■三田にあるローカルな旅行社が主催する「中山道・木曽路を歩く」というツアーに申し込んだ。現地にバスで行き馬籠宿、妻籠宿、三留野宿、野尻宿、須原宿、上松宿、福島宿、宮ノ越宿、薮原宿、奈良井宿、贅川宿の11の宿場を七回に分けて合わせて84kmを歩くという企画だ。中山道の木曽路という江戸時代の代表的な旧街道を歩きながら、宿場街の風情を楽しむという魅力的なツアーである。日頃の早朝ウォーキングの成果を試す絶好の機会でもある。私たち夫婦だけでなくご近所のご夫婦二組とご奥さんひとりのグループ7名で申し込んだ。
■そのツアーが昨日だった。最寄りの集合地で朝8時前にバスに乗車した。総勢25名の参加者の多くは60代とおぼし年配の皆さんだった。おりしも高速料金の休日千円上限割引の最後の週末である。駆け込み利用で名神高速が渋滞し到着までに4時間半を要した。途中、伊吹SA、恵那峡SAで休憩した後、中津川インターで積みこまれたお弁当を車内でいただき12時20分頃に現地に到着した。事前の天気予報は曇り後小雨というものだったが、バスを下車し落合宿北外れの木曽路南のスタート地点では傘、カッパの雨具なしでは歩行困難な悪天候だった。それでも70歳前後のツアー契約の語り部さんを先頭に石畳の旧街道を江戸方面に北に向ってスタートした。 
 
■すぐに新茶屋の「一里塚」「是より北 木曽路」「信濃 美濃国境」などの石碑に目を奪われる。田植えを終えたばかりの棚田の風景や男女の人型を刻んだ道祖神に癒される。やがてこんもりした森に囲まれた諏訪神社の鳥居が見えその奥に向って檜に覆われた厳粛な参道が伸びている。馬籠城跡の案内看板を過ぎる辺りから下り坂となる。坂の真正面の丘に馬籠宿の集落がようやく見えてきた。
■集落に入ると入口の四叉路角に「中山道馬籠宿」の碑が建っている。スタートして40分が経過していた。トイレ休憩の後、左右の風情のある馬籠宿の散策となる。最初に登場するのは車坂だ。坂の真ん中から右直角に折れている。桝形と呼ばれる構造で戦さでの防衛の意味があるという。車坂を登った右手には宿場の風情たっぷりの街並みが続いている。真ん中辺りに馬籠村出身の島崎藤村の「藤村記念館」がある。この頃になると雨脚が激しくなり、語り部さんの誘導で向いの観光案内所にしばらく避難する。ここで語り部さんから藤村の地元ならでは四方山話を聞く。
■宿場を抜けた所に高札場がある。江戸時代の藩や代官所が庶民に告知用に使った掲示板である。その先の小高い所に展望台がある。いつもは正面に雄大な恵那山を初めとした木曾の山並みを望む絶好のビューポイントである。雨に煙り厚い雲に覆われた空模様では望むべくもない。その先しばらくは激しい雨脚の中を黙々と旧街道跡を進む。
 
■車道を渡った先に水車小屋がありそのそばに「水車塚」がある。更にその先には「十辺舎一九の句碑」が建っている。『渋皮のむけし女は見えねども栗のこわめしここが名物』という句の解説を語り部さんから聞いたツアー仲間のおばさんたちが笑い転げていた。思わず「身につまされますネ〜ッ」とツッコミを入れたら笑いの渦がひと際大きくなった。句碑のそばの休憩所でトイレやずぶ濡れの服の着替えのため一服する。
■しばらく行くと石垣の上にいくつかの石碑が建っている。「峠の御頭頌徳碑(おかしらしょうとくのひ)」とある。峠の集落の牛方と中津川の問屋との争いで勝った牛方の頭を讃えた碑ということだ。その集落がすぐ先にあった。江戸末期の建物が今も残る趣きのある街道筋の集落だ。集落の外れには熊野神社がある。紀州から木曾檜の伐採に連れてこられた人たちにゆかりの神社だそうだ。
■車道をしばらく歩き、再び旧街道の山道に入る。その先に道路標識があった。南木曾町の漢字の下にローマ字でNagiso−Twonとある。ツアー仲間のおばさんが声をあげた。「へ〜、南木曾と書いて『なぎそ』と読むんや」。「我々は大雨でナキソーやけど」と、ここでもオヤジギャグのツッコミで笑いを取る。坂道を少し登るとようやく海抜801mの馬籠峠の頂上に辿り着いた。「馬籠峠」の碑には正岡子規の『 白雲や 青葉若葉の 三十里』の句が刻まれている。スタートから2時間が経過していた。  
■2時半頃に馬籠峠の頂上を妻籠宿に向ってスタートした。ここからは下り坂となる。林の中の山道をひたすら20分ばかり歩くとポツンと一軒家が見えてきた。道中、語り部さんから「次は囲炉裏のある茶屋で休憩しましょう」と告げられていた一石栃・立場茶屋(いちこくとち・たてばちゃや)だった。
■語り部さんが馴染みの家主らしき店番のおじいさんから素晴らしい「中山道を歩く」というマップを手配して貰いツアーメンバーに配られた。木曽路の南北をつなぐ街道筋の見所を45頁に渡って描かれたイラストマップだ。ここでグループ七人の集合写真を撮ったりしてしばらく休憩する。歩き始めてすぐに一石栃白木改番所(いちこくとち・しらきあらためばんしょ)跡があった。江戸時代の木曾木材などの出荷取締りの番所である。再び林の中を10分ばかり歩くと天狗の腰かけと通称されるサワラの巨木「鴨居木(かもいぎ)」があった。
■更に山道を進むと、川のせせらぎが聞こえてくる。コースを少し外れた街道に男滝・女滝の案内板があった。降りしきる雨が男垂川(おたるがわ)の水量を一気に増やしている。目の前で男滝の迫力のある爆流が轟音とともに滝壺を叩いていた。コースに戻り再び林の下り道を進むと、苔むした小さな馬頭観音の石像が山肌にひっそりと佇んでいた。
 九十九折りの林を抜けた所に庚申塚の石碑があった。庚申塚は道祖神と同じ旅人たちの道中の安全を祈願したものだ。そのすぐ先に大妻籠の集落があった。「旅籠まるや」の看板のある民家の前を通る。この集落は今も民宿が営まれ昔の旅籠の貴重な風情が残されている。更に山道を先に進む。
■林を抜けた所で突然見覚えのある風景が目の前に現れた。3年前に知人グループで訪ねた妻籠宿の外れの大きな駐車場だった。街道の両脇には宿場町独特の趣きのある街並みが続いている。江戸時代末期の宿場町の復元・保存が最初に実施された街並みである。地元の物産を扱った土産店、桝形の街道構造、復元された妻籠本陣、脇本陣・林家など見所もいっぱいである。
■この頃にはようやく雨も止み一息つけると思った。ところがこの宿場の北の外れに辿り着いた頃には既に4時半と大幅に予定を過ぎていた。ツーア仲間のブーイングをモノともせず添乗員さんの指示でお買い物時間はカットされた。すぐさま迎えのバスの待つ駐車場に直行する。慌ただしくトイレや休憩所で雨にぬれた服の着替えや手洗いを済ませる。
■妻籠宿を出発したバスは途中で養老と大津の二カ所のサービスエリアで小休憩し西宮北インター近くの岡場の降車地に到着したのは9時前だった。グループ7名は最寄りのパーキングから二台のマイカーに分乗し夕食に向った。既にサービスエリアで様々な買い食いをしている面々である。軽食で済ますことになり「丸亀製麺」の釜揚げうどんの列に並んだ。自宅に戻ったのは9時半頃だった。長くてハードな一日が終わり万歩計は2万4千歩をカウントしていた。