明日香亮のつぶやき日記 2006年6月

足立美術館木次〜松江〜境港
■10年ほど前、松江市、木次町、江津市、浜田市、三隅町、隠岐ノ島の西郷町といった山陰の各地にしばしば出張する機会があった。とりわけ現在は雲南市木次町になっている木次町は思い出深い町だ。事業再編のための地元協議というヘビーな業務を担当し、地元の多くの方との交わりができ、思い入れもひとしおのものがある。
 その後子会社に転籍し、山陰を訪問する機会もないまま8年ほどが経過した。今回、久々に岡山市から木次町を回る一泊二日の出張の機会を得た。比較的ゆとりのある業務の合間にいくつかの観光を楽しんだ。
■早朝に自宅を出発し、岡山での業務を済ませ、岡山自動車道、米子自動車道を経由し、9号線から45号線に入り、足立美術館に向う。
 事前のネット検索のクチコミ情報で足立美術館駐車場にある「吾妻そば」の評判がいい。サービスエリアで昼食をとっていたが二度目の軽食を求めて、のれんをくぐった。割子そば(650円也)を注文。黒っぽい出雲そばが3枚セットの割子に盛られて登場する。「だしをかけて召し上がってください」とのこと。コシのある手ごたえのある食感は評判どおりの味わいだった。
■いかにも美術館といった感じの瀟洒な建物の玄関内のカウンターでチケットを求める。足立美術館のHPで入手したクーポンを提示し、2200円の入館料は2000円になる。受付正面の窓ガラス越しに日本庭園が窺える心憎い演出である。
 順路に沿って館内を進む。美術品の撮影はできないものの庭園撮影は可能である。進むほどに見事な日本庭園が次々と展開する。「滝」「苔」「枯山水」「白砂青松」「池」といったテーマで構成された五つの庭園である。米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」の「日本庭園ランキング」で4年連続して「庭園日本一」に選ばれたとのこと。
■日本画をはじめとした美術品のコレクションもまた一級である。私設美術館としては日本画の収集は他に類を見ないのではないか。とりわけ近代日本画壇の巨匠・横山大観のコレクションは圧巻である。教科書で見覚えのある、無心の童子を描いた「無我」はなにかホッとした安らぎを与えてくれる。陶芸館では、名前だけは知っていた稀代の陶芸家であり料理人でもあった北大路魯山人の作品を鑑賞した。
■それにしてもかくも見事な美術館を個人で開館した創設者・足立全康(ぜんこう)という人物とは何者だろう。
 足立全康は、1899年に安来市の現在は美術館の建つこの地に農家の子として生まれた。小学校卒業後すぐに働き始め、裸一貫で様々な事業を起こし、事業家として成功した。そのかたわら幼少から興味のあった日本画の収集や庭造りの関心の深さが、足立美術館創設につながったという。1990年に91歳で亡くなるまで、世界の足立美術館にしたいという夢とロマンを追い求めた。
 ひとりの人間が、山陰の片田舎にこれほど多くの人々の足を運ばせ、名園・名画で寛ぎと安らぎを与えているという現実は、そのコレクションの素晴らしさと同様に感銘を与えている。
■美術館を出て安来・木次線の山道を一路、木次町に向う。木次大橋の袂にある商業施設が出張の目的地だ。業務を済ませ、いったん宿に入る。かってこの街を何度も訪問した際の定宿であった「梅木旅館」である。木次は、昔からこの地域の交通の要衝の地であった。街道を行き交う人々を相手の商人宿が数多くあったという。梅木旅館は、今は数少なくなったその名残りを残す日本旅館である。
■宿で一息ついた後、近くを散策した。すぐ近くには、斐伊川の支流久野川が流れ、その東側の堤防堤に沿って桜並木が続いている。日本さくら名所百選にも選ばれている「木次堤のさくら」である。桜並木を抜けて途中の情緒のある木橋を渡り、対岸の遊歩道を引き返す。かって地元自治体と苛烈な協議の舞台であった商業施設の全景が木次大橋とともに遠望できる。懐かしさも相俟って、今見る光景は夕暮れの美しさばかりが心に染みる。夜は、商業施設の責任者となって今なおこの地に暮らしているかっての同僚と久々に懇親の場を持った。
■夜10時過ぎには宿に戻り、日本旅館の大衆風呂に浸かる。他の宿泊者は誰もいないようだ。女将さんとご主人の二人だけで営まれているらしいこの宿の行く末の厳しさが偲ばれた。翌朝7時に依頼した朝食は、この宿自慢の庭園に面した客室に用意されていた。手間ひまかけたおふくろの味風の純和風の朝食を堪能した。
■8時前に宿をたち、54号線を北上し宍道から9号線沿いに松江に向う。松江城の旧大手門前にある駐車場に車を止め、登城する。
 国の重要文化財に指定されている松江城は、山陰地方で唯一現存する天守閣を持つ城郭である。今放映中のNHK大河ドラマの山之内一豊の同僚である堀尾吉晴が築城した。周囲を堀川に囲まれた高台に建つ五層の天守閣は、一、二層を黒塗りの板張りで覆われている。別名を千鳥城と呼ばれ、安定感のある美しい姿が目前に迫ってくる。
■天守閣の左手を回り込み裏手に当たる城山稲荷神社に向う。すぐ近くに住んでいた小泉八雲が通勤途中に散歩がてらによく訪れたという神社である。当時境内には2000体以上の石狐があり、八雲はこれを大いに気に入り愛したと言われている。今も拝殿の周囲を多くの石狐が取り囲んでいる。
■搦手門跡を抜けて「塩見縄手」を散策する。小泉八雲旧居をはじめ、武家屋敷風の建物が軒を並べている。城下町のたたずまいを色濃く残した風情のある街並みである。堀川めぐりの乗船場近くの車道を3羽の鴨が散歩していた。
■松江を訪ねた時、どうしても体験したかったのが「堀川めぐり」である。大手前発着場から乗船する。船頭さんの定位置は進行方向の最後尾となる。靴を脱いで見晴らしのよいへさきに陣取る。路上から眺める風景と一味違った眺めが楽しい。最初の北惣門橋を潜り左に折れてしばらく進むと、右手に塩見縄手の景観が展開する。左手の城山を囲む樹林を囲む水面に白鷺が羽を休めている。城山をほぼ一周し、天守閣の南に出た地点で堀川を外れ南に向う。京橋川に合流した所で右折し市街地の間を遊覧する。途中、かなり低い橋が待ち受けている。座ったままでは到底潜れそうにない。船頭さんの指示が飛び、乗客は一斉に寝転ぶことになる。舟の屋根を支える支柱が斜めに傾斜し、橋を潜れる高さになる。
■カラコロ広場発着場が近づくと、船頭さんのアナウンス。「下船する人はいませんか。チケットは1日乗船券ですから乗り降り自由です。15分間隔で運行しています」(ヘ〜ッ!一人1200円の乗船券は1日乗車券やったんや)。お勧めに従って途中下車してカラコロ工房を見学した。旧日本銀行の支店建物を改装して創り出された製販一体の工房である。レトロな雰囲気の中に陶芸、クラフト、工芸、菓子等の様々の工房が集積したモダンな空間が広がっている。挽きたて珈琲を味わい、お土産をもとめた。
■再び遊覧船に乗船する。米子川で左折した舟は、乗客たちを紫陽花や花菖蒲の風情で楽しませながら大手前発着場に向う。北堀橋手前付近からは松江城の味わいのある風景が垣間見える。
■帰路は境港経由を採ることにした。カーナビは、431号線で中海まで出て、南下して大海崎橋から大根島に渡り、江島を経て中浦水門から対岸の半島に抜けるルートを案内している。途中、大根島に渡る道路は、左右を中海に囲まれた不思議で快適な光景だった。
■境港市は、妖怪漫画家・水木しげるの出身地である。氏のゆかりのスポットがあちこちに設けられ、町興しに貢献している。JR境港駅前には氏の代表作のゲゲゲの鬼太郎の登場人物たちのブロンズ象が建ち並ぶ。水木しげるロードである。
■遅い昼食を、駅前の食堂の海鮮丼で済ませた。目の前にはかって何度か乗船した隠岐島行きフェリーが停泊する港が広がっていた。