戦国武将・清水宗治の潔さ
■第1日曜の今日、岡山の義父を見舞った。第1日曜は、高速道路サービスエリアの全品2割引サービスデーである。家内にとっては日程設定の有力な根拠となる。私にとってはお見舞い前の「吉備路の史跡巡り」が愉しみになっている。 ■そんな訳で今日も7時半には自宅を出て岡山に向った。途中、龍野西SAに立ち寄り9時半には最初の目的地・備中高松城址に着いた。いうまでもなく高松城は、信長の命を受けた秀吉の中国攻めの攻防の城である。秀吉の水攻めにより孤立した高松城は、城主・清水宗治の切腹後に開城した。その直後の秀吉の光秀討伐のための「中国大返し」は余りにも有名である。一度は訪ねておきたい史跡だった。本丸、二の丸跡が遺されるだけの城址は、現在は城址公園として整備され、低湿地帯に見事な蓮池や菖蒲池が配されている。
■広々とした公園の一角が鮮やかなピンクに染まっていた。満開の蓮の花のこれほど多くの迫力ある風景に息を呑んだ。蓮池を木製の渡り廊下で渡った先に二の丸跡、本丸跡の公園がある。清水宗治の辞世の句碑や首塚が、自身の首と引換えに城兵5千人の命を救った戦国武将の潔さを偲ばせる。公園入口には無料の資料館が地元の観光ボランティアのお年寄たちの手で運営されていた。
三大稲荷のひとつ高松最上稲荷
■高松城址の北東4kmほどの所に最上稲荷神社がある。高松最上稲荷は、伏見稲荷、豊川稲荷と並ぶ日本三代稲荷の一つで日蓮宗・妙教寺と一体化した神仏混合の神社である。商売の神様ということで義父もかつてよくお参りしていたようだ。境内すぐ下の駐車場に車を停め参拝する。昭和に建設された真新しい本殿の背後に江戸中期に再建された旧本殿がある。本殿前の長い石段の参道両脇には土産物店が建ち並ぶ。
吉備路のシンボル・国分寺の五重塔
■お見舞までに時間があったので近くの備中国分寺跡に立ち寄ることにした。南へ車で20分ほど走ると大きな五重塔が見えてきた。この辺りは「吉備路風土記の丘」と呼ばれ周囲に古墳などの多くの遺跡が遺されているようだ。散策拠点ともいうべき「吉備路もてなしの館」という観光用施設に車を停め徒歩2−3分の国分寺を参拝する。山門前の案内板によれば8世紀中頃に各地で建立された国分寺のひとつで、中世に廃寺となった。現存の伽藍は、江戸中期に日照山国分寺として再興されたものだという。とりわけ江戸後期に20数年をかけて建立された五重塔は国指定重要文化財で吉備路のシンボルとも言うべき美しい建物だった。
 国分寺から車で10分ばかりのところに造山古墳がある。立ち寄ってみたが駐車場が見当たらない。やむなく中に入ることを断念し、外観のみを眺めて義父の入所する施設に向った。