朝来の山荘と竹田城址
■家内と一緒に兵庫県但馬地方の朝来市の知人の山荘を訊ねた。朝8時前に自宅を出て中国道、播但有料道路を乗り継いで1時間20分で到着した。天然温泉付きの分譲別荘地「たたらぎの郷」の一角にあった。丸山川支流の小川が流れるのどかな里山の中に建っている。段差のある敷地の階段を上り、木造デッキ付きの2DKの平屋に迎えられた。築3年のまだ新しい建物は内風呂と露天風呂を備えた贅沢な造りである。しばらく談笑した後、何よりの馳走である天然温泉に浸からせてもらった。
■家屋の奥のドアを開けると、木の温もりに包まれた庇と、山すその杉林を遮るよしず塀に囲まれた露天風呂の空間があった。浴槽を囲む坪庭が日本的な風情をかもしている。薄黄土色の湯に満たされた湯船にそっと足を入れる。思いのほか深い湯船にゆっくり足を伸ばして全身を委ねる。ひと時を露天の寒さに晒された肌を、少し熱めに感じさせる湯が包んでくれる。湯船の中で膝を抱えた手が滑った。驚くばかりの湯のぬめりにあらためて天然温泉の湯を実感する。湯船からの眺めも格別だった。よしずの背後にむき出しの山林が迫っている。野趣溢れる風景の中の入浴が、ひと際寛ぎと癒しをもたらしてくれる。 
 風呂から上がって、もうひとつの楽しみに出かけた。この近くにある日本屈指の山城・竹田城址の見学である。「天空の城」という異名を持ち、「日本のマチュピチュ」とも呼ばれているという。 
■丸山川を左に見ながら312号線を北上していた。車窓越しに眺めていた山並みの平坦な頂きに角ばった構造物が見えてきた。山頂の造作物としては驚くほどの広がりを持っている。標高350m余りの古城山の山頂に築かれた竹田城の初めて目にする城跡だった。近くに山荘を持っている知人は、来客の都度何度も案内しているスポットである。それだけに車で山頂間近に迫れる登頂ルートを知っていた。
■「史蹟・竹田城址」の石碑と来歴を伝える案内看板があった。室町時代中期の1430年頃から13年をかけて但馬国守護大名・山名宗全によて築城されたと伝えられている。その後現存の完成された城郭に整備されたのは戦国時代末期の16世紀後半頃と推定されている。山名氏の家臣だった太田垣氏が長く城主を守り継いだが、信長の命による秀吉の但馬攻めにより落城した。その後、秀吉の弟小一郎・秀長が城代となり、後に秀長の武将桑山重晴が城主となった。その桑山重晴の転封に伴って龍野城主赤松広秀が城主となり、その自刃により廃城を迎える。 
■案内看板のすぐ横の城郭に至る石段を登る。近江穴太衆の穴太流石積み技法を用いた野面積みの見事な石垣が間近に展開する。案内看板にはこの城の縄張り(城郭の基本設計)図面があった。それによると天守閣のある本丸を中心に北に北千畳、南に南千畳、西に花屋敷と呼ばれる郭が三方に広がっているようだ。
 石段をのぼった所が北千畳と呼ばれる広場だ。東に雄大な展望が広がっている。東西の山並みを円山川が縫うように走っている。その沿岸に竹田の集落が細長く南北に展開している。地図で調べるとここが丹波と播磨の接点となる但馬の街道の要衝だったことが分かる。その最も狭隘な地点に位置するのがこの古城山であり、その頂きに建つのが竹田城だ。築城の戦略的配置が偲ばれる。西側には南千畳の4本松の老木が印象的な美しい光景が望めた。 
■大手門、三の丸、二の丸と続く遺構を辿り、本丸跡に着いた。西側の一段低い広場が花屋敷と呼ばれた郭のようだ。西側の展望にひと際目を引くコンクリートの長い眼鏡橋がある。播但有料道路の丘陵と丘陵を跨ぐ架橋である。
 本丸跡の東端に一段高い石垣がある。天守閣の基盤跡だ。立掛けられている木製のハシゴを登り、城跡の最も高い位置から360度を展望する。通常、廃城となった城跡の周囲は木々が覆っている。この城跡にはそれがないため、城跡からは下界を一望でき、山麓や周辺からは見事な石垣の長大な列を展望できる。天主基盤跡から見下ろす講武所(南二の丸)から南千畳にかけての壮大な石積み跡は見事の一語に尽きる。
■本丸跡から南千畳に向う。南に伸ばした翼のような郭の先端に絶景が広がっている。入り組んだ山肌の狭間を蛇行して流れる円山川とその周辺に点在する民家と田畑が遥か彼方まで見晴らせる。振り返ってみると天主閣跡を中心に北千畳にかけての石垣群の迫力のある威容が目前にあった。
■山麓に円山川を抱いた城跡である。冬場の好天の日のよく冷えた朝には円山川からは濃い朝霧が発生し雲海となって古城山を包み込む。その時に城跡から眺める景色はまさしく雲海に浮ぶ「天空の城」なのだろう。ネット上には多くの人が撮影した「天空の城」がある。写真撮影には相当の覚悟と労力が必要だった筈だ。それだけの苦労をいとわせないだけの価値ある絶景を手に入れたに違いない。一度は「生の天空の城」を眺めたいと痛感した。
■竹田城址を見終えて食事とお買物に向った。知人のお勧めの「ドライブイン・但馬パオパオ」に立ち寄る。この地方の物産を一堂に集め、大勢の買い物客で賑わう活気のある店だった。3匹500円の新鮮な海鼠(なまこ)に思わず手が出てしまった。
■その向かいの「こんにゃく懐石・一粒」という店が知人の昼食予約の店だった。国道9号線沿いのしもた屋風の一軒家の奥に玄関がある。仲居さんの解説つきで次々と運ばれる料理は全てこんにゃく素材である。こんにゃくの突出し、刺身こんにゃく、つみれこんにゃくとこんにゃくうどんの鍋、こんにゃく入りふりかけのご飯と続き、締めはこんにゃく羊羹のデザートというコースだった。一品一品に手間ひまかけた味わいが伝わる料理だった。
 昼食後、9号線向いの「但馬牛の専門店・太田屋」に立ち寄った。娘の土産にと飛び切りのすき焼き牛をポケットマネーをはたいて求めた。別荘に帰り、すっかりご馳走になった知人ご夫婦と別れを告げ帰路に着いた。播但有料道路の朝来ICに入ってすぐのところの朝来SA内の「道の駅・フレッシュあさご」に立ち寄った。再び地元産品のお買物。癒しと感動、美味しさと楽しさ・・・欲張りで有意義な初春の日曜日だった。