いつも土曜日もパート勤務の家内が珍しく金土日と休みになったという。昨日は岡山に彼女の両親を見舞った。今日は二人でどこかに出かけようということになった。かねてぜひ一度は訪ねたいと思っていた日帰りコースがある。霊場・高野山である。お手軽なバスの日帰りパックツアーという選択肢もあったがここはやはり個人ツアーの自由な旅がしてみたい。例によってガイドブックを買込みネット検索を駆使して綿密なプランを立てる。往復の特急電車の発車時間を考慮すれば約5時間半の山頂滞在である。この時間でめぼしいスポットをくまなく回ろうという魂胆だ。 
 8時過ぎに南海電車の難波駅に着いた。改札横のチケット販売窓口でひとり4千円の「高野山フリーサービック」チケットを購入する。難波〜高野山駅間の往復乗車券、特急券、高野山内りんかんバスフリー乗車券、4寺院・施設拝観料のの2割引券、2店舗のおみやげ1割引サービス券がセットになっている。8時30分発のこうや1号に乗り込む。特急始発電車の車内はさすがに乗客もまばらである。南海高野線は、橋本駅までは平坦地を走る乗り慣れた通勤電車の趣きである。橋本駅を過ぎるとまもなく風景は一変する。紀ノ川に沿ってどんどん高度が上り次第に樹林が目につくようになる。「九度山」などの駅名を目にするといやでも真田幸村を思い浮かべてしまう。九度山駅からは紀ノ川とも別れ一気に高野山の山腹の急斜面を上っていく。約80分でと電車の終着駅「極楽橋」に到着。ホーム右手の高野山ケーブルに乗り換える。急勾配を途中で下りケーブルとすれ違いながら約5分で高野山駅に到着。  
 駅前で奥の院行の南海バスが発車を待っていた。九十九折れの狭いバス道を10分ほど揺られて最初のバス停・女人堂で下車する。いよいよ霊場散策のスタートである。「女人堂」は女人禁制の頃の女性のための今に残る唯一の参篭所である。堂前には両脇を鬱蒼とした樹林が茂る立派な参道がのびている。数分も歩くと左手に「徳川家霊台」がある。拝観料を払って境内に入ると階段上に家康、秀忠二代の霊屋(たまや)二棟が建つ霊廟があった。霊台前の商店の間の小道に入り大門に向う近道を辿る。
 壇上伽藍の北側から西側を辿り大通りを西に向うと忽然と鮮やかな朱色の大きな建造物が現れる。重要文化財「大門」である。正面に回って見ると左右に阿形、吽形の巨大な金剛力士像が迫力のある面構えで睨んでいる。
 来た道を折り返し「壇上伽藍」の聖域に入る。境内には根本大塔を中心に金堂、御社、御影堂、不動堂等の堂塔が独自の思想で配されている。真言密教の思想を具現化し、胎蔵界曼荼羅の世界が立体的に表現されているといわれる。金堂、根本大塔の内部を拝観し境内の堂塔をカメラにおさめる。向かい側すぐ東の「霊宝館」に入館する。数多くの国宝、重要文化財をおさめた文字通り密教美術の宝庫ともいうべき建物である。四月から始まって今日が最終日だった特別展「童子とほとけ」では八大童子立像のひとつ不動堂所蔵の国宝・恵光童子が展示されていた。
 すぐ傍の高野山の宗教活動の中心である「大師協会大講堂」に立ち寄り、「六時の鐘」の前を通って「金剛峰寺」に向う。高野山真言宗の総本山である。風格のある正門をくぐると広々とした境内正面の本坊を中心に左右に広がった書院造り風の伽藍が美しい。右端の玄関口から内部の拝観に入る。大広間や持仏間の狩野派絵師による見事な襖絵を見ながら本坊、別殿、新別殿へと進む。新別殿では接待のお茶とお菓子を味わいながら休息する。新別殿を出るとすぐ左手に石庭がある。別殿を囲む廊下から蟠龍庭と名づけられた国内でも最大級の見事な石庭を見て回る。
 バス通りに出てすぐ東にこの山頂都市の中心点とおぼしき交差点があった。交差点を北に向かいすぐ左手にガイドブック紹介の食堂「さんぼう」があった。間口は狭いが中は意外と広い落着いた店だった。精進花篭弁当(2100円)を注文する。もちろん生ビールの注文も忘れない。野菜の天婦羅、胡麻豆腐、刺身こんにゃく、山菜等の旬の惣菜6品に吸い物と麦や大豆の入ったご飯が付いている。滋味豊かで素材を引き立てたこれぞ精進料理といった味わいだった。
 昼食後、バス通りに戻りすぐ東の南に入った小道を進み「金剛三昧院」に向う。左右を杉木立に囲まれた参道の奥に大きな扁額を掲げた風格のある山門があった。境内には国宝の多宝塔はじめ書院造りの本堂、本坊が建ち並ぶ瀟洒な寺院である。バス通りに出て東にしばらく歩くと刈萱堂がある。刈萱道心と石童丸の伝説ゆかりのお堂で堂内には親子の一代記の絵物語風に飾られている。  
 刈萱堂の少し東に向うと一ノ橋がある。奥の院参道の入口である。道は左右に分かれている。右手はバス通りでもある広い舗装道路の国道、左手は杉並木に囲まれた風情のある石畳の参道である。当然、左に向う。ガイドブックでマークしておいた戦国武将たちの供養塔が次々に目に入る。薩摩島津家、多田満仲、武田信玄・勝頼、伊達政宗、石田三成、明智光秀などの墓所を目にした。参道の中間辺りに中の橋がある。橋の傍の「汗かき地蔵」と「姿見の井戸」を見て先に進む。中の橋から先は一気に参詣者が増える。この近くの大型駐車場から降り立った観光客の人並みが続くことになる。参道の終点近くに織田信長の供養塔があった。戦国武将や大名家の供養塔だけでなく江崎グリコ、松下電器、森下仁丹、小林製薬といった大企業の墓所や物故者慰霊碑があった。現代の大企業の戦国大名家に匹敵する権威と財力を目の当たりにした。いずれにしろ奥の院参道沿いのこの広大な墓所の風景は、高野山観光で最もインパクトのある感銘深いものだった。両側に石灯籠が並び、苔むした五輪塔などの供養塔が連なるゾーンは、厳粛で荘厳な雰囲気を漂わせている。
   信長供養等のすぐ先に御廟橋があり、ここから先は脱帽・撮影禁止の聖域となる。燈籠堂を参拝し回廊沿いに裏側に廻り正面の弘法大師御廟にも参拝する。燈籠堂裏側から右手に回ると地下燈籠堂の入口がある。一巡して出口に戻り来た道を引換えす。御廟橋を左に折れ護摩堂前を通って別ルートで中の橋に出る。 
 正面の大駐車場に観光バスがいっぱい駐車し、手前には土産物店や飲食店が並んでいる。奥の院観光の拠点基地のようなスペースだった。土産物店で物色したり休憩をとったりして30分ばかりを過ごし、15時前の高野山駅行の臨時バスに乗車した。途端に大粒のにわか雨が窓を打ち始めた。なんというラッキー。20分ばかりで駅に到着。少し時間があったので構内の売店で飲み物を購入。家内の制止のいとまを与えず間髪を入れず缶ビールにする。旅先での列車内でのビールほど有難いものはない。ケーブルから高野特急けごんに乗り換えたところで缶ビールの爪を上げる。2万歩を超えるウーキング後の体に堪えられないアルコールが染みとおる。自宅近くのスーパーで夕食用の寿司を調達し、19時前に自宅に帰り着いた。