ゴールデンウィークである。カレンダーの巡り合わせで前半と後半に分かれている。前半の昨日から娘夫婦が帰省した。後半には息子夫婦がやってくる。今朝、娘夫婦とマイカーで小旅行に出かけた。B級グルメ志向の娘のリクエストは佐用町のホルモン焼きうどんだった。私が訪ねたいと思っていた宿場町平福がすぐ近くにある。行先が即決した。
■10時半頃に平福散策の拠点となる「道の駅・宿場町ひらふく」に到着した。ホルモン焼きうどんコロッケを味わった。コロッケの中からうどんが出てくる不思議な感触だが結構いける。入手した観光マップを手に国道を北に向かった。見晴らしの良い田舎の田園風景の中に神社仏閣の甍があちこちに見え、歴史の街を偲ばせている。
 
■数分歩いて東に折れた先に平福郷土館があった。土塀壁の腰の辺りの高さにブルーの線が引かれていた。2009年に佐用町を襲った水害で浸水した時の高さを示すものだった。郷土館の先の四叉路の南北の道が旧因幡海道である。南に向かう街道の左右には今も宿場町の面影が残っている。角に大きな提灯が吊るされている本陣跡を東に折れた。
■大通りの正面に瓦葺の風情のある平屋が見えた。兵庫県上郡町と鳥取県智頭町を結ぶ智頭線の平福駅だった。駅に向かっていると折よく一両の電車が到着した。到着したまま動かない理由を、反対方向からやってきた二両編成の車両が通過して合点した。
■智頭線手前の農道を南に向かった。西に折れて佐用川にかかる天神橋の袂に着いた。向こう岸の南側には蔵屋敷や土蔵が建ち並ぶ独特の川端風景が広がっている。天神橋を渡って突き当たりの旧街道を南に折れた。川端の蔵屋敷の表に当たる瓜生原家の古民家があった。江戸時代に建てられた木造2階建の土壁の屋敷である。
 
■旧街道の宿場の南の端の金倉橋の袂に「六地蔵刑場跡」と「宮本武蔵初決闘の場」があった。江戸時代の平福藩の処刑場の跡に立てられた供養のための六地蔵が並んでいる。またこの地は剣豪武蔵が13歳の時に初めて決闘を挑んで一刀のもとに倒した場所と伝わっている。
■国道に出て道の駅に向かって帰路についた。東の小高い山の上に利神城跡の土塁が見える。利神城は関ヶ原の戦い後に平福の領主になった池田出羽の守由之が築城した三層の城郭だった。その余りの壮大さに叔父の姫路城主池田輝政の命で取り壊されたと伝わる。
■道の駅を出発し、ホルモン焼きうどんを求めて佐用町の中心部方面に向かった。道の駅で貰ったホルモン焼きうどんの店舗マップで娘たちが選んだのが「お多福」という店だった。うどん1玉120円の玉数と450円から620円まであるホルモン部位の種類を選んで注文する。490円のホルモンとうどん5玉を注文した。婿殿のノーサンキュウを尻目に1人で生ビールを呑むうちに、焼き上がったホルモン焼きうどんがテーブルの鉄板に運ばれた。うどんが好みでない私以外は皆美味しいとの感想だった。
■平福の道の駅でお土産を買い忘れたので、佐用駅から南にひと駅の上月町の特産物直売所に向かった。直売所自体は小さな店で品数も少なくお土産は断念する他なかった。ただ同じ建物の裏側が無人駅のJR上月駅だったのには驚いた。姫路と新見を結ぶ姫新線というローカル線ならではの工夫とアイディアの建物だった。
■朝9時前に自宅を出て帰宅したのは午後2時頃だった。見所いっぱいのプチ旅行だった。