗いの井戸や稲荷神社がある。周囲の石壁は江戸時代の高家の格式を表す海鼠塀長屋門を模した造りとのこと。
■JR両国駅から秋葉原で乗換え上野駅に向った。わずか10分余りの距離にある。
 彰義隊と官軍の激戦の地だった上野の山(上野公園)は、西郷隆盛の銅像や大政奉還後に徳川慶喜が蟄居した上野寛永寺など幕末の歴史を訪ねる上で見逃せない名所である。
 上野駅の公園口に出ると、通りを挟んで目の前に上野公園が広がっている。正面の東京文化会館前に広大な公園の様々な施設の案内板があった。左回りに散策することにした。
■上野の森美術館を左に見ながらしばらく歩くと右手に京都の清水寺を模したと言われている清水観音堂@がある。裏側には清水の舞台もどきの構造になっている。その先に彰義隊の墓Aがある。墓の前の案内板で、上野の山を拠点にして新政府軍と戦った彰義隊と墓石建立の経緯を知った。そのすぐ右手にかの有名な西郷隆盛の銅像Bが建っている。足元の西郷が愛した「敬天愛人」の信条を大書した「西郷隆盛と銅像の由来記の石碑で、この銅像が高村光雲の作品であることを初めて知った。不忍池方向に進む途中に多くの著名人の手形を写し取ったレリーフの石碑が並んでいた。ファンだった横綱千代の富士の手形Cに自分の手を当ててみた。小柄な横綱だったがやっぱりデカイ。
■階段を降り、道路を渡って不忍池を周回する遊歩道に出る。蓮池Dでは、シーズン盛りの蓮の葉が水面を覆いつくしている。ボート池の杭で川鵜Dが羽を休めていた。ボート池を周回し弁天堂Eに辿り着く。徳川家康の側近と言われた天海僧正が建立したと伝えられている。
■不忍池を後にして再び上野公園に戻る。豊かな緑に覆われた遊歩道Fを北に進むと森の中に五条天神社Gがあった。白木の美しい社殿と重厚な銅板屋根が印象的だ。明治5年創業の老舗フランス料理店「上野精養軒」を左に見ながら更に進む。突当り左手に上野東照宮がある。1627(寛永4)年、家康の遺言で、天海僧正と藤堂高虎が寛永寺の敷地内に造営したもの。早朝のため門は閉ざされ見学は適わなかった。動物園内にある五重塔も塀越しに眺める他なかった。上野東照宮山門Hの画像だけを記念に撮った。
■山門の前を北に進むとすぐに上野動物園の正門Iがある。パンダ第1号のカンカン、ランランの騒ぎを思い出しながら先に進む。
 動物園正門のすぐ北側には、特徴的な煉瓦壁の東京都美術館Jがある。
■美術館前の大通りを右に国立博物館、左に東京芸術大学を見ながら300mばかり歩き突当りを左折すると、寛永寺の霊園に入る。正面の霊園と本堂をつなぐ小道を抜けて、寛永寺本堂の境内Kに入る。天海僧正が徳川家の菩提寺として造営した今の上野公園一帯を占める広大な寺院だったという。幕末に彰義隊がここを屯所として官軍と戦った上野戦争によりほぼ全てを焼失した。現在の寛永寺は根本中堂と寺務所があるのみである。只、国立博物館を挟んで東側には寛永寺の一部と思われる輪王寺Lがある。
■輪王寺前の大通りを西に向うと左手に噴水池Mを中心に周囲を緑で囲まれた広々とした空間が広がっている。右手には広大な敷地に幾つもの会館を擁した国立博物館Nがある。東の両国駅方向には工事中の国立科学博物館Oがある。