感動の海との初めての出会い
 この時期恒例のチェーンストア労組OB・現役懇親会の日である。今年の会場は沖縄の宮古島だった。初めての沖縄である。グループでまとめて手配された航空券は、関空発那覇経由宮古行の7時10分のJALだった。りんんくうタウンのホテルで前泊し、ホテルの送迎バスで6時半に関空に着いた。12月中旬の早朝の寒さをダウンジャケットでカバーする。ゲート前で出身労組の仲間と合流し搭乗する。
 那覇空港で乗り継ぎ宮古空港に降り立ったのは11時だった。関空の寒さが嘘のような陽気が待っていた。真夏を思わせる日ざしがジャケットを脱いで薄着になった身体に降りそそぐ。予約のレンタカーを借受けて観光に出発する。
 何はともあれ昼食である。レンタカー営業所での現地情報で宮古そばの美味しい店「古謝そば屋」を訪ねる。ナビが威力を発揮する。そばセットをを注文する。太麺の宮古そばにチャーハン、小皿のコロッケ団子、モズクとソフトドリンクが付いている。この島の定番ブックのような「ガイドブック宮古島2009」を見ながらコースを検討する。島の南東の端の東平安名崎をスタートに、宿泊ホテルのある南西の端に帰ってくることにした。
 島の先端から延びた2kmほどの岬の中間で駐車し、歩いて岬の突端に向う。突端手前に伝説の美女「マムヤの墓」があった。そのそばの展望台からの眺めが、初めての南国の海との出合いだった。海底まで見通せる透明感と深さで異なる美しいブルーの色合いに息を呑む。果てしなく広がる紺碧の海がこんなにも美しいものかという感動を覚えずにはおられない。白い平安名崎灯台のらせん階段を伝い最上階に登る。海抜43mからの360度の絶景が飛び込んでくる。岬の細長い姿が一望できる。階段を降りた時、チケット売場のオバサンに「ヘイアンナザキでなくヘンナザキと読みます」と教えられた。本土の人間にとっては想定外の読みである。沖縄文化との距離を感じさせられたひとこまだった。駐車場近くで店開きしていた屋台風の土産物店でサトウキビジュースを飲んだ。子供の頃に噛んだサトウキビの懐かしい味が甦った。
地下ダム資料館〜仲原鍾乳洞〜イムギャーマリンガーデン
 灯台から西7km のところに宮古島地下ダム資料館があった。サンゴ礁が隆起してできた透水性の高い琉球石灰岩から成る宮古島の地下水利用のための地下ダムである。更に西に車を走らせていると道路脇にガイドブックには記されていない鍾乳洞の案内看板があった。みすぼらしい小屋の入口に「仲原鍾乳洞」の看板がある。入場料500円を払って赤い階段を地下に下りる。余り期待していなかったが降りてみるとなかなかのものだ。奥行のある洞窟の天井から多数の巨大な鍾乳石が突き出ている。小屋に戻り係りのオバサンに聞くと個人所有の鍾乳洞だとのこと。どうりで宣伝が行き届かない。
 島の南岸の中間辺りにイムギャーマリンガーデンがあった。遊歩道に沿って石灰岩がおりなす入り江を歩く。イムギャー橋から眺める紺碧の海の美しさを満喫した。その近くの海の見える「島カフェ・とうんからや」で休憩し隣りのシーサー作りの体験工房・太陽が窯を覗いてみる。
琉球太鼓に秘められた怒りと哀しみ
 宿泊会場の宮古島東急リゾートに着いたのは4時前だった。部屋に入るとベランダからは太平洋の水平線を見渡す絶景が広がっている。入浴を済ませ寛いだひと時を過ごすうちに、暮れなずむ夕陽が水平線に近づいてくる美しい風景が目に入る。
 午後7時から恒例の懇親会が始まる。ホテルの海側の広大なガーデンの一角でのバーベキューディナーだった。50数名の参加者がテーブルを囲む。宴の途中にはホテルの若い男女の従業員たちによる琉球太鼓が演じられる。目前で太鼓を叩きながら踊るエイサーの激しい動きが繰り広げられる。その激しさに沖縄の人たちの心の奥底に秘めた怒りと哀しさを垣間見たような気がする。アンコールに応えた最後の演目では小太鼓やタンバリンが観客たちに配られ一緒に踊るよう促される。ほろ酔い気分のオジサンたちが踊りの輪に加わった。もちろん私も・・・。場所を変えた二次会では思い思いに懐かしい知人たちと1年ぶりの懇親を深める。12時前に部屋に戻りベッドに入った。早朝から深夜までのリタイヤ後の久々の長い一日がようやく終った。
来間島展望台からのエメラルドグリーンの眺め
 6時半、宮古島の朝を迎えた。7時過ぎに朝の散策に出かけた。ホテルの南側には真っ白なビーチが海岸線を縁取っている。日の出前の誰もいないビーチの粒子をシャキシャキと踏みしめた。地元の素材をふんだんに揃えたホテルの朝食バイキングを済ませて8時半にホテルを出発した。
 二日目の観光の最初に向ったのは来間島(くりまじま)だった。宮古本島との間に架けられた全長1,690mの来間大橋を渡る。本島と向き合う島の東岸に竜宮城展望台がある。竜宮城をイメージした無人の3層の展望台の最上階からの絶景に目を見張らされる。正面には昨夜の宿・東急リゾートの白亜の建物が前浜ビーチのど真中に建っている。眼下にはサンゴ礁がつくりだす濃淡のあるエメラルドグリーンの海が広がっている。
 大橋に戻り本島南西から一路北に向う。10分ほどで川満マングローブに着いた。与那覇湾から入り込んだ沼を囲むように生い茂るマングローブ林の中を木製の遊歩道が架かっている。湾に出たところで杭の上に止まった色鮮やかな野鳥を見つけ幸運にもデジカメに収められた。
史跡群とグラスボートの海底観光
 市の中心部を抜けた平良港交差点近くに史跡が固まっていた。漲水御嶽(はりみずうたき)は、宮古島の創生神を祀る御嶽である。その北方に仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)とその三男の知利真良豊見親(ちりまらとぅゆみゃ)親子の墓がある。16世紀初頭に琉球国王から任じられた八重山守護職の墓である。更に北に進むと人頭税石がある。財政に窮乏した琉球王府が江戸時代初期に課した税制の名残りの史跡だ。高さ143cmのこの石を越える者に税を課したという史跡である。
 史跡見学の後、一気に本島北端の池間大橋を渡り池間島に向った。今回の観光で最も期待の大きいグラスボートでの海底観光が待っている。10時30分に「池間島海底観光」の船着場に到着した。冬場の平日の閑散期とて乗船客は私たち二人だけだった。2千円の乗船料で約50分の海底観光が楽しめる。入江を出て大橋を越えてさんご礁や熱帯魚たちの生息スポットに向う。地元の船長が浅瀬を巧みに避けながら広大な海の小さなスポットに見事に誘導する。ボートの長方形のグラス底から色鮮やかな海底模様が色とりどりの魚たちとともに現われる。様々な形と色のさんご礁に目を奪われる。海亀の昼寝ポイントにやってきた。と思う間もなくグラス面を一匹の海亀が横切った。画像には納められなかったものの目撃できたことで満足すべきか。
海ぶどう海鮮丼と宮古島伝統工芸の伝承施設
 再び本島に戻る。池間島に伸びた岬の東岸に天然記念物・島尻マングローブ林があった。奥行約1kmの宮古諸島最大のマングローブの群生林である。木の遊歩道と石灰岩の橋がまじかに群生林を見せてくれる。それにしてもこの島での観光は殆んどが無料開放されているのには驚かされる。観光客数の少なさが有料化に伴うコストを吸収しきれないためだろうか。
 12時半近くになった。市街地に戻り、事前調査でお目当ての海ぶどう海鮮丼のメニューのある「郷土料理・おふくろ停」で昼食をとる。登場した海ぶどう海鮮丼は、大きな丼ご飯にマグロの切り身やイクラやとろろ芋がのせられその上に海ぶどうがたっぷりのせられている。
 昼食後、島の東岸の高野漁港にある「海ぶどう養殖・ゆうむつ」を訪ねた。お土産用の海ぶどうを調達するためだ。訪ね当てた養殖場は海岸近くの三棟のビニールハウスと事務所小屋だった。ビニールハウスの中のいくつもの水槽には海ぶどうが生育段階に応じて育てられている。味見用の海ぶどうを食べながら海ぶどう海鮮丼の昼食後の訪問を悔やんだものだ。家族のためにたっぷりの海ぶどうを調達した。
 最後の観光スポットは熱帯植物園だった。行って見ると実態は熱帯樹木の生い茂る敷地の中の「宮古島市体験工芸村」という無料開放施設だった。陶芸、木細工、宮古織物、藍染、島唄三線、郷土料理などの工房・教室があちこちに建ち並んでいる。手づくり体験とともに作品の展示販売もある。島の伝統工芸の伝承施設の機能も併せ持つ。
 予定の全スポットを回り終えた。空港近くのレンタカー会社営業所には3時半頃に着いた。空港までの道中の係員との会話で、この島の冬の日中の平均気温が24〜25℃と知った。本州と10℃以上の気温差である。那覇と台湾との中間に位置する島である。地理的には日本以上に中国に近い。日本で最も独自の文化風土を持つ地域が沖縄ではないだろうか。わずか二日間の初めての沖縄の旅は異文化体験の旅でもあった。
 18時15分発の那覇行JTAを起点に関空行JAL、空港バス、JR、家内運転のマイカーと乗り継いで自宅に戻ったのは23時40分頃だった。密度の濃い二日間の宮古島の旅が幕を引いた。