岡山市の中心部から西に向う国道沿いにこの地方屈指の大社である吉備津神社があった。吉備津彦命を主神とし、桃太郎伝説の元になったという温羅(うら)退治の話しが伝わる神社である。両脇を松で囲まれた見事な参道を抜け駐車場に車を止める。献灯提灯に囲まれた正面の階段をのぼると朱塗りの門の先に壮大な本殿がある。参拝の後、境内を散策し本殿背後の回廊を辿った。テレビ等でこの神社が紹介される際には必ず映し出される長大で美しい回廊である。
 神社横の広場に銅像が建っていた。近づいてみると「憲政の神」と謳われ、五一五事件で暗殺された犬養毅の銅像だった。説明板には「この地の3km南に生家があり遠祖・犬養健命(いぬかいたけるのみこと)が吉備津彦命の随神だったためこの神社に尽力された」と記されている。ナルホド。  
 吉備津神社から北西15kmほどのところに美しい町並みの「足守地区」があった。豊臣秀吉の妻・北政所の兄・木下家定が、慶長6年(1601年)に姫路藩から転封して立藩した足守藩の陣屋町である。町並みのメイン通りのすぐ右にある「お休み処」に駐車し散策を始める。
 入手した観光町並みマップを手に白壁の美しい建物が続く通りを南に向う。江戸末期の商家・藤田邸、備中足守まちなみ館、足守プラザと観光スポットを巡る。それぞれに地元のボランティア・ガイドのお年寄たちが案内役を買って出ている。折りしも雛祭りシーズンである。各スポットには昔ながらの様々な雛飾りが陳列されている。
 足守プラザから引き返してお休み処横の道を西に折れる。白壁の長屋門と土塀に囲まれた旧足守藩侍屋敷の美しい邸宅が目に入る。家老宅にしては質素な住宅ながら茅葺屋根の母屋は武家書院造りの構造を持った格式のある建物だ。
 すぐ傍の足守小学校前の道を行く。校庭の隅に今は見る事の少なくなった二宮金次郎の銅像が建っていた。柴を担いで読書しながら歩んでいる懐かしい姿に思わず微笑んでしまう。  
 小学校横の小道を北に行くと近水園(おみずえん)がある。足守藩主木下家の居館である屋形構の奥手に設けられた大名庭園である。敷地の外側東を流れる足守川から水を取り入れた池があり、池には鶴島、亀島の二つの島が浮んでいる。池の東側の回廊式の歩道を歩いてみる。反対側の山際に建つ吟風閣と呼ばれる数寄屋造りの建物と池の見事な調和に息を呑む。
 町並み通りの外れにある葵橋を渡ってすぐ南の小路の奥に緒方洪庵の生家跡に作られた「緒方洪庵生誕地」があった。江戸末期に足守藩士の三男として生まれ、長じて蘭方医となり蘭学塾・適塾を起こした人物である。石垣をめぐらした屋敷跡と思われる敷地に正座した黒っぽい洪庵の銅像と石碑が建っていた。今放映中のNHKの土曜時代劇「浪速の華」は緒方洪庵の大阪時代の青春物語である。ドラマファンのひとりとして、意志の強さを表現したかのような真一文字に口を結んだ洪庵の銅像を感慨深く眺めた。  心癒される穏やかな散策を愉しんだ夫婦二人連れの岡山の旅路だった。