世間並みに三連休を意識して最終日の今日、夫婦二人で出かけることにした。民主党政権が無料化実験に指定した舞鶴若狭自動車道が近くを走っている。利用しない手はないと若狭方面の日帰りドライブを探ってみた。NHK朝の連ドラ「ちりとてちん」の舞台となった小浜のすぐ近くに一度は訪ねたいと思っていた「熊川宿」がある。熊川宿と小浜史跡巡りに決めた。
 朝8時15分に出発し2時間をかけて道の駅・若狭熊川宿に着いた。ここでガイドマップを入手し敷地に隣接する街道からスタートした。熊川宿は若狭と京都を結ぶ若狭街道沿いの主要な宿場町である。古代より若狭で水揚げされた魚介、とりわけ鯖が朝廷をはじめとした京都の町人に運ばれたことから鯖街道とも呼ばれた。思いのほか広々とした街道の左右を平入り、妻入りの混在した町屋が続いている。番所跡、街道筋に突き出した大岩、白壁や格子壁の旧家、由緒ある神社仏閣、資料館(宿場館)などの見所スポットが次々に目に入る。何よりも家並みの前を流れる用水路の澄み切ったせせらぎに癒される。宿場町の真ん中あたりの「まる志ん」という葛と鯖寿しの店に入り、葛もち(4個400円)と葛アイス(300円)を味わった。少し待たされて出された葛もちはできたての温かい何とも言えない味わいだった。一往復して道の駅に戻り1時間ばかりを滞在した宿場町を後にした。
 次に向ったのは車で15分ぼかり北西の若狭瓜割名水公園だった。「瓜割の滝」は弘法大師開基と伝えられる真言宗の古刹・天徳寺境内の奥にある。名水百選に選ばれたせせらぎが思いの意外に小さな滝を伝って流れていた。古木の林に包まれたせせらぎはパワースポットの趣きを湛えている。広い境内の中の馬頭観世音のお堂や天徳寺本堂を拝観して次に向った。
 更に15分ほど要して真言宗の古刹・明通寺に着いた。参道の石段の上に堂々たる構えの山門がある。国宝の本堂に入ると寺僧の境内ガイドが行われていた。ガイドの後、内陣に上がり重要文化財の三体の本尊を間近に見学した。本堂横の国宝の三重塔は残念ながら修復中でその壮大な威容は工事幕に覆われていた。ただその代替ということで通常は拝観できない安置された仏像が公開されていた。
 10分ほど北西に若狭神宮寺があった。奈良の二月堂へのお水送りの寺として名高い8世紀初頭の創建とされる古刹である。本堂内にはここでも寺僧が案内役をつとめている。近くの若狭彦神社と縁の深い神仏混淆の寺院ということで柏わ手を打って参拝した。お水送りの神事にまつわる「閼伽水」と呼ばれる霊水が湧くお堂が境内にあった。本堂北側に向って左右を田圃で囲まれた長い参道がある。その先に風情のある仁王門(北門)があった。
 
 神宮寺から5分ほどの所に若狭彦神社があった。こちらも8世紀初頭の創建とされ、上社、下社の二社から成り下社は若狭姫神社と呼ばれている。上社の鳥居の奥の参道両脇に堂々たる二本の杉の巨木が立っている。山門の奥に萱葺きの格式のある社殿があった。ここから北に5分の所に下社の若狭姫神社がある。広々とした境内を杉の古木が覆っている。社殿前に立つ千年杉と呼ばれる樹高30m、樹齢500年の巨木に圧倒された。上下二社はともに杉の古木に覆われ、苔むした境内に囲まれている。冷気と霊気に包まれた稀にみる古社の趣きのある神社だった。
 古刹巡りを終え、1時半過ぎに小浜市街の海沿いの若狭フィッシャーマンズ・ワーフに着いた。遅い昼食を2階レストラン・海幸苑でとった。二人で潮風膳、卸しそばミニ丼セット(ともに1370円)を注文した。もちろん私の生ビールも抜かりはない。運転してもらえる家内の同伴に感謝するばかりだ。1階お土産コーナーはさすがに海の幸満載である。鯖寿司や干物、海苔佃煮などを調達して岐路に着いた。
 それにしても若狭という地の歴史の深さをあらためて知らされた旅だった。古代の大陸文化が対馬海流に乗って着岸した若狭浦にまで遡る。半島と大和を結ぶ最短ルートだったともいわれる。その歴史の深さが数々の古刹や古社を残している。若狭という地の歴史と風土を再認識した。